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走りながら拳銃を撃つのは難しいんだろうか

2009.10.05(07:05)

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人間は自分に註釈かルビが
つかなくなつたとき
自殺をするんぢやないだらうか
          ――小熊秀雄


   ◇◇◇

「潜水服は蝶の夢を見る」をイスラエルの「迷子の警察音楽隊」だと思って1時間半くらい見たあとで、「ああこれイスラエルの映画じゃないや…」と気づいて途中で消した。「潜水服は蝶の夢を見る」の監督はおもしろい映画を撮るつもりがないんじゃないかと思った。「おもしろい台詞を書こう」とすら思っていないんじゃないかと思う。「おもしろい台詞を書こう」とまず思うこと、そう意志することじたいが難しいのだと思う。
 男女が車でルルドに行くシーンがある。車でルルドまで何時間かかるか知らないけれど、たとえば2時間かかるなら2時間ぶんの会話がある。話題はもちろんあちこちにうつる。でも映画は2時間かけて車で移動するシーンをたいてい1分で撮ってしまう。そして、かりにそこにリアリティをつけようとするならば、映画に映されるのは2時間の会話のうちの1分であるべきかもしれない。でも、たとえば「潜水服は蝶の夢を見る」の監督は1分のシーンで男女に2時間ぶんの会話を凝縮させたような会話をさせる。だからこの男女は残りの1時間59分は会話をしていなかった。残りの1時間59分につまりこの男女は存在していなかった。そういう撮りかたはあまりにも無神経じゃないだろうか。森山さんが井口奈己「人のセックスを笑うな」で「画面に映っていないところにもものがある」(覚えてないので適当)とかなんとか言っていたような気がする。たまにはそういうことを考えてみるべきだと思う。
 ゴダールが1分の会話をつくるとき、2時間の会話のなかの1分を映している。だからゴダールの映画の会話はわけがわからないしむだに長いしだるいし眠くなるしときどきはおもしろい。
「潜水服は蝶の夢を見る」は全身麻痺になったひとがまばたきだけで単語をつづり、自伝を出版する物語だった。あたしはつくづくこういう話に興味がないのだと思った。あたしはあたしの知らないひとの不幸なんてどうでもいい。あたしはあたしの好きなひとが幸せそうに見えたらそれはとてもうれしいような気がする。でもあたしはあたしの知らないひとが不幸になっても幸せになっても、特にどうも思わない。全身麻痺になったひとをかわいそうだとも特に思わない。それはあたしの身体ではない。全身麻痺になったひとがどうがんばったとしても、あたしはべつに勇気をもらわない。「あたしも明日からがんばるぞ◎」なんてぜったい思えない。何かを見たときに不安になることはある。不安になって「あたしだめだ…」と思って何かをしたり何かをしなかったりする。作品にふれて勇気づけてもらったことなんていっかいもない。不安になることはたくさんある。あたしにはたぶん勇気がひとつもないんだと思う。不安だけが刺激される。あたしはすべての作品にすべてのひとにおびえているんだと思う。おびえるというやりかたでしか何かに接触できないのかもしれない。でも、おびえているかぎりはまだまだ健康だ。勇気なんていらない。不安のほうがたいせつ。いつもきみが好きだ。

   ◇◇◇

 内定者同士の自主的な飲み会があるみたいだけれど、ものすごく行きたくないあたしはみじんこになって死んじゃえ。

   ◇◇◇

「ハレグゥ」を5巻まで読む。おもしろすぎてベッドの上で転げる。このひとはちゃんとみんなのキャラを立たせているのがすごい。マリィなんて最初まともだったのにいつのまにかいちばんやばいキャラになっていて好きだ。2巻のグゥがちょうかわいい。笑った顔がちょうかわいい。歯がぎらぎらしてちょうかわいい。あとグプタが好きになった。グプタがおもしろい。

   ◇◇◇

 西脇順三郎編の「英米詩集」を読んでいる。年代順に詩人の代表作がずらっと並んでいて壮観だけれど、17世紀18世紀の詩の良さがわかったためしがない。さっぱり。ウィリアム・カーロス・ウィリアムズやカミングスの詩ならわりと好きだから、19世紀以降の詩じゃないとわたしはだめかもしれない。マラルメもヴァレリーもさっぱりだった。わたしはよく考えたら他人の詩なんて好きじゃない。他人の詩はいつも読みながしている。ほんとにいいと思った外国の詩人なんてディキンスンとランボーだけだと思う。他人の詩や小説を読まないとまともなものは書けないんだから、何かを書くというのはとてもめんどうくさい作業だと思う。

   ◇◇◇

 友川かずき「歩道橋」ばかり聴いている。感想は特にないけれど、魂をこめて歌うというのはたとえばこういうことなのかもしれない、というくらいは思った。「助けてくれ」と絶叫したって誰も助けてくれるわけないのに。

   ◇◇◇

 会社というのは「仕事をする」、「仕事をすることを通して自身を成長させる」、「仕事をすることが人生にとって多大な価値を産む」という前提に立って何かをする場所だと思った。少なくとも会社の人間はあたりまえのようにあたしたちにそう言った。まわりの人間もその前提に立ちその前提のなかで多大な優秀さを見せつける。とてもすごいことで、あたしにはまねできないし、まねしたくない。おそろしいのは、会社と仕事について書くあらゆることが愚痴に見えてしまう「仕事」の存在のしかただ。
 あたしは何かをするとき善であるという前提に立ちながらそれをしたくない。「こんなことするのはまちがってる。あたしばかだ。すごくばかだ」と思いながら、そして言い訳しながら何かをしていきたい。卑小な態度だと思う。でもあたしはずっとそうしてきたと思うし、そういうやりかたのまま少しずつ何かをしていきたい。
「人生の意味を見つける」、「生まれきた意味を見つける」、そういうことが人生の目的じゃないと思っている。またMr.Childrenから引用するけれど、「くるみ」の歌詞はこうだ。

どこかで掛け違えてきて
気が付けば一つ余ったボタン
同じようにして誰かが 持て余したボタンホールに
出会う事で意味が出来たならいい


 人生における意味は点でしかないと思う。一瞬の意味はうれしい。でも、人生の意味というのは発見されて3日後には塵になっていると思う。少なくともあたしは意味を求めるために生きているわけではない。生きている理由は「死にたくないから」というだけのものでしかないかもしれないけれど、生きているというのは残念なことにわりあい楽しい。楽しいから、ぜんぜんちっとも死にたくない。あたしは絶対的なものを信じたくない。真理なんてないと思う。運命もない。あたしは相対的にしかものを考えられないし、考えていたいと思う。今日信じているものは3日後には塵になる。今日好きだった詩は3日後には嫌いかもしれない。今日見つけたあたしがここに存在する意味はもう3日後にはあたしがここに存在する意味ではない。だからあたしが欲しいと思うのは意味がなくてもあたしが存在できる価値観だ。塵集めをする毎日でいい。あたしの目にそれが少しでもきらきら輝いて見えたらそれは塵でもいい。塵を好きになれないわけじゃない。




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