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コップと水

2009.11.22(13:11)

金井直詩集 (現代詩文庫 第 1期34)金井直詩集 (現代詩文庫 第 1期34)
(1970/01)
金井 直

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人は死なない
人は何ものかの手で首をしめられるのだ
そのとき 人は人の形に憎悪のくぼみを残す
そのとき 人は愛をめぐらす
透明な花を咲かせる
そのとき 私はみるだろう
その現実を支えているものの姿を
眼の高さにある太陽を
             ――金井直/病舎で


 いきようようと、ユーロスペースまで行き、受付のかわいいお姉さんに「カネフスキーおねがいしますっ!」と言ったら、「…昨日で終わっています」と言われた。「すみません」と言われた。すみません。「ぼくら20世紀の子供たち」がどうしても見たかったのだけれど、見られない。フランスに行かなければレイトショーで見られるけれど、行くので、見られない。
 しかたないからBunkamuraまでロートレックを見にいった。ロートレックの絵のよさがよくわからないことがわかった。「初めての聖体拝領」がいちばんよかった気がする。子供の顔がこわくてすてき。「衣装を直す空中ブランコ乗り」もよかった。あとは、たんじゅんにロートレック以外の絵がよかった。横浜美術館で見たばっかりだけれどコルモン「海を見る少女」(横浜美術館にいっしょに行ったひとが「あれは少女じゃない」と言っていたけれど、たしかに少女じゃない。肉感的すぎるんだろう)、ポール・セリュジエ「森の中の焚き火」、ジャン=ルイ・フォラン「お目見え」、それにミュシャの絵があった! はじめて実際に見た。みゅしゃみゅしゃしていてきれいだった。裸の絵がいい。
 それから、雪ノ下さん主催の小説新人賞を獲るための勉強会的なものへ。わたしは今回作品を提出していた。たぶん、「なんでこんなわけのわからないものを最後まで読まされなければいけないんだ!」的なことを言われるだろうと思っていたので意外に褒められて、とてもうれしかった。
 最近ずっと思っていることだけれど、小説を書いているひとが相手をしなければいけないのは、漫画を書いているひとや、映画を撮っているひとや、歌をうたっているひとや、踊りをおどっているひとや、絵を描いているひとや、そして銃を持ってひとを殺しているひとだ。踊りをおどってるひとは5歳くらいからみんな熱心に踊っている。音楽をやっているひとも、そういうひとが多いと思う。小説のひとはそういうことをしないし、そういうことをしなくてもいいという幻想しかない。彼女が5歳の頃から踊りをおどっていて、そしてわたしがかりに言葉を使って何かを表現したいと思うならば、わたしはそれに何か応えるべきだった。でもわたしは何も応えなかった。何故なら、彼女は踊りをおどっていて、わたしは文章を書いているからだ。前提としてのずれを前にして、わたしたちは目をそらしている。でも、小説を書いているひとが相手にしなければいけないのは、まさしく彼女だった。彼女とわたしは「ずれ」という一点だけで同じになれる。「ずれ」ということがおそらく唯一の共通認識だった。彼女が踊るならば、兵士は銃を撃ってひとを殺す。その行為は行為という意味では何も変わらない。レバノン戦争の際、ファランジスト民兵がパレスチナ人にたいして「俺たちはやつらを殺して、その娘と妻を犯しにいくんだ」と言った。1000年前のことではなくて、たった数十年前のことだ。それが言葉なら、何よりも文学が扱うべき問題だった。この言葉よりも上等な文学というのは書かれたことがないのかもしれない。それは、とても好きなひとから「愛しているよ」と言われる以上には文学は存在できないということだった。書くということにほとんど意味はない。書いたものが多くのひとに読まれることにも、ほとんど意味はない。片岡義男はオオカミ少女の例をあげて「人間は言葉がなければコップから水を飲むことすらできない」と言った。それは「人間は言葉を持っていたとしてもせいぜいコップから水を飲むくらいのことしかできない」と何がちがうんだろう。わたしは今まで言葉を使い、コップから水を飲む以上のことを何かしたんだろうか。コップから水を飲みつづけることしかできないならば、そのひとは他人に何をしてあげることができるんだろう。文学はコップと水を持ったひとが次にどうするかというだけの話だ。くだらない話だ。でも、それがわたしにとってはせつじつな問題だ。たぶんきみはコップと水をわたしの手からは受けとってくれないだろう。たぶんきみは、わたしにコップと水をわたしてはくれないだろう。それがわたしが思う問題だ。そしてたぶん、わたしがイスラエル兵にコップと水をわたしたとしても、彼は「ありがとう」と言ってひとを殺しにいくだろう。




コメント
清王朝以前の士大夫階層とか近世以前生まれの日本の知識人(特に士族・武士の男性)は小さな頃から「漢詩を詠む」ことを学ばされる(同時に四書五経というややこしいものも学ばされるのがマイナスですが)ので、まあちょっとあれなのではないかと。むろん、「小説を書く」ことと「漢詩を詠む」ことは全く別なのだと思いはしますが。
そんな訳で曹操の息子の曹植なんかは(たぶん)20歳になる以前に「お酒はおいしいよ、キラキラ」(超意訳)みたいな漢詩を詠んでいます。そして、彼は「古代中国の最高級の詩人」でありながら、「自分が酔っ払いであることを他人に知らせる」ことしかできませんでした。小説家とは事情が異なりますが、詩人も「何もできない」訳ですね。
【2009/11/27 20:14】 | 上田洋一 #- | [edit]
意外と短い渡仏だったのか~
無事で、なにより。

ところで上田さん!僕が返事すべきスジではないかもですけれど

> 「自分が酔っ払いであることを他人に知らせる」こと

が出来るだけでも、すてきなことに思えます!
詩人が「何もできない」として、はたして何かをしたい人が詩人になるか?
という疑問もありますね。
みんな何がしたいんですかね。 わからない。
何もしなくたって、生きてはいける気がします。

何かしたい!と望む心も、大切に思いますけど
たとえば曹植さんは「最高級の詩人」と讃えられることより
酔っ払ってる時間が幸福だったから詩を書いたんじゃないか。
それで、なにも、わるくないように僕は思ってしまいます。
【2009/12/01 09:19】 | 鈴木陽一レモン #mQop/nM. | [edit]
>そして、彼は「古代中国の最高級の詩人」でありながら、「自分が酔っ払いであることを他人に知らせる」ことしかできませんでした。小説家とは事情が異なりますが、詩人も「何もできない」訳ですね。

何もしないという選択を全力でしつづけるのが、ある意味では詩の役割だと思うことがあります。
T.S.エリオットか誰かが「わたしは投票以外の政治活動をしたことがない」と言っていたという話を読んだことがあります。何かをした途端それが詩人でなくなってしまうのかもしれません。
よくわかりませんが、「ルソーの本がフランス革命のきっかけとなった」と言えても「ルソーの本はフランス革命だ」とは言わないわけです。「ルソーの本はフランス革命だ」と言うのは詩的な表現です。でも、その「言語」という「行為」は「詩」だし「何もできない」と言われるのです。言語は何かと何かを接着剤みたいにぺったんとくっつけることができます。でもそれが「何もしない」ということなんですね。たぶん。「何もできない」、「何もしない」というのはくっつけるということなのかもしれないです。僕がイスラエル兵に水の入ったコップをわたしたとしても、それは「コップの入った水をわたした」という行為であって、「詩」ではないんです。そして「コップの入った水をわたしたという行為は詩だ」ということが「詩」なんです。たぶん。これは、ばかみたいな言いかただと思うんですけれど。
ヘンリー・ダーガーというひとがいます。彼は誰ともほとんどしゃべらず完璧にひきこもって世界でいちばん長いばかみたいな変態ロリコン小説(たぶん)を書いて死んでいきました。それを誰にも見せることはなく、ダーガーはひとりで小説を書き、その挿絵をこつこつと描いて、死にました。社会的に見ればまったく価値のないくずみたいなひとです。僕はダーガーという存在を存在として保たせるためだけに詩があってもいいと思います。そしてそれはやっぱり「何もできない」ということかもしれませんが。
【2009/12/03 07:35】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
た だ い ま !

僕宛じゃないのでだいたいノーコメントです。僕宛じゃないこともどんどん書いてね。
ただ、何かをしたいひとは何かをすればいいし、何もしたくないひとは何もしなければいいとは思いました。でも実際に何もしたくないひとも何もしないで生きているわけにはどうにもいかんので、暇つぶしに詩を書いたり小説を書いたりするのですね。さらに、何かをしたくてもできないひとがいて、何もしたくないのに何かしちゃうひとがいて、世界はとってもたいへんだなあとも思います。どきどき。
【2009/12/03 07:59】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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