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だれかといっしょにいられるかということはだれかといっしょにいることの退屈さにどう耐えていくかという問題にすぎない。

2011.01.07(01:41)

Brilliant CornersBrilliant Corners
(2008/03/04)
Thelonious Monk

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 1月4日(火)

 CKさんといっしょにゴダール「ソシアリスム」を見にいった。前回見たときは選挙の話で全部寝ちゃったけれども、見ることができてうれしかった。きたなくてきれいだった。ダンスホールで踊っているひとたちをうつしたあのシーン、光はゆがんでノイズだけがばかみたいに鳴っていて美しかった。ひとがふたり話していて、その部屋のそとの甲板を歩いている女のひとがいきなり窓硝子にべったんして、1度めは部屋のなかのふたりはそれに注意をはらうんだけれど、2度めははらわない。あるいはパティ・スミスはゆっくりと歩きながら通路でギターを弾くけれど、だれもパティ・スミスのほうに目を向けない。パティ・スミスや窓硝子にべったんしていた女のひとはノイズで、もう上映事故なのかどうかすらわからない映像もノイズで、だから、この「きたない映像」のなかにはいっていたあからさまに青すぎるプールの水もジャン=ポール・ベルモンドの顔面程度にはノイズなんだろう。「ソシアリスム」のなかで一瞬だけ引用されていた「ウィーク・エンド」のなかに車のクラクションがえんえん鳴っているシーンがあって、たとえば、それは耐えられるかどうかと言われたら、わたしにはちょっとわからない。「だれかといっしょにいられるかということはだれかといっしょにいることの退屈さにどう耐えていくかという問題にすぎない」。わたしはまえに言ったことがあった。わたしはノイズに耐える程度には美しいものに耐える必要があると思う。ノイズはどうしてノイズなんだろう。キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」だっておそらくノイズだったんだと思う。ただ、うっかりそれが世界でいちばんきれいな音になっちゃっただけで。うっかり。
 余裕でノープランだったので「どうする?」と言って「どうする?」と言われて、「これを機会にいきたいところとかないの?」とか言われてそんなものばかりのわたしは六本木の森美術館までいった。笑顔で火曜日だから終了していると言われた。六本木まできた意味がないにもほどがあるので、六本木ヒルズからぐるりとミッドタウンのほうまでまわって、「これがかの有名なミッドタウンだよ!」ってうそを教えた。ごはんを食べて、それからすこし飲んでいこうよって言って歩いてどこにもはいれなくて、六本木こわいから銀座までもどったけれど銀座も比較的こわいからどこにもはいれなくてどこかにはいった。話をした。それから帰った。


 1月5日(水)

 会社でこっくりこっくりしていた。眠かった。CKさんとどとーるにいって、あるいはなにかにかかわりそうでなににもかかわれない話をした。自分でなにをしゃべっているのかまったくわからなくてびっくりした。帰った。煙草がぜんぶなくなった。


 1月6日(木)

 おそろしいほどにあらゆることについてやる気がなくて、帰ったら寝た。起きてこれを書いた。ひさしぶりにモンク「ブリリアント・コーナーズ」なぞを聴いているけれど、いったいどういうものなんだろう。ぶーばばばー。




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