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酒井幸菜「難聴のパール」@横浜創造都市センター

2010.06.20(22:28)

クライシス(紙ジャケット仕様)クライシス(紙ジャケット仕様)
(2007/10/24)
マイク・オールドフィールド

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 土曜日は管城さんと桜木町駅というすてき駅で待ちあわせをした。管城さんは「この世界のみんながはげになればいいのに」と言っていた。横浜創造都市センターを探していたけれど、ぜんぜん見つからないので、横浜は創造する気力がたりない!と思ったけれど、あったので、横浜は創造する気力があるみたいだった。
 酒井幸菜「難聴のパール」を見た。夏が終わったと思った。前作「In Her, F Major」もそうだけれど、彼女の空間のつくりかたはタルコフスキーやエリセに似ている。酒井幸菜じゃないダンサーのひとが椅子に座って、机に顔をぺたりとつけて、それを横から光が照らしていた。そういう顔は接写したカメラが切りとるべきものだといままで思っていて、わたしはダンスに「光に照らされる横顔」というものを求めていたわけじゃなかったけれど、あのとき、わたしが映画で見てきた「光に照らされる横顔」がほんとうにあったので、「なんだよー」と思った。いままでそういうものが現実にあるなんてちっとも知らなくて、わたしはたぶんいままで現実を舐めていたんだなと思った。もちろん、それは舞台と客席が限りなく近く、彼女の顔を間近に見ることができたから感じとれたことかもしれなくて、たとえば、ちいさな舞台でやる安いダンスを見にいくと、ひとびとはずっと足踏みをしていたりして、そういうのを見るとわたしは「ばかじゃないの」としか思えなくて、そういうのがあるから狭くて安いダンスはわりと敬遠していたんだけれど、酒井幸菜は必要以上に前衛にならなくて、きちんと舞台を「美しくしよう」と思って、それがわたしにはきちんと美しく見えるから、「酒井幸菜好き!」って思う。椅子に座りながら上半身だけでかっくんかっくん踊るひとはきれいだったし、皿のとりあいをしながら踊ったあのひとたちも大好きだった。横浜創造都市センターは神殿みたいなところで、太い柱がどっかんどっかんと立っていて、舞台(舞台すらないだけど)と客席の距離が必要以上に近いから、わたしたちはきちんと舞台すべてを舞台全景として見ることができない。観客は左から右へばたばた走っている彼女たちを首をかくかく動かしながら見なくちゃいけないし、だからそれは現実だった。舞台ではなくて。
 中盤の、それまでの雰囲気をぶちこわすBeatlesの「Honey Pie」もばかでよかったし、ラストのタルコフスキー「ノスタルジア」を思わせる木もわるくなかった。酒井幸菜はうつくしいと思う。
 そのあと藤野さんと待ちあわせをした。藤野さんはパックの緑茶を飲んでストローをがじがじかじりながら改札をうろうろしていた。ランドマークタワーというすてきタワーにのった。キマグレンみたいなひとたちが歌をうたっていた。「ゆずじゃないですか?」と藤野さんが言った。藤野さんはたぶんギターを持ったふたりぐみはぜんぶゆずだと思っているんだと思うけれど、わたしはやさしいので黙っていた。ゆずではないひとたちの後ろでは金魚が惨殺されて、みんな金魚をがじがじかじっていた。わたしたちはわたしたちがどこでごはんを食べるべきかまったく決められなかったので、知らない男の子に決めてもらった。でも知らない男の子は大富豪だったので、高い店にわたしたちを誘導した。「そんなものも食えないなんて貧乏人だな!」と男の子はせせら笑っていたけれど、べつに気にしないで高い店から逃げだした。わたしたちは海賊になった。「当店は初めてですか?」と訊きながらなんの説明もなしに行ってしまう店員にわたしは内心おののいたけれど、藤野さんは「な、なんの説明もない!」とさけんでいたので勇者だと思った。藤野さんはうどんを食べていて、てんかすとまちがえてしょうがを大量にいれていた。パンをスプーンでさしてもくもく食べていたので「それはまちがってるでしょ」と言ったらふたつめのパンは箸ではさんでもくもくと食べていたので「それはまちがってるでしょ」と言った。管城さんは亀のおなかのところも亀の甲羅の部分だと思っていて、「おなかを裂いたら亀が死んじゃうとかいままで知らなかったです」と言っていた。わたしは彼女たちとはちがって善良な一般市民なので、そんなにおもしろいことはしないでひじきサラダや15品目のサラダやグラタンや白身魚やたこ焼きや餃子や唐揚げやケーキやゼリーを食べていた。
 ごはんを食べおわったのでニューヨークまで旅立ち、ニューヨークでコーヒーを飲んだ。ふたりはずっと手をうねうねと動かして遊んでいた。「手って気持ちわるいですよね」と言っていた。いろいろおかしい。給食の話をした。あげぱんてなんだろうと思った。
 管城さんはニューヨークからバスで旅立ち、わたしと藤野さんはみなとみらいを散歩した。藤野さんはいっしょうけんめい海上保安庁の話をしていた。レンガ倉庫から海を見た。海は黒かった。ばしゃばしゃと、ひとが50人ぐらいは溺れていたけれど、わたしたちはたぶんはくじょうなのでだれも助けなかった。「横浜は海だったんですね」と彼女は言った。ジャンプして木の枝につかまろうとしては失敗していた。「自分の身長をおごっていました」と言った。「友達がこの近くでカーナビ売ってるよ」と言ってみたら「カーナビってまだあったんですね」と言った。桜木町駅のまわりには青い服を着たサッカー日本代表のひとが50人くらいいて、たぶん試合の帰りだったんだと思う。帰りの電車でかまくらとかわせみの話をした。かまくらちょういきたい。「なんの話をしているんですか?」と言われた。わたしはけれどいつもなんの話をしているのかわからなかった。いつも。「川崎で降ります」と言っていたのに藤野さんは川崎に着いたことにちっとも気づかなくて、わたしはこの世界でいちばんやさしいので「川崎だよ」と教えてあげた。手をふってわかれた。

    ◇◇◇

 わたしは基本的に毎回同じものを着ているのでそれは人間の生活形態を考えてみればまずいだろうと思って、日曜日は服を買いにいった。えらい。えらすぎるよ、俺。
 電車のなかでずっとプルースト「失われた時を求めて」、泉鏡花「高野聖」(新潮文庫)を読んでいて、それはどちらも1行たりともなにが書いてあるのかわからない小説なので、「ばきゅーん!」と思って村上春樹「レキシントンの幽霊」を読みはじめた。たぶん3回め。村上春樹ってひょっとして短編のほうがおもしろいんじゃないのかなと思った。あとはまいく・おーるどふぃーるどがやっぱりすてきだと思った。おしまい。




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