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糞を投げてくるひとには言葉を

2009.12.20(10:34)

糞神糞神
(2009/10/14)
喜多 ふあり

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ボーダー&レスボーダー&レス
(2009/11/07)
藤代 泉

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 昨日はかちゃかちゃと少しだけプログラムをいじって、「行きたくないな」と200回くらい思いながら髪の毛を切りにいって、そのついでに、図書館に行って本を借りてきた。川上未映子の本と舞城王太郎「ビッチマグネット」を借りるつもりだったんだけれど、どちらもなくて、その次くらいに借りたいと思っていた大森兄弟の本もなくて、悲しくなった。しかたないから、話題になったり話題になっていなかったりする、若手のひとの本を5冊借りてきて読んだ。
 文藝賞受賞作、藤代泉「ボーダー&レス」はとてもおもしろかった。この作品のすばらしいところは、まったくどうでもいいという感じをあたしにあたえてくれるところだった。これを読んだところでまずまちがいなく人生にいっさいの影響をあたえないし、読んでも、べつにとくに何も思わないし、ほんとうに何もえられない。たんたんとした書きかたは、いかに作者が気を使って文章を削ぎおとしているかがわかるし、ところどころ寒い言いまわしも(オサレ、丁寧語)もとぼけた言いまわしとして、なんとなく享受できてしまうところがばつぐん。
 キャラクターも楽しいし、やりとりも楽しい。わたしはセフレの女の子が大好きだった。あの子ちょうかわいい。
 ここまで「どうでもよさ」を読者につきつけた作品はなかなかなくて、ほんとうにびっくりするくらいに、おもしろかった。ただし、これは前半の感想で、後半、終盤になってくると主人公の内省的な独白が多くなってきて、せっかくの「どうでもよさ」がすべて消えてしまう。「どうしてみんなの見ている前の性行為が罰で、見ていないと許されるんだろう」や「この世界のあらゆるものには溝があって、それは愛では埋めることができない」(原文ではない)みたいな文章が増えてきて、「うーん?」と思ってしまう。100ページめくらいで思いきって読みやめる勇気が必要だった。

「たんたんとした日常」→「異邦人の登場・事件の勃発」→「関係のこじれ」→「感情の爆発」→「感情の回収」

 たとえば、青山七恵「窓の灯り」でもまったく同じパターンになっていた。たぶん、もっともうまく書きやすいパターンの典型なんだろう。うまく使えばおもしろいと思う。そして、青山七恵も藤代泉もとてもうまく使えていると思う。げんに、ふたりの小説はとってもおもしろい。でも、明らかにそのパターンでは何かが失われるときもあるはずだ。 
 いつのまにかでていた喜多ふあり「糞神」も読んだ。これもおもしろかった。これはコント、あるいは極めて突発的なコメディをそのまま小説にしたような本だと思った。ストーリー自体はミステリーでおもしろい。本谷有希子などがまっとうな小説に移行している状況で、「こうくるのか!」という新鮮な驚きがあった。文章自体はカスみたいなもので、情景描写はもう芝居のト書きを軽々と超えるくらいのひどさをまざまざと見せつけてくれる。というよりも、情景描写はしない。ただ主人公の自意識を独白に変換して持ちこみ、あとは台詞で紙面を覆っていく。このひとの文章は一般に言って小説の文章ではなくて、いちばん近いのはケータイ小説だろうけれど、それともどことなくちがっていて、こんな文章でも小説として成りたって、けっこうおもしろいのだから、すごいなあとすなおに思う。タイトルが「糞神」だし、たぶんこの小説は「糞」なんだろうと思う。こんなにもかかんに読者に向かって糞を投げつけてきた作者がかつていただろうか。このひとはあんがいすごい。
 このひとは「けちゃっぷ」でもそうだったけれど、現実にたいしてどうコミットメントしていくのかを愚直に描きだしている(しかも全然成功していない)。これは一応メタフィクションになっていて、主人公はだんだん「みんなが演技しているだけじゃないか」という疑問にとらわれていく。それに、自意識があるから主人公はそういうキャラクタでいられたけれど、読者の側から見れば主人公と工藤では何も変わらないという認識のずれもある。ポール・オースターやシェイクスピアとくらべて読んだらおもしろいかもしれないと思った。




コメント
「糞」ですか・・・。「自分ん家のくみとり式便所に爆竹を投げこんで全身糞まみれになった人」のネタが「笑いの文化人講座」(ホットカプセル。全23巻くらいで完結。完結した途端にタイガースが優勝した)で採用されてましたし、広島市の古本屋には中核派が出版した「天皇に糞を投げろ!」という題名の本がありました。いやあ、「糞」っていい響きの言葉ですねえ。
【2009/12/24 16:44】 | 上田洋一 #- | [edit]
「糞を投げる」という行為に至る為には
まず自らが糞を手に掴む必要があり
ちゃんと相手にぶつけられる保証もないのに
正気で糞を掴んで相手に投げられる人は尊敬に値します。

それは勇ましく、愛のある行為に思える。
太陽の如く燃えて回転しながら身に迫る糞を
私は避けずに受け止められるだろうか。
向き合う、言葉を、かえせるだろうか。
えんがちょー。
【2009/12/29 09:37】 | 鈴木陽一レモン #- | [edit]
そうそう、
僕はもうぜんぜんそっこうで受けとめずに逃げるわけなのですけれど、
きちんと、受けとめたほうがいいと思います。
しかしながら、なんというか、
「受けとめたい糞」とか「受けとめたくない糞」というものがそれぞれあって、
たとえばブコウスキーの糞(みたいな小説)は受けとめたいけれども、
喜多ふありくんの糞(みたいな小説)はあまり受けとめたくないな、
ということもあって、
なかなか難しいことなんだと思います。
えんがちょう。
【2009/12/30 18:35】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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