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返事がない、ただの村人のようだ。

2010.02.10(17:43)

グラスワークスグラスワークス
(2003/09/10)
フィリップ・グラス

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 2010年2月10日(水)

 ごきぶりが大量発生してそれをごきじぇっとで殺す夢を見て、目を覚ました。ふとんのなかで転がってばかりいた。それに飽きると時計を見た。朝の8時だった。目覚まし時計が鳴るまで、あと4時間もあった。わたしはふとんを抜けだし、水道から水を飲んで、煙草を吸っていた。部屋は散らかっていた。わたしはずっと悲しいままだったし、これからも悲しいままだろうと思った。カーテンの隙間から覗く窓硝子はそとの曇り空をうつしとった灰色だった。あるひとがこんなことを言っていたのを思いだした。

 料理をする側からみると、出されたものにいただきますも何も言わず、食べても何も感想も言わず、そしてごちそうさまも言わない人間は、家畜が餌を食べているのと同じに見える。これは皮肉でもなんでもなく、料理をする人にとって普通の共通感情だと思う。無言で食べてる奴、じつは見下されてるんだぞ。

 おそらくそれはわたしのことだった。わたしのありかたはいままでずっとそうだった。それは何も変わらない、眠たくないのが不愉快な朝だったけれど、そういうありかたが継続されていくのがいやで、いやで、それでも続いていくだろうという朝だった。たりないのは努力だし、感性だし、希望だった。だからだめだった。朝だからだめだった。今日はしとしとと雨が降っている。それなのに、あまり寒くはない。

   ◇◇◇

「SR サイタマノラッパー」という映画がある。わたしのまわりでこんな映画を大絶賛しているひとはひとりしか知らないし、わたしももちろん見ていない。「埼玉県民は埼玉に興味がない」と土田晃之もこのまえテレビで言っていたし、つまり、なんというか、埼玉県民としては「サイタマノラッパー的」なありかたでしか風土を感じさせられないのならば、「さすが、ださいたまだぜ!」と言うしかないのだけれど(ヒロインにみひろというあたりがなんとも言えない)。わたし調べでは埼玉を好きな埼玉県民はひとりもいないし、群馬を好きな群馬県民もひとりもいない。北関東の野菜は北関東住人の(東京・神奈川への)コンプレックスで育っているとわたしは見ている。深谷のねぎのうまみは深谷のひとのコンプレックスだ。
 ということは(ほんとうに)どうでもいいけれども、問題は映画がこういうふうなありかたをしているときに小説はいったい何をやっているんだろうということだ。わたしは保守的なので「タルコフスキーだいすきっ!」とかそういういかにもなことを言ってそれで満足しているし、たぶん「SR サイタマノラッパー」もおもしろいんだろうけれどもちゃんとは認めない気がする。「おもしろさ」というのは一概には言えないものだ。けれど、わたしは「わたしが思う映画のおもしろさというのはほとんど文学のおもしろさと一致している」とたぶん3回くらい言った。それはたぶん諏訪敦彦「ユキとニナ」を「おもしろい!」と言うのと同じ意味を持っていて、「ユキとニナ」はたぶんあれが小説として描かれ、ちがう表現がなされていても、たぶん同じたぐいのおもしろさとして立ちあらわれてくると思う。
 そしてわたしが思うのは、「サイタマノラッパー」はそれとはちがうおもしろさで成りたっているだろうということだ。「サイタマノラッパー」の例がわるければ、ジャック・ロジエ「オルエットの方へ」を挙げてもいいと思う。わたしの予想がただしければ、「サイタマノラッパー」と「オルエットの方へ」は同じ映画だ。「オルエットの方へ」は女の子3人が「箸が転がっても笑う」というありかたそのままに笑いころげているだけの映画だった。その手のおもしろさ、おもしろさの放出のやりかたが文学のなかではありえるんだろうか。
 もしいまそういうたぐいのおもしろさの放出のしかたの一例として、たとえば川上未映子の小説が代表的なものとして挙げられてしまうならば、「文学はせまい!」と言われても、しかたないと思う。
 いま思えば、高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」はやっぱりすごかった。あれはきっとラップだった。そしていまやっぱりすごいのは舞城王太郎、そして中原昌也(の短編)だと思う。
(池澤夏樹は芥川賞の選評でこう書いた。芥川賞というわりと注目が集まるなかで春樹らの名前と並んで舞城の名前がでたということは、いいことだと思う。
「かつて芥川賞は村上春樹、吉本ばなな、高橋源一郎、島田雅彦に賞を出さなかった。今の段階で舞城王太郎がいずれ彼らに並ぶことを保証するつもりはない。そんな予言者のようなことはできない。それでも、今回の受賞作なしという結果の失点は大きいと思う。」
 映画はひろいと(あえて)言っても「アバター」のようなありかたを褒めるわけにも、やっぱりいかない気がする。たとえば「パラノーマル・アクティビティ」の過度に「低予算!」を主張する宣伝のやりかたは、お金をたくさんかけたハリウッド系映画への媚びにしかなっていないように見える。だからつまり、けっきょくのところ「パラノーマル・アクティビティ」はハリウッド映画でしかないんだと思う。

 高橋源一郎「いつかソウル・トレインに乗る日まで」を読んだ。最初の30ページで読むのをやめようかとも思ったけれど、高橋源一郎なのでつまらないはずがなかった。これで直木賞をとればいいのにと思った。
 思いだしたのは、綿矢りさ「夢を与える」、ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」、サローヤン「パパ、ユーアクレイジー」、そしてブローティガン「愛のゆくえ」だった。とくに特徴が顕著だったのは「夢を与える」と「愛のゆくえ」だとわたしは個人的に思う。
 高橋源一郎の言っていることはとてもよくわかっているつもりだと思う。かつて彼は学生運動の時代をふりかえってこんなことを言っていた。
「私たちは大学を破壊しようとすることに必死でした。でも、私は大学の授業に3回しかでたことがなかったのです。私は大学を破壊することに必死で、大学がどういうものなのかを考えることだけはしなかったのです」
 あるいは、湾岸戦争や政治家についてこんなことを言っていた。
「どうしてだれもフセインが何を考えているのか知らない、ぜんぜんわからない、と言わないのでしょう。小泉首相は、どうして死者たちが死んだあとどこに行くのか知らないと言わないのでしょうか。彼が『死んだひとはどうして靖国に集まるのか。靖国にはほんとうには何があるのか。私はわからない』とかりに言ってくれれば、私はもうすこし政治家を好きになれるかもしれません」
 この本にも、次のようなことが書かれていた。
「ぼくは若者は闘争をするべきだとみんなが言っていたから闘争をしていた。ぼくは若者は恋愛すべきだとみんなが言っていたから恋愛をしていた。ぼくは女を愛するまえに『恋愛』を愛していたんだ」
 ただ、岡田利規が言っていたように、やりたいことがわかったような気持ちになっても、それはたいしておもしろいことではないと思う。急に愛に目覚めたようなおじさんと女の子がくさい台詞をえんえん交わしあうこの小説が示している「真実の愛めいたもの」を、否定することから、あらためて始めたいと思う。
 リリシズムは好きだ。夏休みに学校に侵入し、校長室のなかで開いた窓からそとの夜を見る話。明治時代の暗闇の話。そして監獄のなかでとなりあった男が語る話と、男に語る宇宙に行った孤独な男の話。そういう話はとても好きだった。だいすき。泣ける。
 でも、「愛のゆくえ」にでてくる図書館ばりの宿屋に行って以降のファンタジックな箇所はちょっといただけない。高橋源一郎はかつて渡辺淳一の「失楽園」を「超省エネ小説」と批判していたけれど、今度は自分があえて「超省エネ」的なやりかたで書いているように見えた。
 でも、問題は、このひとの場合、こういう直裁な愛の表現よりも「さようなら、ギャングたち」のシュールなやりかたのほうが泣けるということだと思う。だからこの本がまっとうに価値を示すとしたら、直木賞ぐらいとらなくちゃいけなかったんだと思う。

 今日は現実逃避して、山田詠美の芥川賞の選評を読んでいた。山田詠美の作品は「姫君」だけ「西尾維新じゃん!」と思ってだいすきで、あとはどれもまともに読んでいないけれど、選評はちょうおもしろい。


「〈静かにゆれる海の上で巨大な船体が、民衆を見渡す権力者を思わせる悠然とした動きで左回りに動き始めた〉…って、これ、単なるフェリーでしょ?」(中山智幸「空で歌う」)

「登場人物の会話を読めば読むほど、大阪という街を好ましく感じ、地の文を読めば読むほど、大阪という街への興味を失う。関西弁は七難隠すということか。」(柴崎友香「その街の今は」)


「サッカーがこんなにもつまらないスポーツだとは知りませんでした。ごめんなさい。」(松波太郎「よもぎ学園高等学校蹴球部」)


 山田詠美の書評集はないのかしら。

   ◇◇◇

 修士論文の仮提出がようやく終わった。12日にレジュメ提出、17日に発表、23日に最終提出、という流れだ。あんなにんじんのしっぽにも満たない研究でだいじょうぶなのかと思うけれど、うちの先生も副査を頼んだ先生もわたあめのように甘いから、きっと平気だと思うよ! パワーポイントをつくって発表の練習をしなければいけない。あいかわらずやる気がでない。ぷーいぷい。




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