スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

おなかすいた

2010.03.21(00:47)

 2010年3月20日(土)

 謝恩会でやる、ビンゴの景品の買い物をするために実家から学校まで車を運転した。もう暑い。買うものがだんだん混沌としてきたけれど、どうせやるのはわたしではないので、かまわない。4年生がはんたーはんたーの話をしていたので、ねたばれされた。アパートでムーミンみたいに眠るつもりだったけれど、お母さんが「家に帰ってきなさい」と電話をしてきた。明日はひっこし。雨も降るし、黄砂も降るだろう。たのしいひっこし。

 文章を書いているひとは読者に何かを伝えたいと言うけれど、読者は文章を書いているひとから何かを伝えられたいって思っているのかな。「のりべん買ってきてよ」と頼んでしょうが焼き弁当がやってきたら、わたしは食べものに興味がないからたぶん、笑って許すけれど、文章を書いているひとはいつもいつも、何かに許されたいってばかり言っている。なんで本を読んでいるのかって、それはわたしが「何かがじょうずに書けますように」って祈っているからで、むかしのひとは「神様の姿が見えなければうまく祈れないよね」って言って神様の像をつくったりしたけれど、べつのむかしのひとは「神様の姿が見えなくてもうまく祈れるよ。神様はそんなかたちはしてないよ」と言って神様の像をつくるのを禁止してしまった。わたしは目に見えるものですら信じていないけれど、目に見えないものよりはまだ見えるもののほうが信じられるような気がする。でもとにかく、本はいつも神様の像だった。わたしは像がなければ祈れないひとだった。だからわたしは像がなくても祈れるひとがうらやましくて、そのひとになりたいと思った。「愛のむきだし」という映画のなかで、満島ひかりは「キリストさん、あなたをカート・コバーン以来のかっこいい男に認定します!」と言っていた。わたしはカート・コバーンを「文学」としてあつかって、キリストさんを「女の子」としてあつかった。でもカート・コバーンはのりべんだし、キリストさんはしょうが焼き弁当だ。そのあとに唐揚げ弁当や竜田揚げ弁当や牛すき焼き弁当が列をなして歩いているから、わたしは「きらいきらい!」とばかり言っていた。いつもそう。だからきみがわたしにおべんとうをつくってくれたとき、わたし、ほんとうにきみをすきだって思った。きみのそばにいたいと思った。




コメント
「信者」だったらそう思うんじゃないでしょうか?少なくともわたしは気持ち悪いことに萩尾望都の崇拝者なので、彼女の漫画は福音を読むように読みます。
そうではなくてフツーの「読者」なら受動的に「受け入れる」か能動的に「読み解く」のじゃあないでしょうか。
【2010/03/25 17:36】 | 上田洋一 #- | [edit]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/788-da88346a
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。