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わたしたちはいっしょにいるのに、どうしてこんなにもなればなれなんだろう。

2010.10.18(21:59)

体は全部知っている (文春文庫)体は全部知っている (文春文庫)
(2002/12)
吉本 ばなな

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  10月16日(土)

 お昼すぎまで寝ていて、起きてもブラウリオ・アレナス「パースの城」を読んでいて、飽きて、ぶくおふまでいって「カイジ」を立ちよみして、帰ってきて、中村文則「土の中の子供」を読んで、けっこうおもしろいなと思っていた。だれとも話さなかった。ずっとぐうたらしていたから背中も重たかったし、身体のなかに虫のような灰がたまっていくようなにぶい感覚が断続的に続いていた。それらは、明日になったら忘れてしまうどうでもいいものにちがいないけれど、本をたくさん読むことでたまっていくなにかみたいに、身体の奥に消化されないままたまっていって、いつかひとを殺すんだろう。


 10月17日(日)

 朝早く起きて、証明写真を撮って、あの人食い電話ボックスみたいな刹那的にせまい場所で、ちょきちょき写真を切って、貼って、獨協大学までいって応用情報技術者試験を受けた。わたしはさいきんぜんぜん勉強する気持ちがなかったから勉強もしていなかったし、受かる気もなかったから、いこうかどうか迷っていたけれど、午前はぎりぎりで受かったみたいだった。午後もわたしはできた気がする。らっきーだと思った。
 ずっとレイモンド・チャンドラー「プレイバック」を読んでいた。彼女はマーロウにこう訊ねる。
「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」
 マーロウはこう答える。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
 電車を乗りついで高田馬場の早稲田松竹でジョニー・トー「エレクション」、「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」を見た。
「エレクション」は最後がちょっと意味がわからなかったけれど、「あ、ひとがひとを殺している」と思った。わたしは、映画のなかでだれかがだれかを殺しているのに、どうして現実ではそのひとは生きているんだろうと思うことがあった。でも、「エレクション」ではひとがひとをしっかり殺していたからうれしかった。石でひとの後頭部をがんがん殴って、とても重そうで、疲れていて、苦しそうだった。森では猿が集まって、ひいひい鳴いていた。
「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」は、2回めだから、アンソニー・ウォンがどういう状況にあるかを知っていて、だから、中盤からずっと泣いていた。どうしてこんなに泣けるのかなと思っていたけれど、わたしはたぶん、眠いだけだった。映画を見て泣きそうになるときはいつもあくびをしているし、眠いときはいつも泣いている。かなしいのか、眠たいのか、あんまり区別がつかない。
 帰った。


 10月18日(月)

 会社にいった。
 今村さんにはじめて会った日、帰りの電車のなかでメールがきて、そこに「おまえはサラリーマンをやっても3流以下だから」と書いてあって、うれしかった。たぶん彼がただしいんだろう。でもだからと言ってなにがどうなるわけでもないし、それは、ただの問題にすぎないと思う。ほかにやりたいことだってある。サラリーマンになったって世界を愛せるわけではないから。
 とてもひさしぶりによしもとばななを読んだ。それは「体は全部知っている」という本だけれど、彼女の書く文章のあまりの遠さとあまりの近さにせつなくなった。彼女は圧倒的に遠い文章を書くけれど、それは遠いゆえにあまりに近くにあってこわいくらいだ。彼女の文章は、ひとを距離では測らない。物体の距離は魂の距離だし、魂の距離は物体の距離だ。「わたしたちはいっしょにいるのに、どうしてこんなにもなればなれなんだろう」。かつてゴダールは自身の映画のなかにそういう台詞を書いた。そんなにも遠くにいるのに、どうしてよしもとばななはこんなにも近くにいるんだろう。




コメント
昔のわたしの古い記憶だと「男はタフでなければ生きていけない」だったような・・・気がします。やはり翻訳も時代と文化に合わせて変わるんですねえ。そういえば、トルコ共和国の「源氏物語」研究者が「下手に訳すと、『源氏物語』が児童虐待の話に思われてしまう」とこぼしていましたよ。
【2010/10/21 17:18】 | 上田洋一 #- | [edit]
翻訳をするまえの状態が「本物」で
翻訳されたあとのものが「偽物」で
翻訳がよっぽど本物に近い偽物をつくる程度のものでしかないのなら
かなしいと思いますけれど
それは うがった見方かもしれません。
「児童虐待の話でいいじゃん」とわたしは思うんですけれども
よくわかりません。
【2010/11/09 21:59】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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