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Pure Pop For Now People Vol.83@渋谷エッジエンド

2011.01.10(02:48)

失われた時を求めて〈6 第4篇〉ソドムとゴモラ 1 (ちくま文庫)失われた時を求めて〈6 第4篇〉ソドムとゴモラ 1 (ちくま文庫)
(1993/03)
マルセル プルースト

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 1月7日(金)

「近代文学があってはじめてにんげんは恋愛ができるようになった」とだれかが言っていた。わたしたちの問題とはなんだろう。たとえば、「ふたりで海にいく」という行為はいつからロマンティックなものとして語られるものになったんだろう。たとえば、「沈みゆく夕陽が美しい」とにんげんのなかでほんとうに最初に言ったひとはだれだっただろう。言葉が宗教だったならば、それはキリストだったはずだ。
 夕陽は美しくはない。ただ、わたしたちが夕陽を美しいといういうことを知っているにすぎない(わたしたちは夕陽を美しいと言うことができる。わたしたちは夕陽を美しくないと言うことができる。ならば、それは言葉の問題にすぎない。ユダヤ人をユダヤ人たらしめる身体的特徴を持っていないユダヤ人は、どうしてユダヤ人なのか。それは、だれかが「彼らをユダヤ人と呼ぶことにしよう」と決めたからだ。人種なんてその程度の問題でしかない)。なぜ、わたしたちは夕陽が美しいことを知っているんだろう。わたしは覚えていないけれど、それを教えてくれただれかがいるはずだ。はじめに、「夕陽が美しい」と言いだしたひと、何千年、何万年もまえのひと、そのひとから口承で伝わったもの、文章で伝わったものがわたしたちのなかにもたしかに伝わっていて、わたしたちはそれを「歴史」とは呼ばずに「文学」と呼んでいる。「文学」とは他者がすでに知っているもの、他者の知っている感情をわたしに伝えること、あるいは他者が知りわたしがすでに知っているものをわたしにかたちを変えて伝えなおすことにすぎない。ひとは文学がなくても生きていける。けれども、「ふたりで海にいく」に準じた行為がなければ、たぶん生きてはいけないんだと思う。
 同期と新年会をやった。7時からだよと言われたから7時にいったのにだれもいなくて、「いじめられているんだ…」と思った。あとでみんながきた。たのしかった。AIさんがわたしに「はじめのころちょういいひとだと思ったよ! でもあとで、あ、このひとはなんにも聞いていなくててきとうに答えているだけなんだなって気づいたよ!」って言った。ふふんって思った。だれかとしんけんに話す以外の話しかたを失うなら、そのときが関係そのものが失われるときだって、わたしはちゃんと知ってるよ。


 1月8日(土)

 渋谷のハチ公のまえで藤野さんと待ちあわせをした。ハチ公のまえにいるって彼女は言うのにいない、から、電話をかけたら「ジャンプしてください! す、垂直跳び…」って言われたからジャンプしなかった。わたしは、たとえば彼女に100万円ちょうだいと言われたらほいほいあげてしまうだろうけれども渋谷のハチ公のまえでジャンプはしない。
 イメージフォーラムまでいってフェリーニ「フェリーニの道化師」を見た。ほんとうにすばらしい映画ですばらしすぎてぐうぐう眠っていた。めずらしく藤野さんも寝ていたらしくて、映画は1時間30分くらいなのに「5時間も寝られました!」ってほくほくしていた。「いつ目が覚めてもピエロがいる! たのしい!」って言っていた。たのしい。国際連合大学にいって、でて、それからパスタとかバジルロールとか小麦粉ばかりを食べて、イヤフォンを買って、森山さん主催のDJイベント「Pure Pop For Now People Vol.83」にいった。わたしの森山さんへの不義理っぷりは半端ないくらいで申しわけないくらいだったけれども、とにかく、藤野さんがきてくれてよかったと思った。ソファに座って、彼女は眠ったり、眠ったり、にゃあにゃあ言ったり、たまに、わたしとおせちやイスラエルやサボテンや猫やトルコやプルーストの話をしたりした。イスラエルではラップが流行っていて、トルコではしいたけがそこらへんに生えていてそれは日本人しか食べないらしい。たぶんうそなんだと思うし、重要なことはなにひとつ覚えていない。音楽が鳴っていてひとが話しているのが好きだって言っていた。うそかもしれない。けれども、どうでもよかった。世界がどうでもよくなるにつれてそれは色味を増していって、彼女の言葉はぷっつんぷっつんきれていって、どうしてそれは、だれにも、どこにも、とどかないんだろうって思った。わたしはけれどもそれでもよかった。黒い髪が頬にかかって流れていた。彼女が話していれば彼女が話しているということだし、彼女が眠っていれば彼女が眠っているというだし、それ以上はないし、それ以上があるとすれば、それはにんげんがにんげんに欠点を求めたということだろう。あんまりにも美しすぎて、ひさしぶりに、ちょっと、びっくりした。




コメント
清少納言が「枕草子」で「春は曙よ!」って書いちゃったもんだから平安貴族は「春は曙が一番いい」と思いこんだそうです。で、とある帝(誰かは忘れました)が「春って夕方もいいじゃん」と気づいたのですが、主流派には受け入れられなかったそうです。
【2011/01/14 16:56】 | 上田洋一 #- | [edit]
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