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「フランダースの光 ベルギーの美しき村を描いて」@Bunkamura ザ・ミュージアム

2010.10.10(12:23)

サバイバル・オブ・ザ・デッド [DVD]サバイバル・オブ・ザ・デッド [DVD]
(2010/10/02)
アラン・ヴァン・スプラングケネス・ウェルシュ

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 10月7日(木)

 会社にいった。7時30分ころに帰って眠って翌朝6時に起きた。気持ちいいなと思った。


 10月8日(金)

 会社にいった。


 10月9日(土)

 朝起きて、ぺん子さんと新橋で待ちあわせをして、新橋文化劇場でジョージ・A・ロメロ「サバイバル・オブ・ザ・デッド」を見てきた。わたしはゾンビじゃないのでわたしの人生は終わってないのかもしれないなと思った。
 新橋文化劇場は噂には聞いていたけれどなかなかにすごい環境で、チケット切ってもらって「どうぞ」と言われてはいったら2本立てのまえの映画のラストシーンを思いきりやっているし、みんな上映中でもスクリーン横のトイレに平気ではいっているし、そもそも、時計がついているし、電車の音はがたこんがたこんするし、「し、しすてむ!」と思った。「サバイバル・オブ・ザ・デッド」は2回めだけどやっぱりおもしろかった。死者は生かしておくべき、死者は殺すべき、という価値観のもとで対立しているパトリック・オフリンとシェイマス・マルドゥーンは「死者の生死」という時点で、対立する価値観の前提からして転倒しているけれど、その転倒がすべて通過されていくのが気持ちいい。サージたちがパトリック・オフリンの側についていたのはほんとうにたまたまだったし、絶望的なまでにかっこいいラストシーンを見ればパトリック・オフリンとマルドゥーンの思想もなにもかもにちがいがないことを感じる。思想は映像、あるいは映像的なものにしか宿らない。
 雨だし、いくところもないし、という話になって(みんな休みの日にそとにでているけれど、いったいどこにいくんだろう)Bunkamuraで「フランダースの光 ベルギーの美しき村を描いて」を見てきた。入り口に紳士が立っていてそっとわたしたちにチケットを2枚わたしてくれた。「千円!」と言われた。「あ、あやしい!」と思った。でもふつうに使えた。「うたがってごめん」と思った。
 フランダースってなんとなく犬の名前だと思っていたけれどよく考えたらそんなわけないし、あれはパトラッシュだよね、男の子はなんか忘れたけれどフランダースなんて犬っぽい名前じゃないよね、てゆうかフランダースって地名だったんだ、べるぎー…と思ったけれどそういうことは全部だまって絵を見た。エミール・クラウスがやっぱりよかった。「ピクニック風景」、「野の少女たち」、「刈草干し」、逆光にして描かれた風景では、ひとの輪郭にそって光がぺかぺかと光って、よくよく見れば、それは絵でしかないのに目がくらみそうになった。まぶしい!って思った。まぶしいはずないのにそれがまぶしいのなら、ちょっととんでもないなって思った。ほかの画家ではフリッツ・ヴァン・デン・ベルグ「小さなイヴ」、「庭の少女」、アルベール・セルヴァース「溺死」なんかもよかった。
 そとにでたら寒いから、寒いねって言って、それはもう寒いのに決まっているから、お鍋を食べた。水たき鍋だった。水たきってなんだろうと思って食べたけれど、最後まで食べても水たきってなんなのかぜんぜんわからなかった。でもお鍋はぜんぶおいしい。そとにでたらあいかわらずの雨で、ずっとずっと雨だった。どうしてこんなにもうまく歩けないんだろうって思っていたけれど、それはずっとずっと、わからないままだった。「ばいばい」って言ってわかれた。




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