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フランス旅行 その2

2009.12.02(02:57)

 4日目

 もうこの日から自由行動だ。ツアーで行くと、ホテルの手配などはすべて楽ちん、移動も楽ちんだけれど、お城を見ているあいだに「それでこのお城は何ていう名前だっけ?」と言いだしたりするので、やっぱりツアーではなくて自分で調べて、適当に行ったほうがいいと強く思った。でもツアーだとバスのなかのトークが意外に楽しい。そういえば、添乗員さんがとてもいいひとだった。感謝したい。
 朝からヴェルサイユ宮殿に行った。いつもながら何も調べながら行ったのだけれど、どうやら、ルイ14世がぶいぶいいわせていた宮殿らしい。あと、マリー・アントワネットもぶいぶい言っていたらしい。わたしはTNに「ルイ14世とルイ15世とルイ16世はいったい何がちがうんだろう」と訊いてみたけれど、TNは何とも答えなかった。今調べたらルイ14世が太陽王で絶対王政をがんばったひと、ルイ16世がフランス革命のときに処刑されたひとかもしれない。でも、なんでもいい。徳川の将軍の14代と13代のひとの区別がつかないように、ルイの何代も区別がつかないだろう。
 宮殿はばかみたいにひろいので、ばかかと思った。豪華絢爛で、金色にぴかぴかしていて、天井にはがんばりすぎた絵がべたべたと描いてあって、一部の隙もない。「だいたい全部見まわったかな」と思い地図を見たら、全体の50分の1くらいしか見まわってないことに気づいた。中庭にでたら、遠くのほうで噴水があがっていた。てくてくと、どこまで歩いていっても先が見えなかった。庭園内に大トリアノン、小トリアノンと宮殿がふたつあって、あと、マリー・アントワネットが住んでいたらしき家があった。家はすごかった。でも、家から宮殿まで果てしなく時間がかかるので、よく意味がわからなかった。スマートなひとたちは宮殿のなかを見て、それから庭をしばらく歩いて、帰るにちがいない。スマートではないわたしたちは庭をいつまでもてくてくと歩いて、たいへんに消耗してしまった。庭を歩いていると、汽車とすれちがい、馬に乗った兵隊さんとすれちがった。ぼんじゅーる。「マリー・アントワネットはここを歩いて移動しないと思うよ」とTNがぼそりと言った。
 宮殿内のレストランに勇気を持って入った。何を食べたのかは覚えていない。呼んでも気づいてもらえないことが多く、さらに、「わたしはフランスならどこでも英語が通じるだろう」と何故か思いこんでいたけれどそんなわけがなく、わたしはフランス語は「ウィ」(はい)と「ノン」(いいえ)と「ボンジュール」(おはよう・こんにちは)と「ボンソワール」(こんばんは)と「パルドゥン」(失礼)と「メルシ」(ありがとう)しか冗談抜きで知らないしそれしかしゃべらなかったので、注文にたいへん苦労した。だいたい、日本語ですらまともにしゃべることができないにんげんが、ほかの言語でまともに会話できるはずがない。英語で話しかけるとそっこうでフランス語で言いかえされ、何を言っているのかわからず、「何を言っているのかわからない」という顔をしているとぷいと行ってしまうので、たいへんに苦労した。ぼんじゅーる。フランスは外食費がとても高くて、ちょっとしたものを頼んでも数千円してびっくりした。水を頼むだけでもへたすれば500円ぐらいかかるので、びっくりした。クロワッサン1個も数百円するので、クロワッサンは実はごちそうだ。フランスのクロサッワンは衝撃的においしい。毎朝クロワッサンを食べていた。くろわっさん。
 ヴェルサイユ宮殿をでて、メトロに乗ってコンコルド広場まで行った。フランスの地下鉄はわりに汚く、あちこちが落書きだらけだった。停車も発車も急で、油断しているとすぐにふっとばされてしまう、スリリングな乗り物だった。ぜんぜん何もなくいきなり急停車したとき、金髪のフランスの美人なお姉さんが「わー」と言ってふっとばされていた。電車はそのまま何事もなく発車していた。何か知らないけれどいきなり停電して真っ暗になることが何度かあったので、たいへんこわかった。コンコルド広場はマリー・アントワネットが処刑されたところだけれど、どこがコンコルド広場なのかよくわからなかった。クリスマスシーズンなので、コンコルド広場のとなりにあるチェルイリー公園に観覧車が設置されていて、ぺかぺかと光っていた。
 パリの街並みは建物の外装が統一されていて、びっくりして跳ねあがってしまうくらいにすてきだった。照明も橙色でけばけばしくない。ヨーロッパの街は汚いと言う話を聞くけれど、そうは思わなかった。みんな、たしかに、煙草を吸ったらそこらへんにぽいぽいと捨てていく。でも、道の端に捨てられてあるので、そんなに目だつわけではなかった。「なんだこの建物、すごい!」と思える建物が連続していたけれど、そう思う建物でもすごい建物というわけでもなく(普通の学校だったりする)、とにかく、すごい建物ばかりがずっと並んでいて、歩いていると、楽しかった。建物の外観もそうだけれど、建物の高さもできるだけ均一になっていた。遠くから見ればエッフェル塔がとてもよく目立つ。区画整理もされていて、「ここは道路!」、「ここは建物!」と場所がしっかりくぎられているように見えた。街全体がひとつの調和として、ごみごみした雑多な場所として調和を保つようにつくられているのがよくわかったような気がした。もちろん、コンビニなんてない。タルコフスキーは緑色を使うのがびっくりするくらいじょうずだけれど、それと同じように、ひとつの色を基調として街が統一されている。つまり、街にあわせて建物をつくっているように見えた。楳図かずおのへんてこな家が話題になっていたことがあった。わたしをあれを見たとき「家ぐらい自由につくればいいのに」としか思わなかったけれど、パリの街並みのように「街のなかに家をつくる」という感覚を残したいのなら、異質な建物を排除するという選択肢はありなのかもしれないと思った。レストランの階段などもそうだけれど、本当に狭くて歪んだ階段なのに、それでも使っている。日本はヨーロッパよりもアメリカ向きだろうから、便利な場所にするために「街のなかに建物をつくる」という感覚では、もしかしたら発展できなかったのかもしれない。でも、「建物をつくって街を形成する」という感覚ではもしかしてきれいな街はつくれないんじゃないかと思った。わたしは建築のことは何も知らないし、街に愛着を抱かないし、基本的にどの街もきらいだと思う。日本にきれいな街がないというところまでは思わないけれど、それでもたぶん、いつまで経ってもわたしはたとえば東京や埼玉のどの街も好きにはなれないだろうと思った。
 ひとつのポイントは住みわけだと思う。ホームレスとホームレスではないひと、地下鉄と地下鉄ではない場所、車とひとと自転車、建物のなかとそと、教会と教会ではない場所、橋と橋ではない場所、それぞれの住みわけがきっちりとなされているから、その住みわけによって街はきれいになれる。でも、東京はそういうことはしない。それが東京の美意識で、東京の機能美だったんだと思う。
 ゴダール「勝手にしやがれ」でセバーグとベルモンドがいたシャンゼリゼ大通りを歩いて、途中のレストラン(チェーン店)で夜のごはん。貝を食べた。同じツアーの旅なれたおじさんやおばさんに「チェーン店のほうが楽だ。悪くない」と言われていた。貝がでた。お肉もいっしょに頼んだら、ポテトがどっさりきた。お肉のお皿に大量にポテトが載っているくせに、さらにべつのお皿にポテトがどっさり載っているのはどういうことだと思った。うっかりポテトをもぐもぐ食べていると「メインはお肉と貝なんだからそっちを食べたほうがいいと思うよ」とTNに言われて正気にもどり、お肉と貝を食べた。相変わらずデザートがおいしかった。となりのテーブルにリア充な日本人グループ(どこからどう見てもリア充、TNはあれはKO大学にちがいないと何故か断言していた)がいて、死ねばいいのにとずっと思っていた。「むっしゅ~」とか「びあ」とかフランス語英語をしゃべっているだけでいらいらし、「あんじぇり~なでしょ~らでゅれでしょ~」とスイーツなお店の名前を連呼し、「らでゅれはね~ここから30秒くらいでいけるよ~しゃしんとってくるね~」と行って店のそとに走っていった瞬間、「刺されて死ね」と思った。わたしは性格がわるいので、リア充は全員死ねばいいのにと毎日思っている。
 シャンゼリゼ大通りはクリスマスシーズンなので屋台がたくさんでていて、白い照明がぴかぴか光っていて、とてもきれいだった。人工雪みたいなものがひゅうひゅうと舞っていた。凱旋門はあちこちから橙色の光があたってきれいだった。273段の(例によって狭すぎる)階段をのぼり、凱旋門からパリの夜景を眺めた。今まで見たなかでたぶん、いちばんきれいだった。凱旋門からは大きな通りが放射線状に(たぶん)12本伸びていて、車のライトが二色にくっきりとわかれていた。道路と道路のあいだが建物の明かりで彩られていた。風が強くて、遠い空は真っ黒になっていた。その下だけが明るかった。不思議な街だと思った。
 がんばって降りて、今度はエッフェル塔に向かった。エッフェル塔は凱旋門から見えるので、地図を頼りにてくてく向かう。明らかに人通りがぜんぜんないこわい路地に入りこみ、TNが「ここは旅行者が通っちゃいけない道だと思うよ」と冷静なことをしゃべった。警察がときどきうろうろしていたけれど、全員ごついピストルをぶらさげ険しい顔をしているので、今にも撃ちころされるんじゃないかとも思った。
 エッフェル塔はライトアップされていて、いろんな色に光ってきれいだった。のぼろうかとも思ったけれど、ばかみたいにひとが並んでいて、むりだった。帰ろうと思ったら道がわからなくなった。地下鉄の駅がない。しかたなく、そこらへんのこわくなさそうなおばさんに道を訊ねたけれど、フランス語をべらべらしゃべりまくるので、何を言っているのかわからなかった。とりあえず指さした方向に歩いたら駅はなかった。謎だった。こわい。めちゃくちゃに歩きまわって無事発見して、ホテルに帰った。


 5日目

 朝からノートルダム大聖堂に行った。でも、ノートルダム大聖堂に行く前にうっかりサント・シャペルを見つけてしまったので、先にサント・シャペルに入った。ステンドグラスが美しい建物と聞いていて、ステンドグラスが美しかった。関係ないけれど、サント・シャペルは(最高?)裁判所のなかにあるので、荷物チェックが非常に厳しく、こわかった。荷物チェックが終わってうろうろしていると、フランス人のお姉さんに(たぶん)フランス語で何かべらべら訊かれたけれど、何故わたしに聞くんだろうか。こわい。
 ノートルダム大聖堂はとてもきれいだった。いいかげんヴォキャブラリが限界に達して「きれいだ」としかあほみたいに言いつづけるしかないのだけれど、ここは本当にきれい。犬みたいにぐるぐるとまわって、ゴシックな音楽がずっと流れていた。ろうそくをそっと灯した。何も祈らなかった。何も祈らないわたしの前で祈っているひとがいた。
 そのあとは、オルセー美術館に行った。「絵なんて日本でも見られるからいいや」と思って、べつに美術館に期待してはいなかったのだけれど、オルセー美術館のラインナップにはびっくりしてしまった。「いい絵しかない!」と思って大昂奮した。たとえるならば、ジャン=エヴァレット・ミレー「オフィーリア」級の絵がそこかしこに並んでいる感じだった。「なんだこの美術館やばい」と思った。
 クールベの大きな絵が三枚かかった部屋があって「うっひょー」と思った。クールベさいこう! ほかにはミレー「落穂拾い」(!)もきれいだし、ルノワール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」がすごかった。ルノワールは一時大好きだったけれど、ピカソとかシャガール、あるいはイヴ・タンギーなどそれ以降の画家たちのほうに興味が湧いてきて、しばらく離れていた。でも、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のような絵をあらためて見てしまうと「すごい!」と思う(来年の国立新美術館のルノワール展は行く気がなかったのだけれど、急に行きたくなった。わたしはロリコンなので「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像」がどうしても見たい。でも小さく「大阪のみ」と書いてある。死ぬほど悲しい。大阪まで行けということだろうか。ルグラン嬢もいいけれどイレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢もいいよね。悲しい)。ロートレックの絵が意外にたくさんあった。ロートレック展を見たばかりで、「あんまり好きじゃないな」と思っていたのだけれど、オルセー効果なのか、ロートレックの絵もよく見えた。彼は一目で「ロートレックだ」とわかるのがすごいと思う。わたしはモネとマネの区別がつかないのだけれど、モネだかマネだかの絵もたくさんあった。あと、裸の美女に囲まれて鏡の鎧を着て阿呆みたいに天を仰いでいる男の絵に衝撃を受けた。フランス語だったから作者もタイトルもわからなくて、悲しい。本当はゴッホとゴーギャンの絵もいっぱいあったけれど、閉鎖中で見られなかった。どこかにあったのかもしれないけれど、見つからなかった。ゴッホはともかく、ゴーギャンは見たかった。オルセー美術館では、絵の前に座って模写をしているひとがたくさんいて、いかにも美術館という感じで、一回見るかぎりでは、とてもよかった。オルセー美術館では昼食を食べた。ここのお姉さんは英語がしゃべれるし進んで注文をとりにきてくれるし、ていねいに料理の説明をしてくれたので、とてもうれしかった。そして、ひとりだけウェイターにびっくりするくらいかわいいひとがいたので、もっとうれしくなった。
 オルセーのあとTNが「お土産を買いたい」と言うので、パリの老舗百貨店プランタンに行った。わたしはお土産を買うという文化を持っていないし、「日本ですら行かない百貨店に何故行かなきゃならないんだ」とぶーぶー言っていたけれど、ぶーぶー言ってもしようがないので、行った。プランタンの一階には高島屋のサービスデスクがあって、日本人がいて、日本語でいろいろ教えてくれた。お土産屋さんはどこかと訊いたら、ここではなく、となりのギャラリー・ラファイエットだとにこにこていねい教えてもらう。日本人の接客最高。プランタン、ギャラリー・ラファイエットの前の通りは新宿とか渋谷とかそういうレベルではなく混んでいて、歩くことすら困難だった。車はちっとも動いていないし、赤なのにひとは渡るし(フランス人は基本的に信号は守らないけれど、いくらなんでもあれはやりすぎだと思った)ひかれないように道路を渡るのが何かの作戦行動みたいに思えた。
 H&MがあったのでTNが「行きたい」と言った。「ここはパリで最大の売りあげを誇る服屋なんだぜ!」と言っていたけれど、本当かどうかは知らない。わたしは「渋谷に行けよ」と100回くらい言った。でも、TNは聞いていなかった。「パリで買ったということが大事なんだ!」と言っていた。ロマンチストだ。マフラー等を買って颯爽とでようとしたら、警備員に呼びとめられ、荷物とレシートをチェックされた。マフラーについたタグをきれいなお姉さんの店員がはずしわすれて、そのせいで警報が鳴ったらしかった。英語が通じたからよかったけれど、こわい。きれいなお姉さんだからってひどい。また人ごみをかきわけてギャラリー・ラファイエットまで行った。買い物をした。プランタンまでもどって高島屋のお姉さんににこにことレストランを教えてもらって行ったけれど、何故かスイーツしかない。しかたないのでスイーツをみっつくらい食べた。高島屋のお姉さんがまちがっていたのか、わたしたちがまちがっていたのか、よくわからないけれど。わたしは日本語すら認識できなくなってしまったんだろうか。
 べつにそんなに行きたくなかったのだけれど、オルセー美術館がショックだったので「近代美術館に行こう!」と言った。パリの三大美術館と言われているのがルーヴル、オルセー、近代美術館で、この順番で年代も古い。近代美術館は印象派よりあと、つまりカンディンスキーの抽象絵画、マティスのフォーヴィスム、ピカソ、ブラックのキュビズム、イヴ・タンギーなどのシュールレアリスム系の絵画が集まっているところで、いちばん見たかった。わたしもTNもすっかりげっそりしていて、TNがそんなものに興味がないこともわかっていたけれど、「行こう! 行こう!」とぶーぶー言って、行った。行ったらまさかのストライキだった。閉まっていた。わたしは危く崩れおちそうになった。「GREVE」とガラスのドアにびっしり貼られていた。TNはよっぽどうれしかったのか、GREVEの前で写真を撮っていた。しかたないのでホテルまで帰ることにした。
 ホテルの前でいっしょにツアーに参加していたおばさんたちに呼びとめられてO-Sushi(!)をおごってもらった。おばさんたちは日本語でウェイターに注文しまくっていて、通じるはずないのに何故か通じていて、「ほう。こうすればいいのか」と思った。しばらくお米を食べていないせいでおいしいはずのないO-Sushiがとてもおいしい。「Miso-Soup Death」と言ってもってきたMiso-Soupには明らかにひとかけらのMisoも入っていなかった。Chu-kaの味がしたし、よくわからないものが浮いていた。おばさんたちはたくさん旅行していたらしくて、「イタリアがすごい。タイがすごい。ハワイには毎年行っていてもう飽きた」と会話をしていた。象に乗ったと言っていた。象に乗ったおばさん。




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