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宛て名もなく、救いもなく

2009.11.09(19:35)

 わたしには本当に好きなものなんて何もないと思っていた。本も、踊りも、演劇も、映画も、音楽も、そして他人も、女の子も、きみも、わたしは好きではないのかもしれないと思っている。だから、わたしにはそのひとを好きでいようと思いつづけることでしかそのひとを好きになれないような気がした。それは本当にはそのひとを好きではないということかもしれないと思った。誰かと関係するということがどういうことか、わたしにはよくわからなかった。わたしは、本当は誰かと関係する前に誰かを好きになりたかった。でも、わたしはおそらく誰かと関係したあとでしか誰かを好きになることはできないし、誰かと関係したあとなら、その誰かと関係しつづけるということでしかそのひとを好きになれない。そんな生き物はごきぶりみたいに醜くかった。わたしはただ美しく羽をひろげたかった。羽は透明で、透きとおればうれしかった。わたしは美しくありたいのに、ものや他人が永遠にわたしのものでありつづければいいのにといつも思っていた。でも、ものも他人はわたしのものではなかった。わたしは一度たりとも何かを所有できたことがなかった。永遠はおろか、たとえ一瞬でも。わたしが他人と関係したいと思うそのこころの奥底には他人と関係を続けなければいけないという思いがあるにちがいなかった。他人と関係を続けなくてはいけないのなら、その他人はわたしにとってはなればなれな存在にちがいなかった。ひとりとひとりがいて、そのひとりとひとりがどうやったらふたりになれるのかわからなかった。きみとぼくがいたとき、どうしたらきみとぼくはぼくたちやわたしたちになれるのか、わたしにはわからないままだった。誰かと友達になる方法がわからなかった。わたしが何かを言ってきみが何かを言ったとき、それがそれぞれの独り言ではない可能性を否定しきれなかった。わたしにはどうしてわたしにとって他人が特別になるのかわからなかった。いったい何の価値があるのか、わからなかった。
 三角みづ紀さんは「現実はこんなに過酷で残酷なのに、ぼくたちはなんでこんなに幸福なのだろう」と言った。安川奈緒さんは「ひとはばらばらの時間のなかで、ばらばらの場所で死ぬべきだ」と言った。それらの言葉はわたしにはまったく理解できなかったのに、たやすくわたしに届いてしまった。本来なら届くはずのない言葉が赤い船に乗ってやってきた。だからそれは文学ではなかった。詩でも散文でもなかった。ただの戦争だった。あるいは「戦争をしている」と言いながら市民を殺すテロリストたちだった。問題は言葉が届きすぎてしまうことだった。彼女たちの唇が震え、彼女たちの手が動くだけで、どうしてわたしの気持ちに何か変化が起きなくてはいけないのかわからなかった。わたしが受けとったのは爆弾だった。でも、わたしは彼女たちからもらったのではなく、彼女たちから奪いとったのかもしれない。それは、わたしも知らないうちに起きたことかもしれない。そして悲しいことは、いくらわたしが彼女たちから爆弾を奪いとったとしても、彼女たちの爆弾の総量はちっとも減らないことだ。言葉をしゃべるということはいつも誰かを傷つけるということだった。それ以外に言葉の存在を信じたくないと思った。ある言葉によって救われたときみが言うとき、それはきみが傷ついているということだった。きみがばかだった。わたしがばかだった。わたしたちは救われることと傷つくことをうまく区別できないままだった。
 わたしはかつて「文学とは『俺はおまえのことをさっぱり理解できないけれど、それでもおまえのそばにいるよ』と言うための方法論だ」と言った。そしてそのあとに「文学とは世界を愛するための方法論だ」と言った。そのどちらもわたしは正しいと思う。今でも思う。でも、それはそれだけのことにしかすぎない。文章を書くことはけっきょくのところ何の救いにもならなかった。そこは常に一瞬のカタルシスしかなかった。一瞬のカタルシスは楽しいけれど、「救い」とは永続的なものでなければいけなかった。ただ、肝心なところは「救い」なんてものがなくてもわたしは生きていけてしまうという事実だった。将来はわからないけれど、あと数年くらいなら、わたしは「救い」というものがなくても平気で生きていけるだろう。でも、「救い」というものがなくても生きていけるひとは醜かった。きっと、その価値観は間違っている。たとえ間違っていても、「救い」がなくても生きていけるひとはかりに美しくありたいのならさっさと死ぬべきだろう。そして、わたしは死にたいとは思わない。生きたいと思う。きみも、生きていてほしいと思う。
 わたしは誰かにとって特別でありたいと思った。唯一ではなくていい、でもわたしは交換可能な特別でありたいと思った。何かのかわりでいいと思った。かりにきみがわたしを愛してくれるなら、わたしは鳩や蛙のかわりでもいいと思った。文章を書くということが一瞬の行為であるならば、文章を書くということにおいて誰かがわたしを好きになってくれるということはありえなかった。わたしが誰かを泣かせる文章を書き、それによってわたしが泣いたとしても、きみはその文章を靴の裏で踏みつぶすだろう。そしてわたしもそれを認めるだろう。きみとわたしがそのあとでもし手と手をとりあえるならば、文章はその靴の裏で蛾のように静かに燃えているべきだ。わたしはやさしくなりたいと思った。少なくとも文章を靴の裏にして笑っていられるくらいにはやさしくなりたいと思った。誰かに何かを言いたいと思うことは、誰かに何かを言うことよりも貴いのだと思った。言葉になりたいんじゃない。わたしは言葉を発する唇になりたい。誰かにやさしくして、誰かが何かを言ったとき、ときどきでいいからそれにふさわしい言葉を返したいと思った。
 どうしたらいいのか、またわからないままだった。どうしたらいいのかを本気で考えようとしたことが一度もなかった。だからわたしはいつも選択をした。どうしたらいいのか考えることを選択し、どうにもしないを選択した。わたしは選択をしないという選択肢がないことをとても悲しく思った。もしかりに選択をしなければわたしはこの世界でいちばん正しくあれるのにと思った。わたしは大事なときに何も言わなかった。何も言わなかったので「何も言わなかった」という選択をしたときみにとられた。そしてわたしは本当に何も言わなかった。わたしは冷たい人間だった。冷たい人間がどうしたらあたたかい人間になれるのかわたしにはわからなかった。そしてわたしは今もそのことについてまともに考えようとしない。わたしはいつもものごとについていったいどうしたら真剣に考えられるのかわからなかった。他人のことも、文章のことも、わたしは一度だってまともに考えたことはなかった。だからわたしはとても冷たい人間だった。好きではないひとをどうやって好きになったりきらいになったりしたらいいのか、わからなかった。わたしにとってパレスチナで誰かが死のうが、となりのとなりの名前も知らないひとが死のうが、同じことだった。他人は他人だった。たとえきみが首を吊っても、わたしは泣かないだろう。
「悲しいから泣くのではなく、涙を流すから悲しいのだ」
 きみの話が正しいのなら、ひとは涙を流すべきだと思った。涙を流して悲しくなれるのならばおおいに涙を流すべきだと思った。「そんなのはドラマを見て流す涙と同じだよ」と言うひとは死ねばいい。ドラマを見て感動するくらいに現実のことが悲しく思えたなら、そのひとは本当にやさしいひとだと思う。「泣いた」とひとに言えたなら、それだけでそのひとはやさしいと思う。わたしはやさしく泣きたかった。そして強くありたかった。わたしは「俺はきみとは関係ないよ」と思った。でも、ひととひととが関係しないことはそんなに悲しいことではないと思った。ひとが幸せになれないことはそんなに不幸なことではないと思った。ひとが救われないことはそんなに絶望的なことではないと思った。ひととひとが関係していなくても、きみが何か言えばわたしはうれしいと思った。わたしが死んだとききみが何も思わなかったとしたらそれはとてもすてきなことだと思った。かりにわたしが冷たい人間でも、屑のような人間でも、何の希望もなくても、幸せがひとつも見つからなくても、それは死ぬ理由にはならないと思った。今年も死ぬ理由は見つからなかった。毎年毎年見つからないままだった。生きたいと思うのは死にたくないという程度のことでよかった。きみのことは特に好きではないけれどきみのことが好きだと思った。わたしは立っていたし、葉をちぎっていた。月は白く落ちていたし、まわりには誰もいなかった。そして指先は泥で汚れていた。それはわたしにとって何の関係もないことだけれど、きみはさっきからずっと、美しいままだった。




コメント
これまでのさくらいさんのにっきのなかでわたしはこれがいちばんすきです
なんのかんけいもないけれど
【2009/11/09 23:09】 | 管城春 #NvBLVV0c | [edit]
あれれほんとうですかそれってじょうだんぬきですごいうれしいっていうかうれしいからありがとう
まあかんけいないけれど
【2009/11/11 06:58】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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