スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

暴力と和解

2009.12.15(20:13)

NHKにようこそ! (1) (角川コミックス・エース)NHKにようこそ! (1) (角川コミックス・エース)
(2004/06)
滝本 竜彦大岩 ケンヂ

商品詳細を見る

晩年 (新潮文庫)晩年 (新潮文庫)
(1947/12)
太宰 治

商品詳細を見る

 芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。
                 ――太宰治/葉


 自由を求めて生きているわけじゃない。たぶん、他人という存在はあらゆる暴力だ。たとえばどこかで待ちあわせていっしょに遊ぶ、そういうやりかたによってわたしは自由を奪われている。けれども、こんなにも不愉快なことがうれしい。自由を奪うものを暴力と呼ぶのならば、逆説でもなんでもなく、わたしは暴力を愛している。でもそれは気むずかしくて、たんじゅんに愛せはしない。わたしはそのひとが好きなら好きだし、そのひとがきらいならばきらいになりたいだけだ。わたしには和解が存在している。和解とは言葉のことだ。

   ◇◇◇

 事業仕分けが進んでいる。政治に今までいっさいの関心をはらってこなかったけれど、あちこちで、文化推進のための経費が削減されるとみんなが怒っている。オーケストラのための予算がカットされれば、日本にはオーケストラがふたつしかなくなってしまうかもしれないらしい。ふたつ。わたしは今日はじめて政府のひとにメールを送った。その考えには反対だと言った。もう2度としたくない。
 ダルウィーシュというパレスチナの詩人は「詩を持たない民族は強くなることができるだろうか」と言った。「わたしはわたしが好きになりたいひとを好きになりたい」と思ったとき、ひとはどう行動すればいいのか。ドストエフスキーが「地下室の手記」を書いてくれたおかげで、わたしたちは実際に何かをぐちぐち言うことができるようになったんじゃないのか。

   ◇◇◇

 今日は研究室の掃除をした。机とか椅子や棚などをいったん全部そとにだすのだけれど、みんな、再びなかに入れるとき、「これはこの位置にあったよね」とほいほい言いあてることがすごいと思った。あたしは自分の部屋や自分のまわりのものにとにかく残酷なまでに関心がないので、いったんものを動かしたら、もうどこにあったのかわからない。空港で、自分のキャリーケースを受けとるとき、コンベアにのってがったんがったん流れていく荷物を見ていても、いつもどれが自分のものなのかさっぱりわからない。こわい。
 大岩ケンヂの「NHKへようこそ!」の1~3を読んだ。たとえどんなにひきこもっていても、岬ちゃんが来てくれるのだから、なにかつらいことがあったとき、すぐにひきこもろうと思った。たぶん、岬ちゃんが来てくれないのならば、ひきこもりぐあいがたりないだけだ。もっともっとひきこもるべきだ。

   ◇◇◇

 ねむい。でも、がんばる。ぷん。




コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/748-7800d0e3
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。