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ペ・ドゥナはメイド服をあまり着ない

2009.10.23(19:58)

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本谷 有希子

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 わたしの生活には生活がないのではないかと、今日ふと思った。でもそれはそれだけのことでしかないし、それはそれだけのことでしかないのが、悲しい。

   ◇◇◇

 水曜日は、特に行く必要もない学校に行かずに渋谷に行き、シネマライズで是枝裕和「空気人形」を見た。最初はあまりおもしろくなかったけれど、ペ・ドゥナがだんだん人間らしくなるにつれ、おもしろさが増していき、えぐえぐ泣ける。「ペ・ドゥナがメイド服を着てるよ!」を楽しむ映画にはまちがいないけれど、ペ・ドゥナはメイド服をすぐに脱いでしまう。でもあたしはメイド服にそんなに愛着があるわけではなくて、特にこの映画では、メイド服よりも普通の服を着ているほうが、そしてもっと言えばなんにも着ていないほうがペ・ドゥナはかわいい。この映画は2回泣ける。ひとつはペ・ドゥナがおじいさんから命に関する詩を教わりそれを朗読するシーン、もうひとつは最後のお誕生日のシーンだ。この映画はSFではない「ドニー・ダーコ」だと思う。ドニーは自己犠牲によって人間を救うことを選択して、この映画のペ・ドゥナも同じ役割を果たしている。世界は汚れていて、残酷だ。悲しいことばかりだ。それはまちがいない。だけれどそういった世界のなかであたしたちが幸せになれないわけではない。この感覚はミランダ・ジュライ「君とボクの虹色の世界」や「マグノリア」(はちがうかもしれない)に似ていると思う。あたしは正直お誕生日のシーンですっとひいて終わりにしたほうがよかったと思ったけれど、ラストの「きれい」のシーンは現代ではきちんと描かなければいけないのだと思う。ペ・ドゥナはゴミ捨て場に捨てられた瞬間にだけ「きれい」と言ってもらえた。そしてひきこもりの女の子は「きれい」と言うために窓を開けることができた。窓の向こうを睨むために窓を開ける必要はないけれど、女の子は、「きれい」と言うためになら窓を開けることができる。
 イメージフォーラムまでてくてく歩いてスコリモフスキ監督「アンナと過ごした4日間」を見た。途中寝ていたからだけれど、ぜんぜんわからなかった。わからない撮りかたをしている。でも、たとえば冒頭のシーンで、主人公が斧を持って歩き、その後ろでは数人がかりで車を押している。こういう不気味でわけのわからないシーンをさらりと撮れるのがスコリモフスキの圧倒的な得体の知れなさだと思った。たとえば、主人公が殺人鬼のような描写をしているのだけれど、べつに彼は殺人鬼でもなんでもなくて、ただの死体処理の仕事をしているだけだったりする。ミステリでもなんでもないのに、スコリモフスキはそういう描写を平気でしてしまう。不穏なのはそれだけではなくて、基本的に時系列はぐちゃぐちゃで、いつのことだかわからない撮りかたをしていて、また、夢と現実も平気で同じ低い温度で撮りつづけてしまう。この監督はほんとうにばかだ。後半も得体の知れないコメディで笑ってしまった。こんなにわけのわからない撮りかたをしているひとをあたしはなかなか知らないので、貴重なのだけれど、それで「おもしろい?」と言われたら「うーん」と答えざるをえない。何がつまらないのかちっともわからないのも、スコリモフスキの不穏さかもしれない。
 そのあと、「言霊の匣」の雪ノ下さん主催の新人賞を撮るための勉強会的なものへ行き、いろいろお話をした。こういう場で思うことはやはりあたしはべつに新人賞を欲しいわけじゃないかもしれないということだと思う。もちろんそれは欲しいわけだけれど、そこに至るまでの認識がだいぶちがうような気がした。かんたんに言えば、いったいひとは何を問題にするか、ということなのだと思うけれど。新人賞を獲ることが幸せなわけがないし、小説を書くことが幸せなわけでもない。他人の作品をまじめに読むのはそれがどういうものであれ何かになるとは強く思った。ただあたしは強くはない。

   ◇◇◇

 本や映画やその他の感想はなるべく書かないようにしよう、書いても少なめに書こうと思った。なので、その前に最近ふれたものについて今のうちに書いておく。

 青山七恵「窓の灯」
「このひとたちはこんなに近くにいるのにどうしてこんなに遠いんだろう」という感じの文章が110ページにある。たとえばカーヴァーならこういう文章は絶対に書かないと思う。1年前のあたしなら「ばーか! ばーか! へたくそ! カーヴァーを見習えよ!」と言っていたけれど、そういう書きかたもかわいくていいと思うようになった。そう思うことにしたのかもしれない。

 吉田健一「本当のような話」
 文章がのっぺりページにはりついている。このひとの文章に比べたら、ほかのひとの文章は爪でこりこりひっかけば剥がれてしまうと思った。金子光晴の「寂しさの歌」は寂しさがこびりついている。文章はどうやら接着剤らしい。「愛」とか「せつなさ」とか「本当のようなこと」を接着する。関係ないけれど、吉田健一は「ドストエフスキーが小説を書こうと思ったんじゃない。ドストエフスキーが書いたものが小説になったんだ」と言った。みんなが小説を書こうと思って書けないのは「小説を書こう」と思って小説を書いているからじゃないかと少しだけ思うのだけれど。でも今は近代じゃなくて現代だからちがうかもしれない。

 本谷有希子「江利子と絶対」
 表題作がすごくおもしろい。江利子だけがこの世界で正しい。江利子だけがこの世界で正しいのだから、江利子は救われないし、江利子は奇矯だと思われる。頭のおかしい馬鹿の女の子の主張することだけが本当に正しいとしたら、それを肯定し、馬鹿な女の子の馬鹿な主張によって世界のきらきらしたものに手を伸ばそうとする本谷のちからはやさしさだと思う。

 友川かずき「千羽鶴を咬えた日々」
 今年聴いたなかで、ミドリも、キース・ジャレットも七尾旅人「9.11 FANTASIA」もよかったけれど、これがいちばんすごいような気がする。「素面のままじゃ歩けねえ。酔ったままでも歩けねえ」。かっこよすぎるよ友川かずき。

   ◇◇◇

 木曜日はTNといっしょにH.I.Sに行って旅行代金を払ってきた。たくさんの一万円札とさよならをしたので悲しかった。ゼミをさぼったのだけれど、最低だと思った。ごはんを食べた。TNは大きい会社に内定をもらっているくせに、「公務員がいいんじゃね?」とかもう言いだしている。「おまえ公務員向いていると思うよ」と言われたので「俺もそう思う」と言ってみた。今日行ったパスポートセンターで働いているひとがすごく暇そうだったので、あたしはパスポートセンターの職員になりたい。みんなのパスポートを、たのしく、つくるんだ! TNが会社でTOEICを受けるそうで「俺だけ300点なんだけど!」と言っていた。たぶんあたしもそう思うのでがんばったほうがいいと思った。あたし、教材をもらったけれどまだ1ページも読んでいない。見るかぎりゆるそうだ。ゆるそうな会社を全力で選んでよかったかもしれない。この余裕がいつまで続くか、わからないけれど。
 コンタクトレンズを買いにいったら、処方箋がないのでコンタクトレンズを買えなかった。「やっぱり」と思った。
 夜からはアルバイトをした。Kくんが「キウイを食べると、べろの先がいがいがします」と言っていた。
 それで今日学校に来たら、先生からメールが届いていて、「修論の目的・内容・方法をパワーポイントで月曜日までにまとめてください」と書いてあった。木曜日ゼミをさぼって、最近は夜にして学校来ていないせいで「学校来てますよアピール!」ができていない。ひさしぶりに爆弾が投下された。土、日でつくれと言うのだろうか。ばかな。予定あるよ。というか、ほんとうにこれは何ですか。あたし発表するのかな。これ見るのは先生だけなのかな。どうしようかな。めんどうくさいな。どうしようかな。12月くらいまで何もやる気なかったのに。




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