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鐘の鳴らない牢獄

2011.01.23(22:02)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)日本文学盛衰史 (講談社文庫)
(2004/06/15)
高橋 源一郎

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 1月23日(日)

 村上春樹ファンのあいだでもとりわけ陰が薄く、だれかが話題にしているのを聞いたことすらないほど地味な「国境の南、太陽の西」をとてもひさしぶりに読みかえしたら、ふつうにおもしろかった。


「僕は君のことがとても好きだよ。会ったその日から好きになったし、今でも同じように好きだ。もし君に会わなかったら、僕の人生はもっと惨めで、もっとひどいものになっていたと思う。そのことでは僕は君に対して言葉では表せないくらい深く感謝している。でもそれにもかかわらず僕は今、こうして君を傷つけている。それはたぶん僕が身勝手で、ろくでもない、無価値な人間だからだと思う。僕はまわりにいる人間を意味もなく傷つけて、そのことによって同時に自分を傷つけている。誰かを損ない、自分を損なっている。僕はそんなことをしたくてやっているんじゃない。でもそうしないわけにはいかないんだ」
「それはたしかね」と有紀子は静かな声で言った。微笑みの名残が、まだその口許に残っているように僕には感じられた。「あなたはたしかに身勝手な人間だし、ろくでもない人間だし、間違いなく私のことを傷つけた」

「ねえ、想像してみて。あなたは農夫で、シベリアの荒野にたった一人で住んでいるの。そして毎日毎日畑を耕しているの。見渡すかぎり回りにはなにもないの。北には北の地平線があり、東には東の地平線があり、南には南の地平線があり、西には西の地平線があるの。ただそれだけ。あなたは毎朝東の地平線から太陽がのぼると畑に出て働いて、そが真上に達すると仕事の手を休めてお昼ご飯を食べて、それが西の地平線に沈むと家に帰ってきて眠るの。(中略)それが何年も何年も、毎日続くの」
「でもシベリアでは冬には畑は耕せないよ」
「冬は休むのよ。もちろん」と島本さんは言った。「冬は家の中にいて、家の中で出来る仕事をしているの。そして春が来ると、外に出ていって畑仕事をするの。あなたはそういう農夫なのよ。想像してみて」
「しているよ」と僕は言った。
「そしてある日、あなたの中で何かが死んでしまうの」
「死ぬって、どんなものが?」
 彼女は首を振った。「わからないわ。何かよ。東の地平線から上がって、中空を通り過ぎて、西の地平線に沈んでいく大洋を毎日毎日繰り返して見ているうちに、あなたのなかで何かがぷっつんと切れて死んでしまうの。そしてあなたは地面に鍬を放り出し、そのまま何も考えずにずっと西に向けて歩いてくの。太陽の西に向けて。そして憑かれたように何日も何日も飲まず食わずで歩きつづけて、そのまま地面に倒れて死んでしまうの」



「傷ついた」という言葉で心情を深く表現しようと思ったはじめての日本人はだれだったんだろうと、ふと思った。それがいつつくられた言葉なのかわたしは知らないけれど、その言語に出会うことによって心臓をつかまれたような気持ちにされてしまうのは、きっと、村上春樹だけで、だとしたら、このあまりにも直接的であまりにもセンチメンタルな言葉をわたしたちが使えるようにしたのは村上春樹かもしれないと思う。そうであるならば、村上春樹はそれだけですばらしいのかもしれない。
 読みおわったから、2年くらいまえに買っていらいずっとほったらかしにしていた高橋源一郎「日本文学盛衰史」を読んでいるけれど、今年読んだ本のなかでいちばんおもしろい。ほくほく。


「河井さん、歌舞伎町で朝まで飲んでくだをまいていなければ詩人になれないのですか。飲みすぎて肝臓が悪いことを嬉しそうに自慢するのと詩を書くことの間になにか関係があるのですか。妻や愛人に養ってもらって、三ヶ月にひとつ十行か二十行ぐらいの詩を書けばなにをしたって許されるのですか。民権運動のデモで捕まって、ほんの数日ブタ箱送りになった経験を十年以上も得々と書き続ける神経がぼくにはわからない」


 日本人が自分の内面を語れるようになったのが、ほんとうに二葉亭四迷が言文一致体でものを書いたときだとしたら、たかだか数人の作家だけがわたしたちの言葉のすべてをつくりだしたとしたら、そしてそれからたかだか100年しかたっていないとしたら。たった100年。その短さはいったいなんなんだろうと、ときどき思うよ。
 あまりにも暇すぎてやることがないから煙草を買ってまたぽくぽく吸って、それでもやることがないからやっぱり発狂しそう。だいたい、わたしの部屋にはノートPCと数百冊の本があるだけであとはなんにもない。ふつうのにんげんが何十時間もそのなかでじっとしていられる空間ではまるでない。よく考えればこの3日のあいだ店員としか会話をしていない。頭がおかしくなりそう。会社にいってだれかと仕事の話でもなんでもしていればそれがどんなにくだらなくとも「だれかと会話をした」という結果だけは得られて、ほんとうは、みんな、それだけを求めて会社にいっているんじゃないかと思う。会社にはいきたくないけれどひきこもっているのももうむり。むーり!




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