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キース・ジャレット・トリオ JAPAN TOUR 2010@Bunkamura オーチャードホール

2010.09.30(23:02)

The Koln ConcertThe Koln Concert
(1999/11/16)
Keith Jarrett

商品詳細を見る

 9月29日(水)

 有給をとって、初台にある東京オペラシティアートギャラリーで「アントワープ王立美術館コレクション展」を見てきた。フランツ・クルテンス「陽光の降り注ぐ小道」はまぶしくって思わず目をそむけちゃうほどで、近づいても、遠ざかっても、葉っぱを通したこまかい粒子がきらきらしていて、きれいだった。アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ「洗濯する女」は点描画の点をうっかり線にしてしまった絵で、しゃりしゃりと降りそそぐ斜めの絵の具は冷徹なようでいてやさしく、うつくしかった。イシドール・ヴェルヘイデン「カンピーヌでの巡礼」もちょっとたまらなかったし、レオン・フレデリック「咲き誇るシャクナゲ」、ジャン・バティスト・デ・グレーフ「公園にいるストローブ嬢」もあたりまえにきれいでいてくれたからうれしかったし、レオン・スピリアールト「自画像」ふたつはあまりにもばかすぎて笑った。ほかの絵はぜんぜんだめなのにあのひとはどうして自画像ばっかりあんなに冷徹に描けるんだろう。うっかり好きになってしまいそう。キュビズム以降ではイポリット・ダーイ「子ども」がだんとつによかった。離れて見る、あの残像だらけの女の子はずっとずっときれいだった。
 てくてく歩いて、てくてく電車に乗って、Bunkamura オーチャードホールでキース・ジャレット・トリオ(キース、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネット)のコンサートを見にいったか、聴きにいった。藤野さんはキースはオレンジ色のシャツを着て、だらんと腕と頭をたらしておじぎをしていて、「キース・ジャレットかわいい!」って言っていたけれど、この日は湿った青色のシャツを着ていて、でもだらんと腕と頭をさげていたから、それでもかわいかった。音、みたいなものがあったんだと思うけれどよくわからなかった。ピアノやドラムやベースのひとつひとつの音なんてほんとうにはたいしたものじゃないってずっと思っているのに、ひとつひとつの音がゆるやかに空間をつくりだして、その空間は音が消えてしまうたびに愛と呼ばれた感情がいつもそうであるようにすっとひいていった。どうしてこんなふうになっちゃうんだろうなと思っていた。たかがピアノなのに。たかが音なのに。ときどき中腰になって、かぼそい動物のようなうなり声をあげながらキースはピアノを弾いて、ときどき、ぜったいまだ曲終わってないよって思うところでいきなり立ちあがったりして、ジャック・ディジョネットのほうをずっと見ながらはいるタイミングを見はからって、でもはいったときのピアノはそれはもう美しくて、わたしはそれが曲なのか音楽なのか音なのかずっとわからなかったけれど、わからなくってもそれがここちよければなんでもいいと思った。終わったあと、ロビーに曲目が手書きで掲示されていたから、もしかしたらそれは全部が即興じゃなくてちゃんといちいち曲だったのかもしれないけれど、わたしはキースのアルバムなんてほとんど聴いていないからわからなくて、そもそも、あたりまえだけれどわたしはどこが即興でどこが曲なのかぜんぜんわからなくて、わからないのならそれでいいんだなって思った。わたしは曲じゃないとそれを聴けないと思っていた。でもちがった。それが曲じゃなくても、わたしはかろうじて、ぎりぎり、それを聴くことができるんだなと思えて、うれしかった。


 まえに「あなたが明日死んだらわたしはだれかを好きになれたと言って生きていくことができる」と言われたことがあった。のこしておきたい言葉はたくさんあるけれど、それがあるなら、それはいつでもたったひとつののこしておきたくない言葉だと思う。のこしておきたい言葉はもしかしたら発せられなかった言葉なのかもしれない。そう言ったそのだれかはほんとうにはそんなことは言わなかったのかもしれない。なにも覚えていない。それでも、わたしはうれしかったんだと思う。わたしは気持ちや言葉を大事したいと思っているのかどうかもわからない。自分のために言葉を使うことがうまくできなくなった。もうわたしのどんな言葉もだれかに向かってしまうように思う。もしもわたしの言葉がそうなら、わたしの言葉はもう武器なんだろう。言葉がだれかのもとに向かっていくなら、その言葉を受けたひとがかなしんだとしても、よろこんだとしても、それは必ずそのひとを傷つけているように思う。だれかが、とくにわたしの好きなだれかがかりにわたしにしゃべりかけたとして、わたしに向かってなにかを書いたとして、そしてそれがわたしにとってなによりもちいさいくらいにうれしいことだとしても、わたしはそれにふかく傷ついていると思った。でもわたしはそれでいいと思った。それがいいと思った。


 9月30日(木)

 会社にいった。
 このまえキャバ嬢を落とすゲームをやっていたSSくんが(もう全員落としちゃったので)合コンのゲームをやっていた。「ほんとひどいゲームだよ…」と言っていた。3対3で、10回くらい質問があって、3こめくらいの質問で男3人でトイレにこもるという強制イベントが発生して「おまえだれ狙い?」という話をえんえんして、意気揚々とそとにでると女の子は姿を消していたという。「俺、そとさがしてくるよ!」とひとりが言ってゲームオーバーだったという。かなしい。




コメント
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【2010/10/03 13:14】 | # | [edit]
コメントありがとうございます。
うれしいです。
コメントがいらないわけじゃありません。
いらないと思われることはとてもだいすきですが
それでもいらないわけではないのだと 僕は思います。
【2010/10/04 21:34】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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