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なんで?が効かない世界

2009.10.25(06:29)

M/OTHER [VHS]M/OTHER [VHS]
(2000/05/25)
三浦友和諏訪敦彦

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 真夜中に諏訪敦彦監督「M/OTHER」を見た。二回目なのだけれど、やっぱり、この映画を見るとぜつぼうする。人間と人間がいっしょに暮らすことはたぶんすれちがうということで、けれど、すれちがうということは、ぜんぜんへんなことではないのだと思う。すれちがうということしかひととひととの関わりかたはないんじゃないかと思えてしまう。この映画を見ると、あたしは誰かといっしょに生きていくことができるのかなと思って、ぜつぼうする。ぜつぼうするのだけれど、ヴァレリーは「人間は誤解しあえる程度におたがいを理解しあえばじゅうぶんだ」と言っていた。かりにひととひととの関わりかたがすれちがいしかないのだとしても、それでもそんなふうにでも、誰かにいっしょにいたいと思う。
 岩井俊二監督「PiCNiC」を見て「映画で台詞が聞こえるということはあたりまえじゃないんだ。聞こえなくてもいい台詞があるんだ」と思った。そのあとに、たとえばなんか映画を見るとき「なんでこのひとたちはどまらずに流暢に台詞をしゃべるんだろう」と思った。それはたぶんどもったら監督が「カット!」と言っちゃうからだと思うのだけれど、どもったら「カット!」と言う必要なんてない。村上春樹「ノルウェイの森」の突撃隊はどもる。だけれど、そのどもりはどもるということを象徴する記号でしかないのだと思う。特に村上春樹の文体はすべてを象徴に還元する文体だから、ますますそう思う。小説ではどもるということにたいしてふりだけれど、映画では役者はどもることができない。「言いよどむ」ことはできる。けれどそれは、「言いよどむ」ということによって「そのキャラクタは何か言いにくいことを言おうとしてやめた。そのことを言うことによってそのキャラクタは誰かを傷つける可能性を考えた」などそういったことを表す記号にしかならない。だから「言いよどむ」ということはけっきょくのところ何かしゃべっていることと変わらない。「言いよどむ」というのはそこでしゃべるのをやめることでそのあとをしゃべっているということにすぎない。だけれど「M/OTHER」は役者がしっかりどもることができている。どもるということができたというこのいってんだけでも、わたしはこの映画を強く好きだと思う。とっても。
 最初に見たときは気づかなかったけれど、この映画は「どうして?」や「なんで?」が存在できない空間を構築した映画だと思った。「どうして?」とか「なんで?」が存在できない空間とは、もちろん現実だと思う。このひとたちは「どうして?」や「なんで?」をくりかえす。でも、(正確に見ていたわけじゃないからわからないけれどたぶん)くりかえされる「どうして?」と「なんで?」にたいしてひとつも答えられていない。「どうして?」と「なんで?」は本来答えられるものではないのに、わたしたちはよくわからないままにそれに答えられると思ってしまっていて、なんだかそれはとても悲しいことなのかもしれない。わたしは「どうして?」や「なんで?」に答えるために生きているわけじゃないのに。
「理由もなしに俺をひとりにするなよ」
 男はそう言った。
「理由がないのなら、俺のそばにいてくれよ」
 男はそうも言った。
 わたしは理由がなくてもそばにいたいと思う。思った。

   ◇◇◇

 本谷有希子「江利子と絶対」を読みおわった。「暗狩」はおもしろかった。本谷は「小説って漫画みたいに書いちゃいけないの? 漫画はギャグ・エロ・シリアス・バトル・ラブコメいろいろあるのに、小説ってなんかヴァリエーション少ないんじゃないの?」と思ったと言っている。解説が一青窈で、これがまさかの名文でびっくりした。ぶらぼ。

   ◇◇◇

 明日、というか今日は新宿などに行く予定なので、いいかげん眠る。「M/OTHER」が1時間30分で終わると思っていたのに2時間30分あった。ね・む・い・よ!

   ◇◇◇

 ところで最近知らないひとからだけばかりに告白される。




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