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その混迷が私の墓碑銘となるだろう。

2010.04.27(20:34)

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(2007/09/26)
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 その混迷が私の墓碑銘となるだろう。
                       King Crimson/Epitaph


 コーヒーをつめかえようと思って、びんをあけて、袋を切って、それからどばどばとびんの横に置いたマグカップのなかにつめかえて「あれ、なんでこれだけしかはいらないんだろう」と20秒くらいしんけんに悩んだ。いそいで我に帰って無事につめかえたあと、マグカップにいれてお湯をそそいだら、ぜんぜん溶けない。「どういうことでござるか!?」とひとりでぜっきょうしていたら、インスタントじゃなくてフィルターでいれるやつだった。だれかフィルターをわたしの家まで届けてくれてもいいよ。遠慮することなんかないよ。
 健康的であたたかな生活が好きだ。村上春樹を読むと、村上春樹は健康的であたたかな生活しか愛していないように思える。わたしは村上春樹を読みながら虚無感を体得しようと思った。「ノルウェイの森」のワタナベくんみたいにだれかをひどく失ったときに公衆電話ボックスのなかで途方にくれたかった。でも途方にくれるのは難しかったから、健康的であたたかな生活を求めた。おそらくいろいろなひとが村上春樹との関わりかたをまちがえてきたんだろうと思う。でもわたしは関わりかたをまちがえるやりかたでしかひとと関わることがうまくできなかった。あたたかな生活、だからわたしはこの腐った夜にかぼちゃを煮るだろう。ことこととじっくり、キャロル・キングを聴きながら。ひき肉を買うのを忘れたことにも気づかないで。

帰れるというのは錯覚です。だまされているに決まっています。だまされるのがわかっていてだまされつづけるのが大人というものだと、わたしはあなたから習ったような気がします。わたしだってそういう輪っかのなかに連なろうと思ったことが、ないわけではないのです。団地の中の小さな閉ざされた白い部屋のなかで、空洞を抱きしめてみたこともありました。でもどんなに血を流しても、いつも産まれてくるのは白い石ばかりでした。部屋のすみで腐ることもなくたまっていくのです。週に一度の燃えないゴミの日にゴミ置き場に出します。
                             ほしおさなえ/へそ


 ほしおさなえの詩は本質的に日記だと思う。もしかしたら、このひとは過去30年の日記を50行で書きたくなったのかもしれない。でもかりにそういうことをしても、わたしはそれがそのひとの30年だとは思わないし、たぶん、わたしの3年ぶんの日記はわたしの3年ぶんではないだろうと思う。思い出は思いだされるまえに忘れられていく。だから詩を書くのだとしたら、思い出も日記もたいして変わらない。わたしは詩をすぐに忘れる。そして日記もすぐに忘れる。あらゆるものを忘れる。忘れるたびに好きになれるのならいいけれど、世界は石のようなかたちをしていて、いつもうまくいかない。噛もうとすれば歯は割れる、舐めようとすればつめたくてまずい、ひとにぶっつければ、そのひとは頭を割って死んでしまう。




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