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三浦基「――ところでアルトーさん、」@東京芸術劇場、ロドリゴ・ガルシア「ヴァーサス」@にしすがも創造舎

2010.11.26(01:13)

獣の樹 (講談社ノベルス)獣の樹 (講談社ノベルス)
(2010/07/07)
舞城 王太郎

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 11月23日(火)

 東京芸術劇場で三浦基「――ところでアルトーさん、」を見た。まえに、わたしは「演劇とはけっきょくのところ言葉をどうしゃべるかの問題だと思う」と書いたけれど、それでいえば、言葉、あるいはテクストをどうしゃべるかつきつめてみた作品だと思ったし、すごくよかったと思う。わざとらしい感はあるし、これを見たからといってわたしの人生のなにが変わるわけでもまったくないのがざんねんだけど、見ているあいだはたのしかった。言語はしゃべられかたによって空間を形成する。でも、その空間はわたしの好みではなかったんだと思う。たとえば、たとえばだけれど、愛は嫉妬だと思う。わたしは三浦基には嫉妬しない。それは、野田秀樹の脚本を読んだとき「わたしはこのひととは関係ないな」と思ったほどに嫉妬しないのだと思う。けれどわたしは黒田育世には嫉妬する。愛とはそういうものだ。愛とはそういうものであってほしい。
 にしすがも創造舎でロドリゴ・ガルシア「ヴァーサス」を見た。こっちもすばらしかった。けっきょくわたしはまじめだから、ガルシアの持つユーモアではたちむかうことができない世界もあると思ったし、最後のくりかえしはあまりにも冗長すぎるというか、そこで感傷的になってはいけないんじゃないかと思えるほどだったけれど、問題は、資本主義を批判しているというガルシアにとってやはり資本主義が美しいということだと思う。ガルシアは資本主義を批判することでそのみにくさを暴きだそうとはしない。それは、ほんとうは資本主義がみにくくもなんともないからだと思う。ならば、ほんとうにみにくいのはみにくくもない資本主義を批判する立場にあるガルシアかもしれない。でも、それでも、みにくさというのはつねに美しい。
 舞城王太郎「獣の樹」を読んでいた。倫理観をまっこうから描いた前半は文句なしにすばらしいと思ったけれど、後半、失速してしまった感じがするのは、スケールが縮小してしまったからだと思う。たとえば、この小説の終わりに置かれた次の文章、

 ただひたすら時間が経っていく中、焦り出した僕の中で時計だけが加速する。
 もうすぐ現実に戦争が始まるのだ。
 大きな戦争が。


「ただひたすら時間が経っていく中、焦り出した僕の中で時計だけが加速する。」と「中」を2回も使って平気でいられる舞城のセンスを疑うべきか、舞城だからそれでいいのか、わからないけれども、それはともかくとして、村上春樹ならこの文章を30ページの短篇のラストには持ってきても、長編のラストにはもってこないと思う。村上春樹なら30ページで書けることを舞城王太郎は500ページ以上をかけて書いているということになるし、村上春樹が舞城王太郎にくらべていかに物語というものに真摯にとりくんでいるかということまでよくわかってしまうように思う。そして、「ディスコ探偵水曜日」以後、500ページ書いたとしても、わたしには手慰みにして見えなくなってしまった舞城王太郎という作家はわたしにとってどういうことなんだろうと、あらためて思う。
 わたしは、ときどき世界は小説の限界を越えているんじゃないかと思う。だから、わたしはダンスを見るし、演劇を見るし、映画を見るんだと思う。そして世界を後退させる、あるいは小説を加速させる。わたしはわたしのなかでわたしのものをたがいに追いかけさせあっているだけかもしれないと思う。なんてつまらないことを何年もつづけているんだろうと、ときどきえのきみたいに真っ白になって考える。灰のように埋もれてしまえばいいのに。


 11月24日(水)

 会社にいった。9時まで残業をした。

 11月25日(木)

 会社にいった。勉強をしにまくどなるどにいったら、TSさんとSOさんがいた。呼ばれたので同じテーブルに座って、彼女たちも生保講座の勉強していて、それで勉強しようと思っておしゃべりをしていたら11時をすぎていた。びっくりした。演劇にいった話をした。「ひとりで?」と訊かれた。「ひとりで」と言った。「えー誘ってよ」と言われた。あいまいに笑った。わたしは、たぶん彼女たちとならたのしくどこかにでかけられるだろうと思う。彼女たちだけじゃなくて、わたしはいつもだれとどこへいったっていいと思う。わたしがだれかを好きならばだれかがわたしに語りかけさえすればわたしはどこへでもいくと思う。高いところでも低いところでも、豆腐みたいにつるつるすべって到達したいと思う。手をひかれるみたいに。脳味噌をひっぱりだされるみたいに。それでも、わたしはいまだにだれかを遊びに誘うやりかたがわからない。ずっとずっと、わからない。




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