スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

まっすぐ転落する魂に嘆く花は届くのか

2010.02.01(02:10)

富江 [DVD]富江 [DVD]
(1999/06/25)
菅野美穂中村麻美

商品詳細を見る

RedRed
(2009/10/20)
King Crimson

商品詳細を見る

 2010年1月30日(土) 昼

「富江」を見た。菅野美穂が「ばんごはんよー」と言って女の子にごきぶりを食べさせようとする映画だった。とってもおもしろかった。音楽もよかった。シリーズぜんぶ見たい。

   ◇◇◇

「そうだ、音楽を聴こう!」と思って、阿部薫「1970年3月、新宿」をすごくむりして聴いている。ほんとうにすごい。ぜんぜんさっぱり何がいいのかわからない。
 今日は車のなかで友川かずき「青い水、赤い水」を聴いた。このアルバム、ひょっとしたら宇宙でいちばんいいアルバムなんじゃないかしらと思った。
 中森明菜「不思議」を聴いていた。ちょっと、衝撃を受けた。ほんとうにいい。すごいよ。だって、声がぜんぜん聴こえないもん! こんなことレディオヘッドだってやらないぞ! 
「幻惑されて」とかすごいことになっている。なんだなんだ、中森明菜ってなにものなんだ!
 あと、King Crimsonの「Fallen Angel」がどう考えてもいい曲でこればっかり聴いていた。「Fallen Angel」で油断しているとそのあとの「One More Red Nightmare」もうっかりいい曲なので、うっかりこればかり聴いてしまう。なんてうっかりさんなんだ!

   ◇◇◇

 恵比寿映像祭はどうしよう。ゴダールが見たいけれど、上映時間が1分とな。長編の映画作品は見たいと思う。

   ◇◇◇
 
 ずっと前、和田アキ子が「いま本当に歌がうまいのは、ドリカムの吉田美和とMISIAだと思う」と言っていて、みょうに納得したのをいま思いだした。



 2010年1月31日(日)

 管城さんと今村亮さんと会ってなんらかの会合をするために、朝10時に新宿の喫茶店で待ちあわせをした。
 たぶん「アバター」についてお話をする会だったと思う。今村さんが「キャメロンってまじで頭わるいよな」と言った。管城さんは「いらいらした」と言った。蓮實重彦はかつて「映画を見たとき『映像がきれい』と言うだけでは、その映画を褒めていることにはならない」と言っていたと思う。わたしはこの言葉には大反対だけれど、いま、「アバター」がやっていることはなんだったんだろうか。「アバター」を見て「リアルにもどりたくない」と訴えるひとたちが急増しているらしいけれど、それはいったいなんなんだろうか。そして、なぜ押井守はあれを絶賛し、なぜ木村拓哉は「アバター、まじでヤバター」と言ったのだろうか。管城さんが、主人公のジェイクがナディから「裏切り者!」と言われ、赤いドラゴン(名前忘れた)に乗って帰ってきたとたん、ナディにまたあっさり迎えられるシーンについて、「いやいやいや!」と言っていた。そのとおりだと思う。あの場面でナディたちはあぶない病気にかかっているとしか思えない頭のわるさを見せつけている。ナディたちと主人公の感情のすれちがいを主人公は権力・暴力によってあっさりとくつがえし、しかも、映画はこれを本気で肯定しているようにしか見えない。これは、たとえば「セクハラした上司が社長になったとたん、セクハラされた女子社員がその上司にうっとりする」とかそういうことと構図はまったく同じだと思う。監督がもし本気でやっているならば、やっぱり「キャメロンはまじで頭がわるい」と思う。それで、あたしは本気でやっていると思うのだけれど。問題は、この手の意見が「アバター」について批判になりえるかということだと思う。あたしがいちばん「アバター」をいやだと感じるのは、「アバター」では頭のわるさを見せつけながら、物語を、奥が深そうに語ることだと思う。あたしは、「アバター」はたとえば「チョコレート・ファイター」であるべきだったと思う。「チョコレート・ファイター」は母親が貸したお金をとりかえすために、女の子がやくざと闘っていくだけの話だった。「アバター」の問題は根深い。
 ということはぜんぜん話さなかったけれど、今村さんはあたしの右脳と左脳についてばかにして、管城さんはあたしが飲みかけの水のなかにレモンを投げいれていた。意味がわからなかった。
 12時から今村さんはカタリバ大学をやらなくちゃならないと言った。「封筒の資料詰めを手伝ってもいいよ」と言った。あたしと管城さんは3時20分から池袋の新文芸坐でビクトル・エリセ「ミツバチのささやき」を見る約束をしていたけれど、それまで暇だった。あたしは、

1 新文芸坐でエリセ「エル・スール」も見る
2 東京都写真美術館でブレッソンと木村
3 新美術館でルノワール

 という提案を彼女にした。「封筒に興味があります…」と彼女は言った。あたしたちは新大久保まで行って、会場で、蟹のように机の前を左右に動き、せっせと資料をそろえて、封筒のなかにせっせといれて、始まる前にすみやかに帰っていった。意味がわからなかった。
 渋谷にある「マリアの心臓」でたいへん悪趣味な人形をぞぞぞっと見て、池袋までとってかえして、新文芸坐まで行った。予感はしていたけれど、新文芸坐ではありえないほどに混んでいて、しかたないから前のほうの端っこの席に座った。
 エリセの「ミツバチのささやき」は人類史上もっともかわいい女の子だと思うアナ・トレント(6歳)が主演の、もしかりに「好きな映画を3本あげろ!」と言われたらこれをぜひあげたいと思うくらい、だいすきな映画。あたしがぜったい見たかったので「管城さんには7割くらいの確率で『きれい。でもたいくつ!』と言われるかもしれない」と思いながらだまってつれていったんだけれど、たいへん気にいってくれたみたいで、よかった。うれしかった。
 見たのは、たぶん3回目だ。でも、何回見ても、やっぱりアナ・トレントがさいこうにかわいい。死んだふりをしたイサベルに後ろから目をおさえられ、「んー、まっ!」と言うのがかわいい。かわいすぎる。「まっ!」ってかわいすぎる。アナとイサベルがベッドの上ではしゃぐシーンもかわいいし、アナが石鹸をつけて笑っているシーンもかわいいし、ふたりが線路の上でぴたっと耳をつけているシーンもかわいい。それから、イサベルがベッドの上でまるくなり、黒猫の首を締めているシーンの映像が、ほんとうに美しいと思う。「ミツバチのささやき」の色はほとんど光で構成されている。色は光のことだけれど、この映画を見るとそういうことをまざまざと感じさせられて、うっとりとしてしまう。たいていの映画は暗い画面ではぎりぎりまで暗くして、うっすらと何があるのか見えるように描く。でも、エリセは映像は暗い場面は暗くてまったく見えない。そこに、光が射す。光は闇のなかを射す。ほんとうにそれを知っているのは、エリセだけかもしれないと思う。あたしがもっとも映像がきれいな映画だと思うのはエリセ「ミツバチのささやき」やタルコフスキー、そしてパラジャーノフの映画だ。みんな30年くらい前の映画だ。30年前にこのひとたちはいったい何をやっちゃったんだろう。
 そのあと、管城さんとごはんを食べた。彼女は煙草をすぱすぱと吸いながら世界が滅亡するくらいのくだをまいていた。彼女は「倫理とか道徳というのがこの世界にはあるらしいんですね。でも、それは線であって、軸でしかないんだと思うんですよ。その線や軸からどれだけ離れようと、それは個人の自由だと思うんです。もちろん、行動はべつですけれど」というようなことを言った。倫理や道徳はコミュニケーションのひとつの手段であって、ひとつの手段でしかないということだと思う。ひとが死ぬことが悲しいと思わない、でもわたしはそれでもひとを殺すわけではない。あたしが思うのは、そのあいだにある連関だった。友川かずきは「まっすぐ転落する魂に、嘆く花は届くのか、私の声のスピードはたりるのか」と歌った。政治と社会形態の変革はたとえばあたしたちの人生に影響をおよぼすほどのスピードを持てるのだろうか。

「就職活動のやりかたを変え、学生の早期社会化を目指し、ミスマッチのやりかたをなくす方法」を提案している記事だ。ここにある「社会化」は「社会化が善である」という思想を前提としているように見える。だからあたしは「どうして社会化しなければいけないんだろう」と思う。そしてそれをほんとうに言えば、「甘ったれている」と誰かに言われる。彼女はそういうことを言った。「甘ったれている」という言葉は正しい。絶対的に正しいし、あたしも「甘ったれている」と思う。だから、ここには対話が成りたたない。対話が成りたたないなら、たぶん改革も起きない。「正しい」というのはほんとうにはいつもろくなものではないと思う。19世紀までの哲学は「真理」を求めていた。哲学はかつてこの世界についての正しい答えを求めるための学問だった。量子力学以前、世界はすべての原子の位置を特定できれば未来はすべて予測できるというメカニカル・ユニヴァースだった。二葉亭四迷は「わたしたちはいまのままではわたしたちの気持ちを表すことができない」と考えた。そして彼は新しい文章をつくった。現代において「明治から続く文章で僕たちは僕たちの気持ちを表すことができるはずがない」と言ったひとがいた。だったら、どうしてあたしはこの社会という「文体」のなかでうまく生きられると思えるんだろうか。正気ではもうないと思う。
「政権が変わっても、わたしが聴く音楽は変わらなかった」と管城さんは以前に書いた。

   ◇◇◇

 イメージフォーラムでタルコフスキー映画祭がある。途中で寝ちゃって全部ちゃんと見ていない「サクリファイス」と「鏡」はもういっかい見たい。見ていない「アンドレイ・ルブリョフ」も見たい。タルコフスキーでたぶんいちばん好きだと思う「ノスタルジア」も見たい。つまり、だいたい見たい。

   ◇◇◇

 サリンジャーが死んだので「ナイン・ストーリーズ」を読んでいる。サリンジャーが死んでもあたしは何も変わらなかった。たぶん、マイケル・ジャクソンが死んだときも何も変わらなかったし、ジョン・レノンが死んだときも何も変わらなかった。ひとの死はあたしとは関係なかった。ひとはただ象徴として死ぬだけだった。あるひとが死んで世界が変わるわけじゃない。世界は刻々と変わりつつあって、たまたまそのときに死んだひとが、その世界の変化の象徴になるだけだろう。 

   ◇◇◇

 管城さんとは「まったく何も行動しないで外側からああだこうだと社会や政治にぶーぶー言うのがいちばんたのしい」ということで意見が一致した。ほんとうにたのしい。たとえば、だれかが「もう教科書なんて廃止したほうがいい。教師がそれぞれテキストを勝手に選べばいい」と言っていた。あたしはそれに賛成だ。なぜなら、それで学力格差がものすごいことになったとしても、あたしにはたぶんぜんぜん関係ないからだ。

   ◇◇◇

 さいきんとくに「何様だ!」と思われることしか書いていない気がする。まずい。




コメント
スワロウロウライフライブが
かえってきました、ね!

世界がたのしそうに見えるのは
桜井効果らしいので、これからも
何様だ!と思えることしかを
書いてくださいね。おいしい。
【2010/02/01 15:06】 | れもーん #mQop/nM. | [edit]
かえってきました、ね!
でもこっそり教えますけれど、
「スワロウ」じゃなくて「スロウ」
らしいですよ。
こっそり!

世界がたのしそうに見えるのは世界がたのしいから
ですよ、きっと。
何様だと思えることを書いたり書かなかったりします。
どうしよう。期待にはだいたい応えないひとです。
おいしい。
【2010/02/01 18:40】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
とりかえしが、つかないよ!
ほんとにこっそり教えてくれれば
[ 編集 ] という素敵な機能があるのに
桜井さんがコメント欄に書くことで
ことさら強調されている、よ!

こっそり に、びっくりマーク付けるだなんて、
こっそりする気ないですよね。まずい。
【2010/02/02 00:09】 | 故人 #mQop/nM. | [edit]
だいじょうぶ、
にんげんじゃなくてつばめが書いていたとずっと思いこんでいた、
なんかへんだなと思ってたらにんげんだったのか、
とかなんとか適当なことを言いふらしておけば、
「ああそっかうんうんしかたないね」
と納得してくれることをうけあいですよ。
にっこり!
【2010/02/02 16:55】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/768-1d627b27
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。