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すべての人間は一冊の本を書くために生まれた

2010.08.18(22:26)

ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)
(2001/11)
アゴタ クリストフ

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 私はまだ五十歳だ。もし煙草と酒を、というかむしろ煙草と酒をやめれば、まだ一冊の本を書けると思うんだ。何冊も書くのは、これは無理だ。しかし、ただ一冊なら、たぶんね。私は確信しているんだよ、リュカ、すべての人間は一冊の本を書くために生まれたのであって、ほかにはどんな目的もないんだ。天才的な本であろうと、凡庸な本であろうと、そんなことは大した問題じゃない。けれども、なにも書かなければ、人は無為に生きたことになる。地上を通りすぎただけで痕跡を残さずに終わるのだから。
――アゴタ・クリストフ「ふたりの証拠」

 この小説のなかでこう言った本屋の主人は、2年ものあいだ既存の本の文章をひたすらにうつし、ついには発狂して姉を殺し、最後には処刑された。
 意識して本を読みはじめたころ、とても衝撃を受けたのはポール・オースター「幽霊たち」やアゴタ・クリストフ「悪童日記」、「ふたりの証拠」、「第三の嘘」だった。解決されない事件も、うそにうそを塗りかさねてまでもうそをつくという愛を持った3部作も、好きだった。
 ほんとうにたいせつなことを言うためには、うそをつくしかないんじゃないかとときどき思う。だれかになにかを言いたいんだったら手紙を書けばいいけれど、そのかわりに小説や日記を書くのだったらそれはひどくまちがっていると思う。これはわたしの話でないにしても、どうして読者へ伝えたいことと友達へ伝えたいことがちがうということがありえるんだろうか。わたしはわたしの書いていることなんてほとんどなにも信じていないし、わたしはわたしの日々が実際にあったことでも、なかったことでも、それがわたしがこれから経験するだろう関係へとしかつながりえないのであれば、これを読んでいるあなたはわたしとは見ず知らずの他人のはずだ。あなたがかりにわたしが日記として書いているものをたやすく真実だと信じてしまうのなら、そのとき、あなたはわたしを信じているんだろうか、わたしの文章を信じているんだろうか、そうではなく、あなたはあなただけを信じているんだろうか。なにを信じたってかまわない。傷つくのはあなただけだ。かりにうそがこわいものだとしたら、それはうそをつくひとを責めることができないからだと思う。うそをつくのがうそつきだけだったらそのひとは正直者にちがいないのだから、うそをつくのはいつもうそつきではないひとたちだ。だから、そのひとたちはうそをとおしてわたしの場所に接近してくるし、そのひとたちはうそをとおしてわたしに愛情を抱かせる。ひとがひとと関係できるとするならもううそしかないと思う。わたしはだれかと関係できるとすれば、それがうそでもいいと思う。




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