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カルピス・オン・ザ・サリンジャー

2010.01.29(15:10)

フラニーとゾーイー (新潮文庫)フラニーとゾーイー (新潮文庫)
(1976/04)
サリンジャー

商品詳細を見る

 2010年1月28日(木)

 朝5時にアルバイトが終わって、9時30分のゼミにでるために、帰らないで学校に行った。
 がんばってこぴぺをして、論文をちょきちょきつくる。不思議なことに、書けば書くほど論文が薄まっていく。薄いカルピスに氷をいれる、しょくにん。カルピスは濃すぎるとまずくて飲めないけれど、薄すぎてもまずくて飲めない。ちゃんと、ていねいにつくったほうがいいと思う。カルピスをさしだすひとには愛を。論文をさしだすひとにも、愛を。愛。
「エアコンの交換作業をするために木曜のゼミのあとは学校にいてね」と未熟くんに言ったら、あんのじょう未熟くんだけゼミのあと学校にいなかった。さすが。9時30分からのゼミなのに、5時頃についったでひょいひょいつぶやいている時点で、いけない。
 14時30分に家に帰って、眠った。



 2010年1月29日(金)

 一度深夜0時に目覚ましをかけたけれど、「ねむーい!」と思って寝た。起きたら11時30分だった。21時間も眠ってしまったので、吐き気がする。起きて、家にあった唯一の食料のカップラーメンを食べた。カレーの味がした。「砂糖の世界史」を読みながらお風呂にはいった。体調がもどらない。手がふるえてキーボードもうまくうてない。
 学校に来てネットをひらいたら、サリンジャーが死んでいた。あたしが棘のささったぶたみたいに眠りこけているあいだに、いつもだれかが死んでしまう。
 あたしは同じ作品を読みかえすことがめったにないけれど、「ライ麦畑でつかまえて」も「ナインストーリーズ」も「フラニーとゾーイー」も3回以上読んだ。あたしは自分が頭がいいと思っていたので世のなかのひとをみんなばかだと思った。解決のつかないはずのことにたんじゅんな答えをあたえて自分を正しいと思いこんでにへらにへらしているひとを見て「おいおい、まじかよ」と思っていた。でも、けっきょくその手のやりかたは自分がばかだと思っていたひとたちのやりかたを裏がえしに踏襲しているだけだった。それは対立でしかなかった。サリンジャーはその対立をずらすやりかたを描いてみせてくれた。それは思想でも、知性でもなく、ただなんでもない「やさしさ」だった。
「フラニーとゾーイー」のなかで、フラニーはまわりのものをくだらないと見下していた。そしてそれを見下している自分が醜いということを知りながら、苦しんでいた。ゾーイーがフラニーにあたえたのは、やさしさへの気づきだったと思う。あたしはフラニーはただしかったと思う。この世界はたいていの場合くだらないし、ろくなものではないと思う。それでもあたしここが好きだと思った。好きだと思えるようになろうかと思った。好きなものなんてほんとうはなにひとつないけれど、なにかをがんばって好きになろうとすればもしかするとなにかを好きになれるんじゃないかと思った。だからあたしここが好きだと思った。好きになろうとしていいんだと思った。やさしくなりたいと思った。あたしはほんとうには自分にしかやさしくなんてないけれどやさしくなりたいと思った。なにかを好きなりたいと思った。
 そのサリンジャーが死んじゃった。サリンジャーが、死んじゃった。

   ◇◇◇

 しばらくついったから遠く離れて、できるならば毎日日記をつけたい。それから、最近煙草が美味しいという病気にかかっているのでやめたい。でも僕の意志は折り紙のようなものです。「まるで折られるためにつくられたようだ!」




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