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彼は花々の下にその姿を消し、そして彼自身一つの巨大な、新しい花となるだろう。

2010.01.13(23:59)

モザイク事件帳 (創元クライム・クラブ)モザイク事件帳 (創元クライム・クラブ)
(2008/02)
小林 泰三

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アサッテの人アサッテの人
(2007/07/21)
諏訪 哲史

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 宣伝です。
「森山が編集、発行、その他もろもろしているフリーペーパー『サウンド・オヴ・ミュージック』では毎年、いろんな方に1年間を振り返ってもらう特大号を発行しています。」ともっぱらのうわさの特大号にアンケートを寄稿しました。2008年をふりかえったものです。冊子自体は去年3月にでていますが、冊子に準拠したWeb版がこちらで公開されています。僕のぶんはこちらです。
 とくにBの項目が、世界に絶望していたひとが急に頭を打って世界の美しさに目覚めてしまったような、つまり、思わず「1年前の俺、頭だいじょうぶ? 何があったの?」と心配してしまうような、頭のおかしい(頭がわるくて気持ちわるい)文章で、まじで怖くて途中までしか読めないので、みんなかわりに読んでやってください。
 Gの最後に挙げてあるブログのひとつはもうすでに読めません。もうひとつはしばらく更新がとまっています。僕がわざわざ褒めるブログはもれなく閉鎖・更新停止・一時更新停止など、諸症状に見舞われます。

   ◇◇◇

 日曜日に、地元のワーナー・マイカル・シネマズで「アバター」を見た。眼鏡の上に眼鏡を重ねて見てきた。画面が立体になっていた。りったい! 寝不足で言ったために、3時間中1時間30分くらいは確実に寝ていて、気がつけば感動のエンディングを迎えていた。「おお!」とあたしは思った。
 見ていて、「このひとたちはもうちょっと頭を使ったほうがいいんじゃないのかな」と思った。舞台は22世紀なんだから、よく考えたらみんな22世紀っぽい考えかたをしていなければいけないはずなのに、でてくるひとはみんな紀元前くらいのひとに見える。でも、「22世紀だから22世紀っぽい考えかたをしなくちゃいけない」というのは、もしかたらたいがいのSF作品におけるタブーで、だいたいのすぐれた作品も、舞台が22世紀だからって、22世紀っぽい考えかたはしていないのかもしれない。「22世紀っぽい考えかた」の最大の問題は、「22世紀っぽい考えかた」がどういうものかさっぱりわからない、ということだと思う。「メトロポリス」、「時計じかけのオレンジ」、たぶん、あたしが考えられる「いかにもな未来」というのは「機械化された人間」≒ 「全体主義社会」ということぐらいしかなくて、どこもかしこも、それをひきずっているんじゃないかと思う。あたしたちが想像できる「未来のにんげんの考えかた」は過去の集積でしかない。未来を描くのは難しい。去年見た映画のなかでとくに衝撃を受けたザック・スナイダー「ドーン・オブ・ザ・デッド」は未来が舞台になっているわけではないけれど、ああいう描きかたにはちょっぴり、未来というものを感じる。
「アバター」ではかつて西洋が植民地をがっこんがっこんつくりまくったこと、あるいはアメリカがインディアンを虐殺してきたこと、そういった歴史を想起させるくせに、そういったものへの感慨や想像が何も含まれていないように見えて、「そりゃ飛行機もうっかりビルにつっこむんじゃないか」と思った。「『アバター』はそういう映画ではない」と言われればもちろん「そりゃそうでしょう」と言うしかないのだけれど、監督はどういうふうにものをつくっているんだろう。
 このひとたちは、「怒り」、「悲しみ」、「憎しみ」、「さみしさ」などの感情を、ある一定時間において一種類しか持っていないように見える。「怒り」があるときには「怒り」だけしかなく、しかも、その感情は決して持続しない。このひとたちは前に起こったことをすぐに忘れてしまう。何故なら、すぐに忘れてしまわないと、話が次のシーンに移らないからだ。たぶん、監督には撮りたいシーンがたくさんあったんだと思う。それは、たいへんなことだ。とてもたいへんなことだったんだと思う。たいへんすぎてしまったのか。わからない。ぜんぜんわからない。しかも、けっこうおもしろいところも、この映画の謎のひとつだ。

   ◇◇◇

 小林泰三「モザイク事件帳」を読んだ。登場人物の性格がみんな破綻しているところがいいと思う。地の文がほとんど書いていないのに文章がおもしろいところがいいと思う。「更新世の殺人」と「正直者の逆説」がとくによかった。くだらなすぎる。「馬鹿とは口もききたくない」、「馬鹿と同じ空気を吸うことにはたえられない」とか言っているだけの新藤礼都がちょうかわいい。
 諏訪哲史「アサッテの人」を読んだ。想像を絶するつまらなさの最初の30ページに唖然としたけれど、中盤から展開と筆に勢いがでてきて、とてもおもしろい。後半は尻すぼみだった。でも作者自身が小説のなかで「竜頭蛇尾」とわざわざ言っているのだから、それでいいのかもしれない。「ポンパ!」と思わずさけびたくなるのがこの小説の最高の美点だと思う。あとちゃんと笑えるところもすてき。
 ジャン・ジュネの「泥棒日記」(新潮文庫 朝吹三吉訳)をぼちぼち読みなおしているけれど、この小説はひょっとして、世界でいちばんおもしろいんじゃないだろうか。

 徒刑囚の服は薔薇色と白の縞になっている。もし、この、わたしが居心地よく思う世界を、自分の心の命ずるままに選びとったのだとすれば、わたしには少なくともそこに自分の欲するさまざまな意味を見いだす自由はあるだろう、――それで、花と徒刑囚の間には緊密な関係がある。一方の繊弱さ、繊細さと、他方の凶暴な冷酷さとは同じ質のものなのである。わたしは、徒刑囚――か犯罪者――を描くことがあるたびに、その男を数々の花で飾ってやるだろう、そのため彼は花々の下にその姿を消し、そして彼自身一つの巨大な、新しい花となるだろう。


 わたしは兵食の残りをわたしの椀に一杯入れてもらってから、独りで隅の方へ行ってそれを食べた。わたしは、椀に顔を埋めて、心の中で崇高で卑しむべきスティリターノの一つの映像を大切に抱きつづけていた。わたしは彼の力を誇らしく思い、そして、彼の警察への内通に力強く支えられているのを感じた。わたしは一日じゅう、悲しい、しかし厳粛な気持ちだった。何か満たされない気持が、わたしのあらゆるしぐさを、その最も単純なものに至るまで、膨れさせていた。わたしは一つの栄光が、明らかに、燦然と、わたしの指先にまで顕現することを、そしてわたしの強大な力がわたしを地上から持ちあげ、わたしの中で爆発し、わたしを粉砕して、風のまにまに四方八方へ驟雨として撒き散らしてくれればいいと思った。わたしは全世界の上に降り注いだことだろう。わたしの粉末は、わたしの花粉は、星々にまで届いたことだろう。わたしはスティリターノを愛していたのだ。


 あたしがいま考えていること、可能性を考えていることは、「どうやったらくさい台詞や文章を平然と書くことができるんだろう」ということだけれど、ジャン・ジュネは確固とした思想と汚物へのやさしいまなざしで、それをやりとげていると思う。ジャン・ジュネちょうかっこいい。




コメント
未来的な考え・・・。さっきまで見てた「攻殻機動隊 Stand Alone Complex」の第24話「孤城落日」なんかを思い出したけど、これもこれまでさんざん作られてきた戦争映画へのオマージュであって、全然2030年的な考えじゃあない。
あ、思い出した。確か「トーキョーN◎VA the Detonation」のルールブックにゲームデザイナーが「現在こそ未来なんだよ!考えたことがあるかい?10年前に大相撲の横綱が全員外国人になるなんて」とか書いてありました。
【2010/01/15 17:23】 | 上田洋一 #- | [edit]
> あ、思い出した。確か「トーキョーN◎VA the Detonation」のルールブックにゲームデザイナーが「現在こそ未来なんだよ!考えたことがあるかい?10年前に大相撲の横綱が全員外国人になるなんて」とか書いてありました。

けっきょくこれに尽きると思うんですよね。
未来の思考というのはけっきょく現在にしかありえなくて、未来をさししめすことだけが唯一の未来の思考であるならば、ば、と。現在に生きながら近代以前の考えかたをひきずりながらひとはみんな生きているわけで、各人に流れている「思考の時間差」だけが唯一未来を示すヒントになるのかと、思います。
【2010/01/16 09:21】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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