スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。

2011.01.28(23:44)

1973年のピンボール (講談社文庫)1973年のピンボール (講談社文庫)
(2004/11/16)
村上 春樹

商品詳細を見る

 1月24日(月)

 にゃーん!と思った。とくに意味はないけれど。病院にいって、いんふるえんざが治ったことを確認してもらったあと、発狂するのがいやなので、どとーるにいって、勉強をしたり、高橋源一郎「日本文学盛衰史」を読んだりしていた。CKさんがきたからなにかを話した。


 1月25日(火)

 ひさしぶりに会社にいった。わたしはマスクをつけると窒息して死んでしまうのでマスクなんてつけたくないのだけれど、マスクをつけないでいったら「つけなくちゃだめだよ」とまじめに言われたので、つけた。死んだような気持ちになった。


 1月26日(水)

 会社にいった。
 高橋源一郎「日本文学盛衰史」を読みおわった。たしか阿部和重が「ここ10年の最高傑作」と言っていたと思うけれど、わたしがこういう小説を読んで思うのは、「なんでだれもが小説を書くことができないんだろう」ということだった。この小説のとくに後半、わたしは高橋源一郎が小説を書くことをあきらめてしまったように見える。どうして、小説家ばかりが小説を書くことをあきらめてしまうんだろうと思う。小説ではないものが「最高傑作」と呼ばれるこの世界はいったいなんなんだろう。庵野秀明にAVの撮りかたを教えるところがいちばんよかったと思う。


 1月27日(木)

 会社にいった。
 村上春樹「1973年のピンボール」を読みおわった。村上春樹は現存するさいこうの作家かもしれないけれど、天才ではないと思う。ただ、天才というのはそのひとの属性のことではなく、きっと状態のことなんだと思う。その考えでいえば、村上春樹がもっとも天才だったのは「1973年のピンボール」を書いたときなんじゃないかと思う。


 見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。
 一時期、十年も昔のことだが、手あたり次第にまわりの人間をつかまえては生まれ故郷や育った土地の話を聞いてまわったことがある。他人の話を進んで聞くというタイプの人間が極端に不足していた時代であったらしく、誰も彼もが親切にそして熱心に語ってくれた。見ず知らずの人間が何処かで僕の噂を聞きつけ、わざわざ話しにやって来たりもした。



 ロシアから輸入され、フランスの模倣によってそのかたちをなしていった日本文学は、たぶん、ロシアやフランスにおそらくたりないものがたりていなくて、そして、もしもかりにロシアやフランスにたりないものがあるとすれば、それは、やさしさだと思う。アメリカ文学のさいだいの特徴はやさしさだと思う。ブローティガン、ヴォネガット、そしてサリンジャー、彼らの文章にはそれじたいにやさしさがふくまれている。そしてフランスとロシアの影響が色濃くうつりこんだままの日本文学のなかではじめてアメリカの文章を、やさしさじたいがその成分としてふくまれている文章を書きはじめたのは、高橋源一郎と村上春樹だったんだと思う。おそらく、「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった。」という文章で書きはじめることができる作家はそれまで日本には存在しなかったんじゃないかと思う。それは、かつてカポーティが書きはじめた文章だったと思う。
 ウィキペディアによれば、村上春樹は鼠のパートをリアリズムで書いたという。この圧倒的におもしろい小説において圧倒的につまらないのが鼠のパートなのだけれど、なぜ鼠のパートがつまらないのかといえば、それは、鼠のパートが文学だからだと思う。
 ベトナム戦争についての「僕」と双子の次の会話のすばらしさにくらべれば、文学なんてまるでたいしたことはない。まるで。


「あなたはどちらを応援してるの?」と208が訊ねた。
「どちら?」
「つまり、南と北よ。」と209。
「さあね、どうかな? わからないね。」
「どうして?」と208。
「僕はベトナムに住んでいるわけじゃないからさ。」
 二人とも僕の説明には納得しなかった。僕だって納得できなかった。
「考え方が違うから闘うんでしょ?」と208が追求した。
「そうとも言える。」
「二つの対立する考え方があるってわけね?」と208。
「そうだ。でもね、世の中には百二十万通りくらいの対立する考え方があるんだ。いや、もっと沢山かもしれない。」
「殆んど誰とも友だちになんかなれないってこと?」と209。
「多分ね。」と僕。「殆んど誰とも友だちになんかなれない。」
 それが僕の一九七〇年代におけるライフ・スタイルであった。ドストエフスキーが予言し、僕が固めた。



 1月28日(金)

 やっぱり会社にいった。
 友川カズキ「桜の国の散る中を」を聴きヤプーズ「DaDaDa ism」を聴いた。ルネ・クルヴェル「ぼくの肉体とぼく」を読んでから寝よう。


 それは海であっても
 山でもあってもいい
 駆けこんでいって
 謝りたいと思うのである
――友川かずき/桜の国の散る中を





コメント
いくつなの?
【2011/01/30 13:34】 | まさとし #- | [edit]
指の数ですか?
左右の手に5本ずつ
左右の足に5本ずつ
計20本あります。
【2011/01/31 01:49】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/906-ac59b9c6
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。