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もうじき戦争になるね

2010.10.25(20:49)

青空 (晶文社クラシックス)青空 (晶文社クラシックス)
(1998/10)
ジョルジュ バタイユ

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 10月21日(木)

 会社が終わったあと、新宿で藤野さんと待ちあわせてごはんを食べた。「何口に行けばいい?」と訊くと「ここがどこだかわからないので、わかったらさけびます!」と言われた。どうせ東口だろうと思ったらやっぱり東口だった。電話をしたら「わーわー!」と言ってでた。わーわー!って思った。よくわからないけれど新宿の街をぺんぎんみたいにねりあるいて、なにが食べたいって訊いたら「木の実!」とか言いだしたからハンバーグを食べた。おいしかった。なにを話したかぜんぜん覚えていないけれど、フォアグラとかの話をした。フォアグラってきのこですかって訊かれたので、たぶんちがうよって言った。でもなにがなんだかよくわからない。もしかしたらきのこかもしれない。
 新宿の街をずっとさまよって、さまよって、さまよっていた。ずっとまえ、たぶん藤野さんに、たぶん損保ジャパン美術館にいったとき、東京モード学園を見て「あれはなんのたまごですか?」と訊かれたと思う。よくわからなかったけれど、そのときのわたしと彼女はそれがたまごじゃなくて東京モード学園だって知っていたから、わたしたちはすこしずつ成長して、すこしずつ壊れていくんだろうと思った。東京モード学園にいった。本を見てもどった。駅で、オウム真理教と北朝鮮潜入の話を聞いた。よくわからない、地下なのか地上なのかわからない空間を支えているだろう太い柱によりかかって話をしながら、わたしは彼女をきらいになりたいんだろうなと思っていた。わたしは彼女についてのすべてを許して、彼女についてのすべてをきらいたいんだろうなって思っていた。

  
 10月22日(金)

 会社にいった。
 大江健三郎「あいまいな日本の私」のなかにこんなことが書いてある。
 

 カート・ヴォネガットという小説がアメリカにいます。ある教会でかれがした講演に、絵を介してそのことを語った部分があります。絵というものは、三十センチと四十センチほどの画面をつくり出す。ここには無秩序の、ありは秩序以前の混乱はない。かたちがある。それを表現するのが絵だとかれはいうのです。それと同じように、文学も、現実世界とわれわれの生の、混乱した、暗い、混沌に、カオスに対して、秩序をあたえる、かたちをあたえるということをするのだと思います。
 新しい才能を持った若い芸術家が現れてくると、小説家、詩人であれ、音楽家、画家であれ、私たちが知らなかった新しい世界を見せてくれるのを感じます。それはかならずしもそれがすっかり新しい世界から来たというのではない。かれも私たちと同じ世界に生きているのですけれども、かれは新しい秩序のあたえ方を知っているのです。もっとわかりやすくいえば、彼は新しい表現のかたちを持っているのです。私たちはかれにあたえられたかたちを見て、自分の生きている世界はこういうものかと、あらためて理解するということがあるのです。
 私をふくめて旧世代の小説を読んで、それなりの世界の見方をということを感じていた人が、たとえば、村上春樹さんの新作を読むと、ああ、この世界はこんなにすっかりして、清すがしくかつエロティックなものなのか、と感じれるでしょう。そしてこの前まで、世界というのは重苦しく難しいと思っていた人が、これは気持がいいと感じられるのではないでしょうか? だからといって、それは世界が変わったのではなくて、世界へのかたちのあたえ方が変ったのに接している、ということなのです。芸術家が芸術をつくる、あるいは、芸術家が仕事をしながら生きるということは、かれ自身にとっても他の人にとっても、そういうことなのだと思います。



 何度も書いてきたことだけれど、わたしの日記はわたしの日常を美しく彩るためのものだった。わたしはだれかといてもそのときわたしがたのしいと思っているのかどうかわからなかったし、だれかといてもそのだれかのことを好きだと思っているのかどうかわからなかった。わたしには自分の日常が充実しているのかどうか、自分の世界が美しいのかどうかわからなかったし、わからないままだ。だからわたしはせめて日記を書けたらいいと思った。わたしの日常がどんなに蛙の轢死体のようにくさいものであったとしても、わたしによってそれがわたしにとって美しく描かれたとしたら、すくなくともそれはわたしにとっては美しいはずだった。わたしの描いたものはわたしにとってはすべて美しかったけれど、わたしのその行為はみにくいものだろうと思ってきた。だから、わたしは、世界が描かれる以前に美しく感じられるように見えるひとに憧れた。そのひとが美しいと認識したり決定づけたりすることなくすでに世界がありその世界の美しさを感じとることができているように見える視線に憧れた。それが欲しいと思った。それだけが欲しかった。わたしが欲しいのは、おそらくはほんとうにはそれだけだと思う。
 ほんとうのことなんていらないと何度も書いた。わたしの日常という現実めいたものもわたしはわたしの手によってたくさんの虚構を混ぜあわせ、現実よりも虚構の美しさを記憶として保持していく。そんなふうに生きてきたし、もうほんとうの美しさは手にはいらないだろうとわたしは思ったから、それでよかった。つねに虚構と現実を混ぜあわせて世界と記憶を更新してきた。だからほんとうもいらない。うそもいらない。なんだっていいから、世界が美しくあればいいと思う。大江健三郎の言ったことはわたしの言ったことといくらか重なると思う。わたしはそれを否定する態度をとりながら肯定するけれど、大江健三郎はどう思うだろう。わたしには世界の見方を更新して、つねに新しい美しさのかたちをきりとりきりとられていくというやりかたしかない。それができなくなったときにわたしは混乱するし、ありもしないものを求めるんだと思う。あわれだなと思う。


 10月23日(土)

 眠かったので寝て、起きたら、頭がよくわからないことになっていたから気がついたらあまぞんでぽめらを注文していた。こわい。
 電車に揺られて高円寺まで行ったら、管城さんがいた。管城さんは「中野なんていままでわたしの眼中になかったんです」と言った。だからわたしは「高円寺は眼中にあったんですね」と言った。すると彼女は「……眼中にしかありません。ここにいる平和そうなあほう面をしたひとたちはみんなわたしの目のなかにいるんです!」とか言いはじめたのでうれしかった。今村夫妻がやってきて、はじめましてとおひさしぶりですをしていた。今村久美さんががんがん歩いていって、管城さんが「速い…」と言っていた。お魚を食べにいきましようと言ったのになぜだかわからないけれども本屋にいて、高円寺では本屋でお魚が売っているのかとみんなが驚いていた。
 高架下のお店で内臓をもしゃもしゃ食べて、今村さんが「ランデヴー」という曲のPVのYUKIがかわいすぎるというのでYUKIを見たら YUKIはかわいかった。今村久美さんとさよならをして、バーにはいってお酒を飲みながらなんにも覚えていない話をした。今村さんがデジタルとアナログの話をして、いま料理の写真でアナログじゃないものなんて「オレンジページくらいだ」と言っていた。だてにオレンジじゃなかった。バーからでてよくわからない高円寺をよくわからないままに歩いて、かわいいお店にはいって座っていた。今村さんは今年は絵を描くと言っていた。だからなのかどうかはわからないけれど、明らかに写真の感想を書いていくノートに関係ない絵を描いていた。うさぎとか。
 帰った。


 10月24日(日)
 
 昼間起きて、図書館にいってバタイユ「青空」とケルテース・イムレ「運命ではなく」を借りて、それから実家にもどって、車で免許センターまでいって免許を更新してきた。NIくんが交通安全協会のことを憎々しげに「天下り団体!」と罵っていたことを思いだして今日こそ交通安全協会には加盟しないぞ!と思っていったけれどなんだか知らないうちに交通安全協会に加入してしっかりと会費までとられていた。交通安全協会こわい。
 実家のわたしの部屋には洗濯物が干してあった。きれいにかたづけられていて、電球はちかちかしていて、死んだあとみたいだって思った。煙草を吸わなかった。煙草を吸うのはもうやめようって思った。


 ――もうじき戦争になるわね。
 ぼくはやさしく答えた。
 ――さあ、どうかな。
 ――あたし知りたいの。ときどきあたしの考えることはね、戦争になると思うの。そしたら、ある人に知らせなきゃならないの――戦争がはじまりました、ってね。その人に会いに行くと、その人は予期していなくて、さっと青ざめるのよ。
 ――それで?
 ――それだけよ。
――ジョルジュ・バタイユ/青空


 10月25日(月)

 会社にいった。
 あまりにもコーヒーが飲みたすぎたけれど、わたしはずっとコーヒーをきらしていて、それはかなしいことなので、コーヒーを買いにいった。煙草を吸うのを我慢するためにコーヒーをがぶがぶ飲みたい。あと柿の種をいっぱい食べよう。ぽりぽり。おいしい。ぽりぽり。




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