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フランス旅行 その1

2009.12.02(02:57)

 1日目

 ようするに、成田へ行くためにバスで2時間30分、そこから韓国のインチョン空港まで2時間、インチョン空港からパリのシャルル・ド・ゴール空港まで10時間くらいかかるわけなので、「移動中眠ればいいや!」と思ってほとんど眠らず、ムルナウ「吸血鬼ノスフェラトゥ」を見ながら眠らず、颯爽とキャリーケースをひきずって駅まで行き、バスを待った。TNが来た。バスも来た。わたしはバスに乗って成田まで行った。TNが「マック行こうぜマック」と言うのでマックに行ったけれど、成田のマックはいろいろに意味がわからなかったので、何も買わずに帰った。TNの携帯電話がフランスでも使えることにびっくりした。いまどきの携帯電話はすごい。親切に教えてくれたドコモのひとが「メール1通50円します」と言っていた。「通話は1分180円です」と言っていた。ふいーん。
 わたしは飛行機が飛ぶ原理を理解していないので、あれが飛ぶわけがないと思っていた。だいたい、滑走路を高速で走るだけで何故機体が浮かびあがらなければいけないんだろうか。機長さんもキャビンアテンダントのお姉さんもきっと飛ぶ原理は理解していなくて、「滑走路を高速で走ると飛ぶからよろしくね!」と誰かに言われて「おーけーおーけー」と答えて、滑走路を全力で走っているだけにちがいない。飛行機は50メートルを全力で走る小学生と何も変わらない。「飛べる」と小学生は思っている。「わたしは飛べるわ!」。「かなわない夢はないんだわ!」。飛行機は飛んでいたけれど、小学生が飛べないのと同様飛ぶわけないので、雲の上をびゅんびゅん飛んでいたのも、気のせいだった。無事滑走路を走って、海の上をばしゃばしゃ走って、インチョンについた。かむさはむにだ。関係ないけれど、キャビンアテンダントのお姉さんはみんな同じような髪形をしていて、みんな同じような髪形をするのをやめれば、空の旅ももうちょっと楽しくなると思う。
 インチョンからパリへ行った。飛行時間が気が遠くなるほど長いので、ずっと「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいた。「ねじまき鳥クロニクル」がおもしろすぎるので、そのほかのことがどうでもよくなりそうだった。となりに座ったひとに「初めてのパリって普通彼女と行きませんか?」と言われた。まったくそのとおりだと思ったし、死ねばいいのにと思ったし、飛行機が落ちればいいとも思った。10時間以上飛行機に乗るのはたいそうつらい。「もう足が限界だ!」、「おしりが限界だ!」と思って時計を見て、あと5時間くらいあるのを確認したとき、飛びおりたくなった。監獄に思えてくる。なんでこんなことをしているのかわからなくなる。にんげん的にひとまわり、成長できる。
 パリに着いた。シャルル・ド・ゴール空港からしてすでにおしゃれ。赤い。空港が赤い。驚くべきことに、あちこちにフランス語が書いてある! すごい。こんなにフランス語ばっかり書いてある場所なんて初めてだ。添乗員さんにつれられて、40人でぞろぞろ移動した。空港からホテルまで1時間。移動ばっかり。バスのなかでは「フランスはすりが多いです。フランスのすりは世界でナンバーワンです。バッグを隣の席において、3秒目を離すと、もうなくなっています。バッグの上にコートをかけてもいけません。コートの下においたバッグは何故かわかりませんが、すぐに消えてしまいます。ぜったいに身体から離さないでください。それと、ポケットにもものをいれないでください。街を歩いているあいだになくなっています」と言われる。神秘の国フランス。
 ホテルに着いた。TNと「とりあえず街を歩こう」と言って街を歩いた。20分散歩した。フランスの街があった。白人と黒人が歩いていた。ホテルに帰って、眠った。


 2日目

 朝早く起きて、バスでロワール地方まで行く。よくわからないけれど、その時期のフランスは昼間の時間が短いらしくて、朝の7時半くらいまで、暗い。バスから見た朝焼けは夕焼けみたいにとてもきれいだった。空の色がちょっととんでもないことになっていた。フランスはちっとも山がない平坦な土地だから、空がひろくて、大きい。ちょっとしたところでもすぐに地平線が見えた。朝から虹が出ていた。遠くの雲を見ると、よく、雨が降っている様子を見ることができるらしかった。日本とは様式がずいぶんちがって、街と農地が分離していた。つまり、街は街としてひとかたまりになっていて、農地は農地としてひとかたまりになっている。RPGゲームみたいに、遠くから見れば「あ、あれが街だ」とわかるし、街がないところには、本当に建物がぜんぜんない。延々と農地が続いている。牧場もたくさんあって、牛や羊がたくさんいた。まわりに街がないので、農地はどこまでもどこまでも続いていた。山もないので、それが地平線へと続いて、それからそのまま空へと続いていた。牛に乗ってそのまま空まで歩いていけそうだった。パリでも人口は300万人、東京の2倍の広さで人口が3分の1だ。土地がゆったりしていて、建物も昔ながらの様相を残していた。規制が厳しいらしくて、内装はどんなにいじってもいいけれど、外装はいじってはいけないらしい。風景を存続させること。そして伝統。
 風景を見たあと、シャンボール城に入場。ひろい。サルコジさん専用の狩場があるらしかった。門をくぐってからも、ぜんぜんお城に入ることができない。パリ市内よりひろいとか、ひろくないとか。お城の敷地のなかには村もあって、20人くらいのひとが暮らしていた。買い物とかどうするのか謎すぎたけれど、とにかく、ひとが住んでいた。かつてのフランス人は頭がたいへんわるかったらしく、お城をうっかりひろくつくりすぎてしまった。暖炉の数は数百個あるらしいけれど、そんなものではぜんぜんあたたまらず、冬は寒すぎて住むことができなかったらしい。うん。ばかなフランス人だいすき。1時間くらい時間をとって、お城のなかを見てまわる。ダヴィンチが設計に関わったとされる二重階段、無闇に高い天井、ぼくぼくと燃えつづける暖炉、真っ白なお城。歩きながらTNと「で、このお城の名前、なんだっけ?」と話しながら、帰る。「このお城ってけっきょく、誰が住んでたの?」。近くのレストランで鶏肉を赤ワインで煮込んだ料理を食べる。名前は忘れた。味も忘れた。でも、けっこう、おいしかったような気がする。わたしはあらゆる味がわからない味音痴だけれど、せっかくフランスに来たのでということで、ワインを飲む。あらゆるワインがおいしい。おいしいような気がした。おいしいような気がするワインはとてもおいしかった。ボジョレー・ヌーヴォーは高級なワインではなく、むしろ安いワインだと初めて知った。あれは真っ先にできるワインで、今年のワインの出来のよしあしを占うものらしかった。今年のボジョレーは出来がいいらしいので、つまり、今年のワインはおいしいらしい。
 ダヴィンチが埋葬されているという噂のアンボワース城を遠目に見ながら、えんえんバスに乗って、サン・マロという街のホテルへ。魚料理を食べ(味も形態も忘れた。でもけっこうおいしかった気がする)、シードルという林檎のお酒を飲んだ。林檎のお酒みたいな味がした。フランスのデザートは全部おいしい。全部おいしい。


 3日目

 朝早く起きて、サン・マロの街を散策した。サン・マロはパリのあたりとはちがって、完全な旧市街だった。城壁に囲まれた港町で、もう城壁はいらないのに、大事に残していた。新開発地区はちがうのかもしれないけれど、やはり建物が統一されているので、街並みが衝撃的にきれいだった。こんなにきれいな街があっていいのかと思った。城壁の上をてくてくと歩いた。とても小さな街なので、すぐに一周できてしまう。潮風が吹いて、淡い光をたたえた船が遠くにとまっていた。朝が遅くて、出勤をするひとは暗いうちに城壁の門をくぐって、車ででかけていった。朝から街灯があちこちでついていた。街灯の色もオレンジで統一されていて、街の広場になると、控えめに青色や桃色の光が混じっていた。
 バスでモン・サン=ミシェルまで行った。TNが「ラピュタのお城のモデルになっている」と言っていたけれど、本当かどうかは知らない。岩の上につくられたお城で(フランス人はばか)、人工的な建物とその自然美がともに評価された世界遺産中の世界遺産という、すごそうな場所。それで、実際にすごかった。なかに入ったらもろに観光地チックでびっくりしたけれど、ちゃんなかに入ると、ちゃんとすごかった。ところどころ苔に覆われた場所で、階段などはごつごつとしてのぼりづらくて、しっかりしたきれいな古さを持った修道院があった。柱が太くて、大きい。壁がきれいだった。尖塔がぴんと空につきささるようにのびていて、高いところにのぼると風が強くて、怖い。真っ黒な服を着た修道士さんがこつこつと音を響かせながら歩いていた。「もの」がないのがすごいのだと思う。ひろい空間、そして柱やそのほかの実用的だったはずのテーブルまでもほとんど「もの」としての機能を有しているようにはちっとも見えなくて(実際は実際に有してはいないんだろうけれど)、全部が場所が場所としてあるように見えた。ひとがほとんどいなかったのでいいと思う。
 名物のオムレツを食べた。名物のオムレツは味がなくて「???」と思っていた。ものすごくふわふわしていたせいか、食感すらない。謎の物体、オムレツ。となりの女の子が「これ、けちゃっぷ欲しい」と話していたのが印象的だった。ワインを飲んだ。モン・サン=ミシェル内のレストランなので、建物も数百年前のものを使いつづけている。たとえば、階段なんかはとても狭くて使いづらいけれど、そんなことはお構いなしに、そのまま使いつづけている。
 バスで5時間かけてパリまでもどった。しかたなくホテルのレストランでごはんを食べた。メニューを読んでも何がなんだかさっぱりわからず、ウェイターにも英語が通じないので、さっぱりわからないものを頼んだ。システムがわからなかった。頼んでもぜんぜんこないので不安になった。となりの美人フランス人はもうとっくに食べおわっているのに、何故わたしたちの食事は運ばれてこないのか。「まあ、あんなジャパニーズは放っておけばいいさ」と思われていたのか、それとも料理を持ってこさせる不思議な呪文があるんだろうか。TNが「まかろにぐらたん」(と読めたもの)を頼んでいたので、「きっとマカロニをつくっているんだよ」と言ってみた。わたしは魚を頼んだので(「ふぃっしゅ?」とか訊いてきたので「ふぃっしゅ」と答えた)、「今魚をとってきているだなあ」と思った。1時間30分後に料理はやってきた。帰り、部屋にもどるためにエレヴェーターに乗り「なんでごはんを食べるだけでこんなに疲れなければいけないんだろう」と言った。
 部屋にもどり「念のためカメラを充電しておこう」と思って、変圧器をコンセントにさしたら緑色の炎を吹いて爆発した。唖然とした。TNがこの旅行のために4万円近いデジカメを買っていたので、「とりあえず、変圧器が本当に壊れているかどうか調べるためにそのカメラを充電してみよう」と言ったけれど、拒否された。けちだ。「6000円で買ったけれど、特別に2ユーロで売ってあげるよ」と言った。でも買ってくれなかった。けちだ。「身体のなかを電気が通らなくてよかったな」とTNがぼそりと言った。わたしはホテルのなかで死にかけたのかもしれない。




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