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五反田団「生きてるものはいないのか」@東京芸術劇場

2009.11.01(20:55)

ウルトラミラクルラブストーリー [DVD]ウルトラミラクルラブストーリー [DVD]
(2009/11/27)
松山ケンイチ麻生久美子

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 部屋を探していた。わたしは本当に部屋なんかどうでもいいのでものすごく安い部屋を探していたら、親に「そんなところではひとを呼べやしない。社会人になったら着ているものや住んでいる場所で多くの印象を持たれるんだから…」と至極まっとうなことをぼそりと言われてへこむ。ここ1年くらいのあいだで2番目くらいにへこむ台詞だ。けれどあたしはそういった価値観から解放されようとしてきたんじゃなかったのか。だいたい、あたしのうちには誰も来ないじゃないか。それがある種の逃亡であることを知りながら蝋燭のようにそっとつぶやけばいい。「俺は5000円も高いところに住むくらいだったら1回でも多くのダンスを見にいきたいんだよ」。社会人になってもまったくお金がたまらなそうに思っているあたしの想像は妄想なのか。どうして社会人があんなにお金を持っているのかさっぱりわからない。この歳になるとひとはいったい何を楽しみに生きているのかということを考えるし、考えたところで、けっきょくはなんにもわからない。何よりも社会人になんてなりたくなかった。ちっとも。だいぶ、人生を舐めていた。けれどあたしはこれからも、どんどん、人生を舐めたい。

   ◇◇◇

 昨日はTNと東京に行った。TNは「俺今日お金ないんだけど」と言っていたので、「なんで?」と訊ねると「パチンコで2万すった」と言った。「初めて行くやつはみんな出るはずなんだよ!」と何回も言っていたけれど、それはすでに脳が何かわからないものに犯されている。「おまえも行こうよ!」と何故かぜんぜん懲りていないようで執拗に誘われた。「誰がお金を出すの?」と訊いたら「おまえ」と言われた。でもあたしは2万円をどぶに捨てたくない。「おまえがお金を出すのなら行ってもいいな!」と言ったら、TNは「もし俺が出たら玉をわけてあげる」と言う。でも出るわけがないので、それはありえないのだった。

   ◇◇◇

 早稲田松竹に行って、横浜聡子監督「ジャーマン+雨」と「ウルトラミラクルラブストーリー」を見た。
「ジャーマン+雨」を見る前に、横浜監督がトークショーをやっていた。あたしはロビーで聞いていただけなのだけれど、「今後の夢というか野望は?」と訊かれて「映画だけで食べていけるようになりたい」と言っているのが聞こえた。「せちがらい世の中だ」と言っていた。「ウルトラミラクルラブストーリー」はとても人気だったと思うけれど、「あれだけ人気でも映画だけで食べていけないんだ~」と思ってびっくりした。
「ジャーマン+雨」は本谷有希子のつまらない版みたいな感じだった。ゴリラーマンはイタい女みたいな感じだけれど、その痛さは本当にどこにも行かない。本谷有希子はどこかへ行ける。見ていていらいらしちゃった。こういう設定で撮ればおもしろいように思えるけれど、やっぱり映画を撮るのは難しいらしい。たとえば是枝監督「空気人形」などはやっぱりちゃんと撮っているんだなあとべつなことを考えていた。
 「ウルトラミラクルラブストーリー」は最初の3、40分くらいをうっかり寝てしまったのだけれど、「ジャーマン+雨」とは比べものにならないくらいにいい映画だと思った。松山ケンイチはけっこう好きだし、麻生久美子は声と仕草がとてもかわいい。松山ケンイチが農薬を浴びるシーン、麻生久美子と一緒に夕暮れの道や子供たちが花火をしている背景を歩くシーンはとてもていねいにとられていて好感が持てた。特に花火のシーンはすごくいいと思った。らぶずっきゅんだと思った。ARATAが出てくるシーンは「やられた!」と思った。あれは、ずるい。ずるいから、とてもすてきだ。「空気人形」や「シェイディーグローブ」などを見たかぎり、ARATAはとてもいいと思う。「ウルトラミラクルラブストーリー」は農薬を頭からかぶったり、熊が脳味噌をぐちゃぐちゃ食べたり、意外にグロテスクな映画だと思う。横浜監督はたぶん変態だと思う。「瓶詰めされた脳味噌を使って遊ぶ幼稚園児とその先生」というシチュエーションを平気で持ってこれるひとは、なかなかいないと思う。ぜんぜん意味のわからないラストもよかった。「ジャーマン+雨」からその手のグロテスクさはあったけれど、「ウルトラミラクルラブストーリー」はそれをすごく上手に消化していると思う。気持ちのわるいグロテスクと気持ちのいいグロテスクがあって、「ウルトラ~」はぎりぎり気持ちのいいほうにふれていた。
 TNに「男性俳優の99パーセントはどうでもいい」と言ったら同意された。松山ケンイチやARATAや浅野忠信はいいと思う。あとは知らない。TNは「麻生久美子の好感度が上がった」と言っていた。「今の女優のなかでいちばんいい」。この前まで長澤まさみがどうのって言っていたのに。最近長澤まさみを見ない。からだにぴーす。

   ◇◇◇

 そのあと、池袋の東京芸術劇場まで移動して五反田団「生きてるものはいないのか」を見た。ひとが次々死んでいくだけの作品だった。何故死ぬのかは、最初地下鉄サリン事件のようなものを連想するのだけれど、後半になってもその謎は解かれず、最初から最後までひとがえんえん死んでいく。死んでいくにはネタが必要で、ほとんどコメディなのだけれど、ひとが苦しそうにばたばたもがいているなかで、ほかの生きているひとはちぐはぐなやりとりをくりかえし、観客はそれに思わず笑ってしまう。舞台というのが観客全部巻きこんで成立するものならば、そこに生じる精神的グロテスクな感覚が気持ちよかった。
 陳腐な回答をつけるならば、この演劇の主人公は「死体(たち)」なのだと思う。最初に死んだナナという女の子は、たぶん1時間以上死につづけている。「死につづけている」という言葉は詩で使う表現だけれど、舞台の上では詩という特別な表現をなすことなく、それがデフォルトになっている。死体になったら舞台から退場することができない。生きているひとは退場できるのに、死んだらもう退場できないのなら、舞台上において生と死の感覚は完璧に逆転している。時間経過にしたがって舞台の上を埋めつくしていく死体たちの光景は圧巻だと思う。生と死のどちらがまともな状態なのかなんて言えない。生と死のまともさなんてたとえば多数決で決めればいい程度のものだけれど、死体は手をあげることができない。死体が手をあげることができないから、生というのは自動的に肯定されている。「ひとはいつか死ぬんだから、死ぬことは悲しいことじゃない」と言ったひとがいた。生というのはその程度のものでしかないのかもしれない。べつにその程度の生でもあたしは生きていられるけれども。
 最後まで生きのこったあのひとは、得体の知れない物音に怯えていた。この舞台の主役は死体と物音だった。最後まで生きのこったあのひとは「ひとりはいやだ」と言った。彼は主役でもなんでもなく最後までなんの価値もない脇役だったけれど、最後まで生きていた。「ウルトラミラクルラブストーリー」のなかで、麻生久美子は「ひとは恐怖を感じるから進化してきたんじゃないかな。自然を破壊し、恐怖をとりのぞいた今、もうひとは進化できないんじゃないかな」と言っていた。もちろんあたしなら「進化しなくちゃいけない」と思うその思想自体がまちがっている、と言う。弱いままでいい。「ひとりはいやだ」と言えばいい。

   ◇◇◇

 パスタとピザを食べた。たまごがのったピザは美味しいけれど食べづらいことがよくわかった。いけず。




コメント
人がバタバタ死ぬのって80年代なら絶対核兵器ですよ、ヒロシマ・ナガサキですよ。あの頃、流行ってましたもん、「ダイイン!」って参加者が死ぬ(ふりをする)のが。あ、それ、ダイイン!
【2009/11/06 16:45】 | 上田洋一 #- | [edit]
ダイイン!

あーむしろそうかもしれません、
「生きてるものはいないのか」って日本だけじゃなくて世界中で死んでるんですよ、
もうちょっと大きな具合かもしれないですね!
【2009/11/08 16:28】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
今でも、現役の反戦運動家たちが
やってますよ~。

原爆の日には平和公園で
寝っころがって、空を見上げて

デモンストレーションの意識が強いと思いますけど
僕はパフォーマンス・アート/ハプニング/イベント の範疇だと思ってます。
高校生の時に、参加したりしました~。

変なトコに喰いついて、話ひろげて失礼しました。。
【2009/11/09 10:17】 | 鈴木陽一レモン #mQop/nM. | [edit]
現役の反戦運動家のあヴぁんぎゃるどさにびっくりしました。
そもそも現役の反戦運動家という存在にしてもびっくりですし、
いろんなところでいろんなひとが身体をはっているんだなあと、
遠い目。
それだけやるのなら戦争ぐらいやめてくれてもいいのにって思います。
【2009/11/09 12:26】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
真心ブラザーズYO-KINGはジョン・レノンを「馬鹿な平和主義者」と(敬愛を込めて)歌ってますけど
平和主義者、反戦運動家って、だいたい全員が馬鹿だと思います。いいひとすぎて、頭を悪くしてるんです。じゃないと、やってられないんだと思います。

アヴァンギャルドさは、あくまで70~80年代当時の前衛であって、現代では昔からやってる事を毎年マネしてやってるだけなんで、むしろ保守的です。のほほんとした平和運動です。輪になって唄ったりします。大人なのに。

一方で、命をかけて戦地に飛び込む反戦ジャーナリストも居て、それも異常ですけど、馬鹿と呼ぶ事は、とてもできないですね。やめてもらえるなら戦争やめてほしいです。
【2009/11/09 15:34】 | 鈴木陽一レモン #mQop/nM. | [edit]
僕もジョン・レノンは馬鹿じゃないと思っています。馬鹿でも好きなんですけれど。
なんというか、ジョンみたいなことをやっても戦争が停止するわけがなくて、
その圧倒的な不可能を前提にしてそれでも何か歌うということ、
その乖離みたいなものが好きでした。

少なくとも現代日本では「反戦運動」自体が異常に見えます。たとえば僕は絶対やらないですし。
反戦運動でありながら馬鹿に見えないものは、チャリティコンサート的なもの、
あるいは、反戦じゃないけれどホワイトバンドプロジェクトみたいな、
どこかライトさが出ているものとしか存在できないように見えます。
(実態を知らないので、まちがっている可能性が高いですけれど)
まじめな活動をまじめにやると異様に見えるということです。
戦地に飛びこむ反戦ジャーナリストなんて誰よりも立派だけれど、
こころの底では「馬鹿じゃないの?」という思いが消えないような気がします。
反戦運動なんてひとつの新興宗教的に近いんじゃないかと思います。
よくわからない、うさんくさい、近寄りがたい、
そういうのは文学も同じなんですけれども…。
【2009/11/09 19:33】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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