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ハレグゥ

2009.09.30(17:14)

ベルセルク 34 (ジェッツコミックス)ベルセルク 34 (ジェッツコミックス)
(2009/09/25)
三浦 建太郎

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 やさしさは爆発する。たとえばそれがやさしさの爆発だとしても、たとえば、たとえば、何かをきっかけにしてしゃきしゃき走るのも、やさしさの爆発だと思う。ばくはつ。あたしはだいぶやらないけれど、たぶん、ひとはときどき他人のやさしさではなく自分のやさしさを発見するべきだ。そうすると、ぬいぐるみをふにふにしたときくらいには気持ちよくはなれる。

   ◇◇◇

「勅使川原三郎しゅごい。勅使川原三郎しゅごい」とぶつぶつつぶやきながら道を歩いていたら、知らないひとから知らないひとの舞台を見たほうがいいと言われる。そういうことはあたしたちが認識している現実の上では起こらない。インターネットは現実を土台としてつくれるのではなく、現実の土のなかに根っこのようにつくられていると思う。虚構と現実という二元論に頼るのはあまりよくない。みんなは虚構が好きで現実が嫌いなくせに、「虚構なんてよくない」と平気で言う。この世界でいちばんうれしいのは虚構だと思う。

   ◇◇◇

 岩永亮太郎「パンプキン・シザーズ」はときどきすごくいいことを言う。戦災復興をするお話だけれど、伍長は「おまえらが救ったと思ってる人間なんてほんの一部だよ」と言われて「がーん!」となる。伍長は馬鹿だから「全部の人間を救いたい!」と思っている。その伍長に仲間がこんなことを言う。「じゃあ、おまえはその救われたほんの一部の人間に『おまえが救われたことは無意味だよ』と言うのかよ」。
 社会は「100億円かけて50人のひとを救うより、1億円かけて1000人のほうを救います」という言いかたを基調とするんだと思う。そしてそれは当然だと思う。でも、かんちがいしてはいけないのは、あたしもきみも社会ではないということだと思う。あたしは社会じゃない。仮に「100億円かけて50人しか救わない馬鹿な装置」があたしやあたしの好きなひとたちを救ってくれたら、それを好きだと言えばいい。そのせいで1000人が救われなかったとしても。「あたしはきみに救われた」とか「あたしはきみが好きだ」という言葉はそれだけのことでしかないのに、それをたいそうな言葉だと思ってそれ以外のことを付加しようとするから、結果的にその言葉は沈黙と等しくなってしまう。それはべつにたいした言葉じゃない。でもたいした言葉しか愛せないわけでもない。

   ◇◇◇

 Mr.Children「シフクノオト」のなかに「HERO」という曲がある。歌詞はこうだ。

例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ

愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ


 愛するべきたくさんのひとたちがいてもいなくても、あたしだったら名乗りでない。仮に「ひとりの命とひきかえに世界を救える」という状況に本当になったら、たぶん、何千、何万人のひとが名乗りでるだろうとあたしは思う。世界はそういう善意であふれていると思う。今の地球はそういうところだと思う。

   ◇◇◇

「ジャングルはいつもハレのちグゥ」を古本屋で10巻まで買ってきて全部読む。おもしろい。あたしはハレが好き。ハレだいすき。グゥはツンデレ。1巻でグプタにたいして「いじめちゃだめ」と言うときや3巻で「グゥもハレにハレが望むものをあげたほうがいいの…」と言うとききゅんとなる。

   ◇◇◇

「DMC8巻」と「ベルセルク34巻」を読む。ジャギ様が好き。ベルセルクはもしかしてここからあと30巻くらい続くのかな。おもしろいのであたしが生きているうちに完結してほしい。

   ◇◇◇

 ということで、今からpit 北/区域まで江藤由紀子を見にいってくるにょん。




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