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ある愛のかたち、ある愛ではないかたち

2010.06.28(22:25)

アホダラ帝国アホダラ帝国
(1993/07)
キャシー・アッカー

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Sgt Pepper's Lonely Hearts Club BandSgt Pepper's Lonely Hearts Club Band
(2009/09/09)
Beatles

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 世界を愛したいとわたしはかつて言ったことがあるんだけれど、キャシー・アッカー「アホダラ帝国」を読んでいると、世界なんて愛さなくてもいいと思った。そして、きらわなくても。


 自分以外の誰かを知覚できないのと同時にエラくロマンチックだったアレクサンダーは、おばあちゃんを憎むことで愛した。おばあちゃんを殺したいと願うことで愛した。つまり、売春というスラムから連れ出したいと願うことで。
 ナナとこのガキは、しっかり手を握りながら、日に焼けた脳が焼けつくような街を歩いた。できることなら、お互い相手を殺したと思う。

 この子の処刑の夜の光、唯一の光は、ピンクの椅子からの光、緑紫で荒々しい肉の放つ光。犯罪と悲惨に憑かれた、荒廃地帯の全住人がその地点:電気椅子処刑の行われる監獄に集まった。監獄の両側では、テレビに映るもの以外、何一つとして自分の目で見ることができないブルジョワ家庭が、目をしっかり閉じていた。「見ざるものは知らざる」と言って。残りの二方向の彼方では、壁が神の目の真ん中までそびえていた。貧乏人のところに神さまがいればの話だけれど。壁の下では、片輪や精神異常や孤独な連中が、でかい足をこすりあわせていた。
 化け物みたいな黒馬にまたがったオマワリが、荒廃地帯の連中を壁際に押し戻そうとした。でも、群衆はなめられて怒りすぎてて、手のつけようがなかった。黒い畜生も人間の畜生も、人間のクズどもの群れを突破できなかった。
 光が水だった時、夜明けという水が全然ない時に、瞬間的な電気の波が水みたいに少年のからだを呪い過ぎた。群衆は津波のように怒号した。「殺された。おれたち殺された」
 おまわりどもは、動く壁みたいにそいつらに襲いかかった。すべては別物になる。血と変化の中で、あたしの幼年期が始まった。

 くだけた舗装の向こうには、やたらいろんな格好をしているせいで人間なんかとても通りぬけられないほど生い茂ったヤブが、唯一の地面で死ぬほど硬い岩から生えてた。この岩の地面はときどきまっすぐそびえて山になり、そして空に向かって空になる。
 岩が空になる。
 最初の光は空気でそれが海の上に居座ってた。見るからに不気味。それとも人間のゲロに似た霞。それから水面のてっぺんが、それ自身が波だったり、まるで波があったりするみたいだけど、ホントは波なんかなくて、光になった。この水面のてっぺんは色がまだら。ほかに光はなかった。
 岩が空になるのとはちがったけど、光は水の中に入ってった。
 水のてっぺんは無価値な宝石。遠くのほうでそびえる岩は霞。みんな霞んで人間のゲロみたい。
 この虫酸の走るような世界の始まりの次の日、岩は洞窟になった。洞窟は人がたくさん入れるくらいおっきかった。でかい黒い毛虫がいて、足だけ白。それが海底の底の穴に這いこむ。午後の日差しをいっぱいに受けて、ロバが眠りこんだ。そのでかい頭は、もっとでかい犬の頭が寝てる隣に寝てる。蜂は馬よりおっきかった。



 どとーるで応用情報技術者試験の勉強をしたあと読みはじめて、わたしはとても泣きそうになった。世界なんて愛さなくていいと思った。ホフェッシュ・シェクターのダンスや、キャシー・アッカーの文章や、The Beatles「She's Leaving Home」がさいあくなのは、彼らがわたしの範囲の世界をたやすく越えてしまっているからだと思った。たとえば、会社も、わたしはきらいでも好きでもなかった。こんな程度か。ただ座ってくだらない話を聞いていればそれで月に18万円ももらえるのかと思った。それはそんな程度の装置だった。それはべつにだれかがランプをこすると魔神がでてきてくれたことや、だれかが足をおろして毛虫を踏みつけたことと、なんにも変わらないじゃないかと思った。ふと、この世界には耐えられないほどひどいことがほんとうにあるんだろうかと思った。会社で「あの子には手をだしちゃだめだよ。彼氏がいるからね!」と言われた。それでもあの子はかわいいと思った。だからわたしはそれはいったいどういうことなんだろうと思ったけれど、わたしにはいつもわからないままだった。葉っぱを噛んでばかりいるような気がした。葉っぱは緑色だった。緑色をしているから、それは緑色の世界を彩っていた。世界なんてたとえばキャシー・アッカーと何人かの友達だけでいいと思った。照射されたら焼けるだけだ。それでいいじゃないか。それなのに、いったいなにをこわがっているんだろうと思う。世界がほしいなと思った。世界がかりにホットケーキだったなら、わたしはバターを塗ってはちみつをかけてそれを食べることができるのに、世界はホットケーキではないから、世界なんてほしくないなと思った。世界を愛するよりも友達を愛するほうがほんのすこしだけましなことかもしれないなと思った。ひとが、キャシー・アッカーのようにわたしを感動させてくれないなら、ひとなんてもういらないよと思った。大砲のなかはいつもからで、わたしたちはそのなかに砲弾がつまっているとほんとうに思いこんでいるから、たんじゅんに生きていられるんだと思う。好きでもきらいでもないと思った。わたしはだれかをきちんときらいたいと思った。だれかをきちんときらえたらだれかを好きになれるかもしれないと思った。世界がひとの垂れながしたおしっこだとしたら、それを舐めているのはたやすい犬ばかりだと思う。わたしは犬じゃない。でも世界がその程度だとしたら、わたしはやっぱり愛さなくてもいいのかなと思った。愛する価値があるとか、ないとか、見る価値があるとか、ないとか、読む価値があるとか、ないとか、価値で自分の行動や感情を決めるひとはいったいなんなんだろう。そうじゃないんだよ。たぶん。ひとは世界をちゃんと超えているのかな。ひとは測ってばかりいるから、世界にたやすく負けておしっこを舐める犬になっちゃうんだよ。愛したくすらないな。わたしは、ほんとうは、なんにも愛したくないんだなと思った。世界も、ひとも。愛したくもないし、きらいたくもないよ。どうして、愛したり、きらったり、しなくちゃ、なにかと関係できないと思っちゃったんだろう。そんなふうな「ぎちぎち」を求めて、わたしがいっかいでも犬ではなかったことがあるんだろうか。たいしたことじゃないことばかり、たいしたものだって言っていた。たいしたものであふれかえった場所じゃないと生きられないって、思っていたのかな。


 物心ついて以来ずっと海賊になりたかった。物心ついて以来ずっと大洋を航海したかった。なにかを求めるようになって以来ずっと、他の人間を屠殺して血が流れるのが見たかった。
――キャシー・アッカー





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