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「フセイン・チャラヤン ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅」@東京都現代美術館

2010.06.06(21:59)

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(2007/12/21)
Tai Phong

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「ぐちをこぼすこと」と「だれかをきらいと言うこと」はちがうよ。「ぐちをこぼすこと」は自分に話しかけることで、「だれかをきらいと言うこと」はだれかに話しかけるということだもん。

   ◇◇◇

 東京都現代美術館「フセイン・チャラヤン ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅」を見てきた。冒頭のデビュー作「逸脱する流れ」ですでに笑った。数カ月土のなかに埋めたシルクのドレスを核にしてつくられた洋服だけれど、思いきり茶色いし、ぼろぼろで、きたなくて、きれい。あとはだいたい忘れたけれど、服なのに風になびいて波動がでていたり、服なのにLEDで赤いビームががびがびでていたり、服なのにぜんぜん身体を覆っていなかったり、服なのに顔面がすっぽり隠れていて「これこれなにも見えないだろ!」といろいろつっこみをいれることができたので、楽しかった。
「トーキョーワンダーウォール公募2010入選作品展」も見てきた。都庁の壁面に入賞者の絵画を飾る、という、審査委員長が石原慎太郎の、悪趣味といえばこれ以上悪趣味な催しはないと思えるくらいのすごい企画。個人的に印象に残ったのは樽井英樹「ステージ」、柴田七美「レストラン」、斎藤杏奈「白夜」。「ステージ」は「ちょ、なんでそのタッチなんだよ」と笑ったし、「レストラン」はばかみたいに赤かったので「赤い!」と思ったし、「白夜」はなにが白夜なのかさっぱりわからないうえにひとがみんな気持ちわるいのがよかった。わたしは、こういうのはきちんと選評も作品の横にでででんと書いたほうがいいと思う。特に抽象画は、わたしにはなにがよくてなにがわるいのか、さっぱりわからない。いっこだけすごくきれいなものがあったけれど、名前を忘れた。ざんねん。
 森美術館に行こうと思ったら麻布で迷子になり、「死ねばいいのに」と思った。六本木死ねばいいのに。わたしの体力はだいたいきりぎりすの1/8くらいしかないので、現代美術館をでた頃にはくたくただったけれど、六本木という街はあらゆるお店にはいる気をなくさせる街なので、おとなしく森美術館に行って帰ろうと思った。「六本木クロッシング 芸術は可能か?」を見たけれど、現代アートは、たとえばへとへとになるまで歩きまわったあげく麻布で迷子になったあとに見ると、そのすべてに火をつけて逃げちゃいたいくらい醜悪に見えることがわかった。こんなごみくずを「現代アート」と呼んでわけのわからない空間において「へえ、へえ」とながめていることがこの世界でいちばんくだらない行為に見えた。全員ばかじゃないかと思った。いい歳してなにやってんだよと本気で思ったし、そんなものにいっさいの価値はないんだよと思った。現代アートというカテゴリにおいて作品を制作することはひとつの美の形態を世界においてぎりぎりの線で保持していることだとなんとなく思っていたけれど、それは逆で、現代アート自体がひとつの美の形態をせっせと壊しているんじゃないかと本気で思った。こわいくらいに全部自慰に見えてこわかった。見ていられなかった。あわれだった。わたしか、作品か、どちらかが、あわれだった。
 だからわたしは東京藝術大学大学美術館で7月3日から開かれるシャガール展を見てやっほーするよ。待ちのぞんだシャガールだ! シャガール、しゃがーる、しゃ! がーる! ことしのめだま! しゃ、がー、る!
 早稲田松竹で、2本だてのうち1本を見てしまっていると見たくても行く気がなくなっちゃうのはどうしてだろう。7月3日~アサイヤス「夏時間の庭」「クリーン」、31日~「戦場でワルツを」「カティンの森」、8月7日~「渇き」「蘇りの血」。「クリーン」も「戦場でワルツを」も「渇き」も見ちゃったじゃないか! ばか! 
(ちなみにぜんぶおもしろいよ! ばか!)




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