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残酷が欲しいな

2010.10.15(22:52)

ダーラナの地主館奇談ダーラナの地主館奇談
(2001/05)
セルマ ラーゲルレーヴ

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 10月10日(日)

 3時ぐらいにTNと待ちあわせをして、李相日「悪人」を見てきた。わりに期待して見にいった映画で、わりにおもしろかったけれども、たとえば、どうして逃亡中のふたりは重要そうな話や重要そうな仕草ばかりをしているんだろう。なにか重大なことをしでかしてしまったひとはそのことばかり考えていなくちゃいけないわけじゃないし、なにが起こったとしても、もっともっとたのしいことはぜったいにあるはずだと思う。重要なことしか話せなくなったとき、その関係は終わってしまう。満島ひかりはあいかわらず抜群によかった。
 YNと合流してお酒を飲んだ。わたしはたぶん重要なことを話したかったと思うけれど、重要なことはひとつも話せなかった。それでいいのかもしれないと思った。TNが7万円の炊飯器を買おうとしていたのでばかにしてみた。ばかだと思う。


 10月11日(月)

 なにをしていたのかまったく覚えていないけれど、たぶん、くりーにんぐ屋さんにいって、図書館にいって、セルマ・ラゲルレーヴ「ダーラナの地主館奇談」とブラウリオ・アレナス「パースの城」を借りたんだと思う。うまく眠れなかった。


 10月12日(火)

 生きてきたなかでいちばんわたしがわたしとしてあることがいやだったかもしれない。どうしてうまく、自分をふくめた他人を信用することができないんだろう。言いわけはたぶんいつも言いわけにすぎなかったし、それならば、それはたんなる言いわけにすぎないんだと思う。それは言葉ですらなかった。残酷が欲しいな。だれも傷つけない、やさしさにも似た、ふれれば転がっていってくれるようなまるっこい残酷が。「ほんとうはわかっているのにわかっていないふりをしている」と言われた。そうかもしれないと思った。わかっていないことをわかっているふりをするよりも、わかっていることをわかっていないふりをするほうがずっとずっといやしい。わたしはいつもだれかになりたかった。けれどそのだれかはわたしではないだれかだから、わたしはそのだれかを望むことはみにくいことだと思った。それでも、わたしはいつもだれかにこがれてしまう。そのだれかといっしょにいればわたしはそのひとになれると思ったんだろうか。そんなはずはなかった。他人なんてしょせん他人だ。けれど、他人だからこそ無条件で愛せるのかもしれないとも思う。もう、他人の区別がうまくつかない。だれがだれだかわからない。名前が混乱して、顔が混乱して、意識が混乱して、すりおろしたりんごみたいにぐりゅぐりゅに溶けて新生児の口のなかに飲みこまれていくみたいだ。サリンジャーの「テディ」という小説のなかでテディは「彼らはぼくたちを愛すると同時にぼくたちを愛する理由を愛してるんだ。」と言っていて、わたしはそれに対抗したかった。そうじゃなくありたかった。他人を愛さないようなやりかたで愛したいとか、もうそういうのはいいじゃないか。そんなのはただの言葉だ。気持ちなんて変わらないじゃないか。わかることなく変わらないじゃないないか。


 10月13日(水)

 会社にいった。SSくんが「暗いね」と言った。「いつも暗いけどね」とわたしが言った。

 
 10月14日(木)

 会社にいった。SSくんが「まあこれでも食べなよ」とどーなつをくれた。やさしい。


 10月15日(金)
 
 会社にいった。




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