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岡崎藝術座「古いクーラー」、マームとジプシー「ハロースクール、バイバイ」@シアターグリーン

2010.11.29(02:31)

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 シアターグリーンで岡崎藝術座(神里雄大演出)「古いクーラー」を見てきた。あまりの言語感覚の稚拙さにいたたまれなくなってわりあいしたを向いていた。この劇団はいったいだれがなにを評価しているんだろうか。ちんちん劇団の「事件母」では「~するです。」という言いまわしを多用したスタイルに本気で不愉快になったけれど、こっちは「~ますです。」だった。正直、「だいじょうぶなのかな?」と思った。あと男性を短パンみたいなかっこうでださせるのもやめたほうがいいと思った。「ライオンのごきげんよう」のスタイルでひとりずつクーラーに関係あったりなかったりする話をするだけの演劇で、いままでじっと黙っていたひとが「役者」を標榜したとたんすごいテンションでまくしたてていたけれど、わたしはずっと寒かったので「さむいよ~さむいよ~」と思ってかなしかった。けっきょくぜんぶ同じしゃべりかたしかしないからそこにはひとりのひとしかいないんだよねって思った。ひとりでしゃべっていてはだれもつっこんでくれないし、だれもつっこんでくれないならそれでいいくらいの興味深い話を興味深いスタイルでやるべきだと思う。ちんちん劇団は「このスタイルはほんとうにはおもしろいのかな」と思っているふしがあったけれど、岡崎藝術座には「どうだこのスタイルおもしろいだろ!」と思っているふしがあったので、にゃーんにゃん!と思った。
 同じくシアターグリーンでマームとジプシー(藤田貴大演出)「ハロースクール、バイバイ」を見た。よかった。あまりにも何度も何度もくりかえされる同じシーンにちょっと「ふざけるな…」と思ったけれど、ラストになってようやく効果的になってきて、というかあまりに胸きゅんすぎてちょっと泣きそうになってくやしかった。るな役の成田亜裕美がそのうざさもふくめてかわいかったし、あじさい役の荻原綾も抜群によかった。わたしがこの演劇を評価するのはやっぱり話しかただと思う。話しかたがしっかりしていればわたしはちゃんと笑えるし、それはうれしいことだと思う。すごくよかった。
 問題の、リフレインの多用についてわたしは基本的に反対したいと思う。押井守「ビューティフル・ドリーマー」は日常を愛するあまり同じ日をくりかえすことになってしまう物語だった。あたるはその同じ日のくりかえしから逃れることを願う。あたるは「お兄ちゃんはね、好きなひとを好きでいるために、そのひとから自由でいたいのさ」と語った。そして、彼が同じ日のくりかえしから逃れるためのたったひとつの手段は、愛するひとの名前をさけぶことだった。リフレインは美化だ。演劇も日記も美化だけれど、リフレインはそのなかの醜い要素美しい要素をひっくるめて美化してしまう。「ビューティフル・ドリーマー」ではくりかえされるがリフレインはしない。醜さを美しさに変革することとリフレインは関係ない。リフレインは「リフレインされた」という時点で醜さを美しさになんの「変革」もなく変更してしまう。だから、それは名前が変わっただけだ。わたしは、その安易さにくみしない。ぜったいにくみしない。小説を考えればいい。小説でリフレインされればわたしは読みとばすだろう。映像作品、演劇作品だからといってリフレインが許されるわけではない。それは「観客が読みとばせない」ということを逆手にとっているだけだ。
 リフレインの多用はいまの演劇全般の「だめさ」の象徴のようでいて、ちょっとこわい。というのも、ちんちん劇団、ロドリコ・ガルシア、五反田団(やあんまり覚えていないけれどたぶんほかの劇団)でも実験的であるかぎりにおいてリフレインが多用されていたからだ。今回のフェスティバル/トーキョーは全体的につまらないなと思ったけれど、それは、作品が実験的だからだと思う。もういっかい演劇を考えなおすにあたって、実験的とはどういうことかというと、

①ストーリーがない
②役者に明確な役がない
③時系列が過去から未来への単純な線形ではない

ぐらいのように思う。というよりも、この3つがあればひとは実験的だというだろうし、わたしもそう思う。でも、だからあぶないと思う。そればっかり集めてどうするんだろうと思う。その3つにおいて実験的であるなら、じゃあどうしようかということになるだろう。だから言語を壊してしまうんだろう。「~ですます。」となるんだろう。そして、自分の頭のわるさを露呈することになってしまうんだろう。その3つを要素として選び、かつそれを演劇であるとしたいなら、身体と言語がつりあう場所を探すしかない。というよりも、身体と言語がつりあう場所があってはじめてその3つを選べるようになると思う。どれだけしゃべっても、だれもが黒田育世以上にはしゃべらなかった、ということだと思う。それがわかっていないしできてもいない、しようともしないひとの作品をわたしは見るつもりはない。それができないなら、フェスティバル/トーキョーを見て「演劇なんてこの程度か」と思われてもしかたがないと思う。ほとんどの演劇よりもトニ・モリスンや大江健三郎の本のほうがおもしろいし、そうであるならば、わざわざお金をはらってそんなものを見ることはないと思う。
 新文芸坐で中島哲也「告白」を見た。ちょうおもしろかった。中島哲也の映画は何度も見るに耐えるものではないと思うけれど、いっかいきりの映画として見るならば、「今年さいこう!」という評価をあたえてもいいと思う。どんな意味においても深みのかけらもないと思う。でも、とにかく見ていてたんじゅんにこんなにたのしいと思うことはほとんどない。松たか子もよかった。でも、橋本愛はもっとよかった。か、かわいい。

 いくつか、だれかのためとわたしのための情報、を。愛する。

 1月19日~30日 ハイバイ「投げられやすい石」
 おもしろい?

 1月15日 佐東利穂子「SHE」
 兵庫県立芸術文化センターで。関西のひとはぜひ。ものすごい傑作でした。

 5月上旬
 勅使川原三郎の新作。川崎のアルテリオ小劇場で。遠い。

 5月5日
 東京国際フォーラムでシェーンベルク「月に憑かれたピエロ」の演出・出演を勅使川原三郎がやると書いてあるけれど、なに? これ?

 12月10日~12日
 今回のF/Tでわたしが見たかぎり圧倒的にすばらしかった黒田育世(のBATIK)の代表作(らしい)「ペンダント・イヴ」が、改訂、再上演。↓を見るかぎりどうにもこうにも傑作の予感がするので、泡吹いちゃうかもしれない。ぶくぶく。ぜったいいってください。

http://batik.jp/




コメント
実験的であることがすべておかしいとは思わないけれど、平凡であることがすべておかしいとも思いません。
リフレインは確かに醜悪な美化ですよね。今年、土浦海軍飛行学校跡地に行ってそう感じました。特攻の美化はある意味リフレインの極致ですよ。
【2010/12/02 17:38】 | 上田洋一 #- | [edit]
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