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チェルフィッチュ「わたしたちは無傷な別人であるのか?」@STスポット

2010.02.22(14:08)

崖の上のポニョ [DVD]崖の上のポニョ [DVD]
(2009/07/03)
不明

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 日曜日はがんばって早起きして、イメージフォーラムまでタルコフスキー「鏡」を見にいった。以前、アテネフランセまで見たときは後半ほとんど眠っていたので、その復讐戦。今度はちゃんと起きていられたし、やっぱりおもしろかった。タルコフスキーのなかでは「ノスタルジア」の次におもしろいかもしれない。
 1度め見たときはもう何がなんだかぜんぜんわからなかったけれど、2度め見たらなんとなくわかった。どうやら、タルコフスキーの母親役と奥さん役を同じ役者が演じていて、さらに少年時代のタルコフスキーとタルコフスキーの息子役を同じ役者が演じていて、しかも、時間も空間も実質めちゃくちゃに混在しているみたいだった。部屋のなかで平然と雨が降っているし、さっきまで部屋のなかにいたひとは次の瞬間にはもう消えてしまうし、つながっていないはずの空間がいきなりつながってしまう。でも、そういういっさいを置いておいても、タルコフスキーの撮る植物は冗談じゃなくエメラルド色にぴっかぴかに光っているし、雨降りのなかで小屋はぼうぼう燃えて水蒸気がしゅうしゅう立っている。あかちゃんはかわいいし、イグナートくんはかっこういいし、鶏の首を落としたあとカメラをじっと睨む女のひとのこわさにはぞっとする。女のひとが髪の毛を洗うシーン、貞子みたいに前髪をだらーとたらして、その次の瞬間天井が崩れてスローモーションで瓦礫が降ってくる繊細な美しさはだいすき。女のひとがベッドの上のさらに空中に浮かびあがっているシーンもだいすき。火と風と、それから水が映像のなかで神秘的な具合に動いていて、わたしは、いままで見た映像のなかでこれがいちばんすごいって思えるくらい好きだから、やっぱりタルコフスキーだいすきっ。
 前回やっぱり寝ちゃった「サクリファイス」も忘れずに見にいきたい。いきなり核で世界が滅びてしまう話だけれど、寝ていたのでぜんぜんわからなかった。男女(?)がベッドの上で抱きあったまま、いきなりベッドがくるくると回転しながら空中に浮かびあがっていく、まったく意味のわからないモノクロのまったく信じられないほどきれいなシーンがあったけれど、あれだけでももういっぺん見たい。

 そのあと、ぺん子さんと待ちあわせをして、横浜のSTスポットにチェルフィッチュ「わたしたちは無傷な別人であるのか?」を見にいった。「初心者でも見やすい演劇はないですか?」と最初訊かれていたはずなのに、どう考えても見にくいに決まっているチェルフィッチュを見にいったのはいま考えても謎で、しかも行きの電車のなかで「眠くなるようやつではないですよね?」と訊かれて、わたしはチェルフィッチュ以上に眠くなる演劇を知らないので(ダンスはぜんぶ眠くなる)、「これはあぶない」と思って「意味わからないし、ストーリーもないと思うけど、気にしないでね」と伏線をはったけれど、「おもしろかった」と言ってくれて次のチケットまでとってくれたので、よかった。
 わたしは以前「国会でチェルフィッチュを上演すればいい」というようなことを言った(ここここ)。それは、たとえばわたしが選挙に行かない、行く直前に選挙に感じるもやもやしたあの感じ、をチェルフィッチュがもっともいい具合に表現していると思ったからだった。
「カタリバ大学 Special」を見て、わたしが思ったのは、わたしはここで行われていることよりもチェルフィッチュのほうを信じたい、ということだった。
 今回のチェルフィッチュの新作は、2009年8月30日の衆議院議員選挙の投票日とその前日を舞台にしていた(!)。一組の夫婦がいる。妻は夫に「後輩を土曜日か日曜日にうちに招きたい」と言う。夫は「もし日曜日だったら、テレビを見ようよ」と言う。「何かあるの?」。「衆議院議員選挙の、開票速報」。
 この夫婦はけっきょく土曜日に後輩を招き、あることが起こり一夜明けたあと、パンを買いにいくついでに選挙に行く。たぶん、この夫婦は何もなくても選挙にいくひとたちなんだろうと思う。チェルフィッチュの「三月の5日間」はイラク戦争が起こっている最中、テレビをつけずに渋谷のラブホテルで延々セックスをする話だった(小説だけ読んだ、舞台は見ていない)。「わたしたちは無傷な別人であるのか?」はほかにも秋葉原の通り魔事件を彷彿させる話題もでてきていた。チェルフィッチュのやっていることは、社会における漠然とした不安、そういうものと「つながりえないという状況」を背景として中途半端にぶらさがるようなかたちでつながっていなければいけない二重の不安の表現のようにわたしには見えるし、そういうことをやらせたらさいこうだと思う。
 たとえば、ワインの話。後輩はワインとチーズを買っていくんだけれど、その際、ワインを2本買っていくか、それとも2本ぶんの値段のワインを1本買っていくか、あるいはチーズはどうするか、好みはどうか、ということがえんえんと語られる。そういうものは本来どうでもいい。ふつうの演劇で表現するとしてもそれは大方コントのかたちをとるけれど、チェルフィッチュはそうならない。そういうどうでもいいことを真摯に語る。そしてそれはたとえば衆議院議員選挙とどうつながるかといえば、どうにもつながらない。衆議院議員選挙なんてどうでもいい。どうでもいいけれど、それはあっさりと存在してしまう。
「幸せであるかどうか」という、同じ意味の言葉をちがうひとがちがう語りかたで何度も何度も語りかえす。チェルフィッチュの演劇はだれが何の役をやっているのか決まっていないし、今回はそういうやりかたにくわえてあからさまに日本語(正確には主語)が破綻していた。「彼女は、」という言葉で台詞が始まるくせに、続きの文章の主語はほぼすべて「彼は、」になっている。主語を2つつけることによって人称を壊している。「彼は彼女は」という主語と「彼女たちは」という主語はおそらくはちがうはずだった。わたしたちは「わたしは」や「彼は」という文章を平気で使う。それは、わたしたちが伝統的に使ってきた「正しい日本語」であるからだけれど、そうやって表現される空気とわたしたちが実際に体感している空気はもうすでに遠く隔たっているのかもしれないと思った。
 チェルフィッチュおもしろい。次は「ホットペッパー、クーラー、そして、お別れの挨拶」という短編がつなぎあわさった(?)作品が、原宿で5月。チケット買った。楽しみ。

 せっかく横浜まで来たということで、ぺん子さんと横浜中華街まで行ってごはん。栗を売りつけてくるこわいひとがこわいくらいたくさんいたのでこわかった。北京ダック食べたいということだったけれど、まじめに頼むと高いし、4時頃にごはんを食べたということもあって少なめの安いコース。ぺん子さんは「紹興酒はあんまりおいしくないですよ…」と言ってくれたけれど、彼女の忠告を全力で無視して紹興酒を生まれてはじめて飲んだら、ものすごくおいしくなかった。ざらめがついてきた。用途もわからなかったのでかたまった。いれてかきまぜたけれど溶けなかった。ざらめ。
 9時30分頃に明らかに店じまいオーラがぷんぷん漂っていたので(従業員さんが帰っていく…)、そそくさと退席。
 楽しかった。

    ◇◇◇

 3月にジブリ美術館に行く予定なので「崖の上のポニョ」を見た。これは、つっこみどころがありすぎてとてもおもしろかった。宗介がポニョを見つけたとき「金魚だー」と言うけれど、そこからおかしい、「いや、それ金魚じゃないよ。顔ついてるもん」と思った。ポニョという謎の生き物にたいしてどう思うか、ということがむずかしいところで、わたしはきもかわいいところだと思う。「足がでたー手がでたー」のシーンはそんなにこやかに言っている場合じゃなくてまず自分の姿をきちんと見直したほうがいいと思った。
 ポニョはかわいい。かわいいけれどきもちわるい。女の子の姿になって波の上を走って車を追いかけてくるシーンはジェットババアを想起した。こわい。ポニョきもちわるいな。かわいいな。女の子の姿になったときのでれっぷりもかわいい。あとリサもちょうかわいい。なんだろう、この不思議な作品。ポニョがかわいい生物なのかかわいくない生物なのか、いったいどう見ればいいのか。魔法を使うときに一瞬醜くなる妖怪をどこかで見た覚えがあるけれど、あれみたい。えっと。なんだろう。ぽにょかわいい。きもかわいい。

 ぽーにょぽにょぽにょさかなのこー …




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