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ままごと「スイングバイ」@こまばアゴラ劇場

2010.03.18(02:43)

愛のむきだし [DVD]愛のむきだし [DVD]
(2009/07/24)
西島隆弘満島ひかり

商品詳細を見る

 2010年3月15日(月)

 TNといっしょに朝から高田馬場にまででかけ、「ジャンプ読みたい」と連呼するTNをなだめながら早稲田松竹までからくもたどりつき、園子温「愛のむきだし」を見た。平日朝なのに、なかなかの入り。2回目だけれど、1回目のほうがおもしろかった。2回目を見たときに1回目見たときよりもおもしろく感じられる、ということはいったいどういうことだろう、と考えてみようかと思ったけれども、よく、わからない。たんじゅんに記憶にのこりすぎているということだろうか。ゴダールの映画はだいたい2回目を見るときには1回目を見たときの記憶がさっぱり薄れていて、だいたい、わたしは今度見にいくつもりの「ゴダールのマリア」を見たのかどうかよくわからない。たぶん見てないはずだけれど。ゴダールの映画はちょくちょくどれがどの映画かわからなくなって、とくに、わたしは「女は女である」と「女と男のいる舗道」と「恋人のいる時間」の区別がつかない。それにくらべて、たいていの映画はどれがどの映画かきちんとわかるようにつくられていて、もちろん、それはまっとうなやりかただけれど、でも、映画はどの映画がどの映画かわかるようにつくるべきなんだろうか、とも思う。わたしはだいたい映画を見たらその感想を日記に書いて、わたしはその感想を書くことによって「これはこういう映画だ」と定義している。わたしはわたしが「彼女について知っているニ、三の事柄」について書くことによってわたしのなかで「彼女について知っているニ、三の事柄」をつくり、ゴダールのほかの映画と切りはなしている。こういうやりかたはおそらくはよくない。なぜなら、そのときその映画はすでにゴダールが撮ったものとはちがうものになっているからだ。わたしが書かなかった時点でほかのものと区別がつかなかった映画は、わたしが書くことによってわたしのなかでべつの映画になりかわってしまう。日記を書く、映画について書くということはその映画に何かを塗りたくるということだ。映画についての素顔を隠し、厚く厚く、何かを塗りたてようとしている。映画を見た瞬間に「その映画を見ていない」という特権は失われるだろう。園子温「愛のむきだし」についてわたしはずいぶんたくさんのことを書きすぎてしまったから、もう、園子温はわたしから遠く離れすぎてしまっているように思う。見れば見るほど映画はそのかたちを失う。だからわたしたちはほんとうには映画なんて見ないほうがいい。映画を見るということはおそらく手首を切るということだ。けれど映画を見てもわたしたちのどこからもほとんど血はでないので、わたしはいつもそのことに気がつかない。
 満島ひかりが西島隆弘の上に乗っかって、コリント書の13章を朗読するシーン、あのとき満島ひかりは鼻水を吹きだしながら「変態! 変態!」と言いながら西島を罵った。目がぎょろぎょろしながらの満島ひかりの怪演は、もうほとんど奇跡のように好きだと思う。西島は「変態の何が悪い!」と言った。渡部篤郎はキリストを盾にしながら西島を虐待した。そして、ゼロ協会の幹部でありながらあの映画のなかで唯一ほんとうに「宗教に興味を持っていない」ように見える、安藤サクラの逆説。ゼロ教会だろうがキリスト教だろうがたいしてかわりはない。そして映画自体がひとつの宗教だということも、わたしはまちがいないと思う。わたしは宗教を信じないかわりに映画を信じているけれど、それは、映画を信じないかわりに宗教を信じないことと何も変わらない。満島ひかりと西島隆弘のあいだには「サソリ」「兄妹」という二重の壁が横たわっていて、それをとりのぞき、彼女に初めて「ユウ」とその名前を呼ばせたのが愛だった。満島ひかりが「ユウ」と名前を呼ぶのはラストシーンしかない。西島隆弘が発狂したとき、満島ひかりは初めて「ユウ」の名前を呼んだ。それまでのふたりには一方向性の真実しかなかった。たんじゅんな映画だ。ばかみたいな映画だ。でもすき。だいすき。満島ひかりのパンチラシーンは映画史にのこすべき奇跡だし、彼女の初登場シーンはもう奇跡のようにかわいい。「来るなら来い!」だけでもうかわいい。満島ひかりかわいい。
(しかしそれにしても渡辺真起子はときどき母親を演じさせたら世界一じゃないかとほんとうに思うのだけれどどうだろうか)

 そのあと六本木の国立新美術館まで行って「ルノワール―伝統と革新」を見た。ルノワールが描いたむちむちした女性なんかべつにどうでもいいけれど、ルノワールの描く女の子はかわいい。「団扇を持った少女」の少女はかわいい。かわいい。もちろん女の子の絵だけじゃなくて今回の目玉のひとつ「ブージヴァルのダンス」なんかもいいけれど、女の子がかわいい。ルノワールが描いた女の子のなかでいちばんかわいいのは「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像」だと思うけれど、六本木では公開されずに、大阪だけ。なんなの! ほんとうになんなの! 「ルグラン嬢」は見たことあるけれど、「イレーヌ」も見たい。イレーヌ! ということはどうでもいいけれど、初期のゴーギャンにしろ、印象のひとたちはどうして空をぴんく色に塗っちゃうんだろう。空をぴんく色に衝撃的だ。空がぴんくだよ。ぴんく色のそら。茜色の空がうんぬんとか言っている場合ではなく、印象はわたしたちよりもっと先へ行っている。ふん。
 わたしもTNもあまり眠らずに来たので、展覧会を見ているあいだに激しく眠かった。わたしは立ったままうつらうつらしていて目を開けているのも困難だったし、TNは椅子が見つかるたびに座って下を向いている。ひどい。それで、とにかくいったんそとにでてコーヒーを飲んで眠気を覚まし、「アーティストファイル2010」を見てきた。これもいい企画。去年見た「2009」では(だれのか忘れたけれど)タンスが積みかさなっていて、そのうちのいくつかのひきだしがあいていて、そこから光がぼうっと漏れている作品があって、すごく好きかと思った。今回よかったのは福田尚代の、本を切りきざんだり、ページをぜんぶ内側に折りまげて展示しただけの作品。みんな知らないかもしれないけれど、本ってほんとうはすごくきれいなんだよ! 桑久保徹の、箱の上に女の子が載っているだけの絵もよかったし、斎藤ちさとの泡がぶくぶくしているだけの写真もよかった。うん。好き。
 そのあと駒場東大前のアゴラ劇場まで行って、柴幸男主宰の劇団ままごと「スイングバイ」を見てきた。これがおもしろかった。とくに言うことはないけれど、アイデアも雰囲気もユーモアもあって、とてもよかった。とくに言うことはないけれど絶賛するよ! とくに言うことがないけれどほんとうにおもしろかった。うそくさいけどほんとだよ! 次もぜったい見にいく。
 ところで、高校生役をやっていたあの女の子(野津あおい)をだいすきだと思って、ずっと注目していた。あの子、五反田団「生きてるものはいないのか」が2009年池袋で再演されたとき、「病気の女の子の役をやっていた子だ!」と思ってずっと見ていたんだけれど、いまものすごく調べた結果、野津あおいは再演のときは「生きてるものはいないのか」にでていないみたいで(初演のときは酢昆布食べてそっこうで死んだあの子の役をやっていたみたいだけれど)で、あの、わたしはほんとうにほんとうにひとの顔を覚えるのが苦手でアイドルなんか何度見てもだれがだれだかわからなくなっちゃって(さいきん蒼井優の顔覚えた)いやになって、野津あおいにかんしてはTNも「『生きているものはいないのか』にでていた」と言っていたから「まちがいない!」と思ったんだけれど、どうなんだろう。ああもどかしい! こういうとき何かでさくっと調べられたらいいのに。でも、「生きてるものはいないのか」にでていようとでていまいと、あの野津あおいのしゃべりかたも雰囲気もとにかくだいすきで(エレベータ係の役をやった)菊地明日香(?)もだいすきだけれどとにかく野津あおいがわたしまちがいなく好きで、みんな、もっと野津あおいを褒めればいいのに。とここまで書いてわたしが褒めている女の子が野津あおいじゃない可能性もあるけれどほんとうによくわからないからとりあえず野津あおい(仮)と言って褒めておいて、この秋、サンプルの松井周の新作「自慢の息子」に野津あおい(真)がでるから見にいく。
 4月から6月にかけて見たい演劇が20個くらいある。どうしよう。この前は時間堂を見事に見逃し、木佐貫郁子を見事に見逃した。ほんとう、だれかやさしい泥棒がやってきてわたしの枕元にチケットを置いていき、わたしの会社に火をつけてくれればいいのに。それで弁済として2億円と「ひとの顔を認識して記憶できる能力」を授けてくれればいいのに。



 2010年3月16日(火)

・野津あおい(仮)のことを調べまくったせいで
・書きつかれた
・「追いコン」をした
・いっぱい食べた
・プレゼントもらった
・ありがとう



 2010年3月17日(水)

・謝恩会の準備をした
・買い物にいった
・おっさんに捧ぐ花束を買った
・あれやこれやそれを買った
・横領したいと思った
・ありがとう




コメント
野津あおいは五反田団『生きてるものか』の方に出てましたね。

好きです。
【2010/03/21 16:55】 | 通りすがり #- | [edit]
> 野津あおいは五反田団『生きてるものか』の方に出てましたね。

そうなんですね!
五反田団、うっかり「『生きてるものはいないのか』だけでいいや」と思ってしまって、
それはものすごいうっかりだったので、反省しきりです。
野津あおいがでていたとなれば、なおさらでした。
【2010/03/21 20:42】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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