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愛とは常にわたしたちが名づける別名にすぎない

2010.05.20(23:04)

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 僕は貴兄の好きな無名な者です。僕は貴兄を結果的にといふよりも過程的に見て大好きなのです。
         中原中也/高橋新吉にあてた手紙より


   ◇◇◇

 言葉を愛したあとでだれかを愛するわけではない。だれかを愛したあとに言葉を愛するだけだ。問題はわたしにはだれかを愛するようになったあと、その起原についてきちんと問う能力が欠けているということだ。だれかは曖昧に愛されるしかなかった。たまごを産んだにわとりはたまごから産まれたにわとりよりは早く死んでいくだろう。愛とは速度の問題にすぎない。わたしがきみの愛のすばやさについていけないとしたら、きみは枯れ木のようにたやすく燃えるだろう。わたしは水をかぶって風船をふくらます。そしてその内部の鳩になろう。わたしは藻たちに寄生されたきみの墓の上をやがて美しく飛ぶだろう。かつてひとはそれを世界と呼んだ。世界はすでに墜落している。地球の奥深くまで落ちている。飛んでいるのは人間だけだ。生きている人間だけだ。
 愛とは常にわたしたちが名づける別名にすぎない。かつてキリストは「汝の隣人を愛せよ」と言った。弟子はキリストに訊ねた。「隣人とはだれなのでしょうか」。キリストはそれには答えず、ただひとつの物語を語っただけだった。キリストは隣人なんて存在しないことを知っていた。だからわたしたちは隣人をつくらなければいけなかった。だからわたしたちは「そのひと」を隣人と名づけた。愛は隣人と同じかたちをしている。

   ◇◇◇

「クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡」を見た。「オトナ帝国」や「戦国アッパレ!」のような日本映画史に燦然と輝く傑作とくらべるとだいぶ劣るけれど、それでもおもしろかった。青森から東京へもどるシーンは最高だった。グロリアがかわいかった。グロリアをべっちょりと踏みたい。「嵐を呼ぶジャングル」でも思ったけれど、「クレヨンしんちゃん」の戦闘シーンはほんとうにすごい。ハリウッドのアクション映画もきちんと「クレヨンしんちゃん」を見てアクションとはなんたるかを勉強したほうがいいと思うけれど、どうだろうか、ハリウッドのえらいひと!




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