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私と踊って

2010.01.22(20:03)

乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない (集英社新書)乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない (集英社新書)
(2005/11)
橋本 治

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 わたしが現代の日本においてできるだけ多くのひとが読んだほうがいいと本気で思っている本は橋本治「『わからない』という方法」、「上司は思いつきでものを言う」、「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」だけれど、わたしは本気でものを言わないので「綿矢りさ、えろすぎる」と言う。でも、わたしはわたし以外のまじめなひとはもうちょっとまじめにものを考えたほうがいいと思っているので、ちゃんと橋本治の本を読んだほうがいいと思った。
(以下はすべて「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」より引用)

 世界経済が破綻したら、エコノミストの存在するところはなくなります。だから、エコノミストはたった一つ、「世界経済が破綻したらどうなるか?」が分からないのです。その時は、ただ「もう終わり」なのです。そのような形でエコノミストは存在するのですから、エコノミストは「世界経済は破綻しない」としか言わないのです。「このまま行ったら世界経済は破綻することになりかねない――だから、誰かがなんとかする。だから、世界経済は破綻しない」というのが、エコノミストのあり方に即した、エコノミストの論理なのです。

「本場をフロンティアに変える」ということを、軍隊とか戦争という手段抜きでやってしまったのは、日本だけです。産業革命の時代、イギリスが「綿織物の本場」であるインドに乗り込んでそこを植民地にしてしまったのと似たようなことを、日本は二十世紀後半に、軍隊抜きで欧米に対してやってしまったのです。

 世界経済戦争の勝者日本は、本場アメリカの誘導によって「欲望の泥沼」に足を踏み入れて行きますが、世界経済は新しい限界に入ります。ここではもう、いろんなものが古くなってしまいますが、その最大のものは、「生産を前提とする経済活動」です。

 世界には、二種類の人間しかいません。「金を持っている人間」と「金を持っていない人間」です。「金を持っている人間」は「金を持っていない人間」に金を与えて、生産活動を行わせます――これが、今の世界の「経済」です。しかもこの「経済」は「必要」の上で成り立っているわけでもありません。

 世界経済を発展させるためのフロンティアは、もう「欲望」しかありません。だから私は「発展が必要なのか?」と思います。「これ以上やったら、地球が壊れちゃうぞ」と思います。

 重要なのは、「今までこんな風に過去を振り返ったことはなかったな」というような振り返りかたの発見なのです。


 橋本治の本のすごいところは、わたしに「経済のありかたがすべてわかった!」と錯覚させることができるてんだと思う。もちろん、それは錯覚でしかないので、明日からもわたしは経済にたいしてどうやって関わっていったらいいのか、わからないままだ。

「お金がありません」
「ではお金を稼ぐ方法を考えましょう」

「不況でたいへんです」
「では景気をよくする方法を考えましょう」

 問題は問いと答えが一元的にしか存在できなくなってしまっていることだと思う。上の問いにたいして下の答えかたしかできないのなら、わたしはそれを悲しいことだと思う。
「なんのために生きているのか」がわからなくても、わたしは平然と生きている。生きる意味なんていらないと思った。だれかを愛する意味も。ほんとうにエコのことを考えるなら、そのひとはさっさと自殺するべきだった。だれかひとりの生のむだがこの地球をもっと豊かな場所に変えるかもしれないのなら。でもそのひとはたぶん死なないだろう。かりにわたしがどんなに醜く生きていても、それをごきぶりだと呼ばない呼びかけかたがあるなら、わたしはそれを信じたいと思う。

   ◇◇◇

 荻世いをらくんの「公園」を読んだ。

 黒人の若者は何かものすごい勢いで喋っているから、断片的にしか聞き取れない。
 きっと薬か何かをやっていて、いもしないだれかと喋っているに違いない。どんどん彼の語調は激しくなっていく。
 すると、目の前に座っていた眼鏡をかけた黒人の女の子、ぼくと同い歳くらいであろう、彼女は急に何かふっ切れたような面持ちで立ち上がると、猛然とその若者の放へと向かって行った。車両の真ん中に並ぶポールになぜだか胸を打ちつけながら、彼女は若者の方へと向かって行く。


「車両の真ん中に並ぶポールになぜだか胸を打ちつけながら」がばつぐんにいいと思う。「断片的にしか聞き取れない。」の前にたとえば「何を言っているのか」などの言葉をいれないのが、いをらくんの文章の特徴なんだろうか。この本にはなんにも描かれていないから、とまどってしまう。わたしはこの小説になんの感想も抱けなかった。それはすごいことだ、と思う。いをらくんはあまりに省略しすぎて、うっかり、わたしの感想まで省略しちゃったのかもしれない。内省的すぎて陳腐に落ちていく前半よりもニューヨークにでかけた後半のほうが、数段おもしろかったと思う。
 いをらくんの2作めの本がでるまで、2年以上かかっている。「平成マシンガンズ」の三並夏さんはデビュー作以来、影もかたちも見ていない。「ヘンリエッタ」の中山咲さんもそうだ。「火薬と愛の星」がおもしろかった森健さんはいったい何をしているんだろう。かんじんなのは、彼らが書いているのか、書いていないのか、書けないのか、書かないのか、書いても載せてもらえないだけなのか、わたしたちにはいつもさっぱりわからないことだ。わたしが聞きたいのは、そういう声なのに、彼ら彼女らは消えてしまったから、その声だけは聞こえてこない。その声は、ほとんどの小説よりも貴重で、いとおしいものになるかもしれないのに。

   ◇◇◇

 4年で卒業して就職したKくんが仕事中にも関わらずいきなり研究室にやってきて、帰っていった。わたしが「カイジ」がすごくおもしろいと教えてあげると、Kくんは「ライアーゲーム」が最近読んだマンガでいちばんおもしろいと言った。Kくんはやっぱり社会人になると読んでいる時間はないと言っていた。Kくんの会社では去年から残業代がカットになったらしいけれど、先輩が仕事大好き人間で毎日2時くらいまで仕事をしているらしい。それで、朝には毎日遅刻をしてくるらしい。かつてYNも「奥さんも子供もいるのに仕事が好きで毎日事務所で寝ているひとがいる」と言っていた。わたしはそういうひとたちはすでに頭がおかしいのではないかと思う。Kくんは仕事中だから足早に去っていった。Kくんが研究室に置いていった「MONSTER」全巻は持ってかえらなかった。
 仕事が近づいてくるにつれて、ますます仕事をしたくなくなってきている。わたしは本を読んで映画を見て文章を書くのにいそがしいので、会社なんか行って遊んでいる暇はないと思う。「100年で日本は滅びます。そのかわり、100年はだれも仕事をしなくていいです」と言って革命を起こしてくれるひとがいれば、わたしは支持するのに。この前クリストファー・ノーラン「バットマン ビギンズ」を見たらおもしろかった。わたしはバットマンに労働なんてものをやっつけてもらいたい。でも、バットマンはちょっと働きすぎだと思った。なにあのひと。昼間はパーティやって夜はわるいひとをやっつけにいくなんて。こわい。
 といいながら会社のことをやらなくてはいけないので、いいかげん基本情報技術者試験を受けたほうがいいと思った。持っている友達に「勉強した?」と訊いたら「したよ。試験前に2日」と言ったので、「よくそれで受かるね」とびっくりした。「落ちたよ」と友達は言った。「俺5回受けたもん」。つまり、2日×5で10日勉強するば、わたしも受かるということか。10日くらいならわたしもなんとかやれるかもしれない。勉強をするなんて、すごくひさしぶりだ。大学にはいってから、勉強した覚えなんてない。僕は勉強ができない。

   ◇◇◇

 現実逃避をして羅川真里茂「赤ちゃんと僕」の8巻(白泉社文庫)を読んでいた。深谷しな子と一加ちゃんがちょうかわいいと思う。しな子ほんとうにかわいい。わたしはこのマンガは歴史的傑作だと思う。少女マンガが読みたい。でも、わたしは少女マンガはみんな傑作だと思いこんでいるふしがある。小沢美穂「こどものおもちゃ」や「赤ちゃんと僕」みたいなとんでもない傑作は、じつはなかなかないのかもしれない。
 マット・ソーンによる「赤ちゃんと僕」8巻の解説にすごいことが書いてあるので、引用する。

 表層的には「ヤオイ」や「ショタコン」に見えても、『赤僕』は決してそれらのジャンルには属さない。それどころか、主人公の拓也が全く恋愛しないということから、この作品は「少女マンガ」というジャンルにさえも属さないと言えるかもしれない。この親子三人ともモテモテでいろんな女性に愛されているのに、三人とも恋愛に無関心である。由加子と恋する若い頃の春美を除いて、『赤僕』では恋する男は全員が醜男かダメ男かのどちらかである。

 8巻で拓也は弟の実についてこんなことを言う。

 だってね 僕 実の事 可愛いなんて 思わなかったもん

 そして、それは解決されないことだった。だけれどわたしたちはなにかものごとが解決されなくても、たぶん生きていけるはずだった。

   ◇◇◇

 ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団「私と踊って」のチケットをとった。わたしが見る前にピナは死んでしまったけれど、去年からずっと見たい見たいと思っていたピナの作品を、ようやく見ることができるのは、とてもうれしいことだった。




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