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いまだうたわれつづけている空間へ

2011.02.23(23:45)

恋人たちの失われた革命 [DVD]恋人たちの失われた革命 [DVD]
(2007/08/25)
ルイ・ガレル、クロティルド・エスム 他

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 2月18日(金)

 10時まで残業をした。


 2月19日(土)

 病院にいった。あのひとはわたしが欲しいと思うだけの薬をつぎつぎとくれるのだけれどだいじょうぶなんだろうか。わたしがそれを500粒飲んで自殺しないとでも思っているんだろうか。
 早稲田松竹にいってフィリップ・ガレルを見た。「白と黒の恋人たち」については、つっこみどころもない、とりたてて見どころもない、それならば平凡になるだろうと想像されるなかで展開されるモノクロームの映像のうつくしさはなんだろうと思ってすやすや眠っていた。メディ・ベラ・カセムはいくらなんでもかっこうよすぎると思うけれど、あんなにかっこうよすぎると死んじゃうんじゃないのかと心配になってはらはらした。「恋人たちの失われた革命」もモノクロームの映画だけれど、白と黒があまりにもどぎつすぎてくらくらしていた。革命運動で実際に闘争するシーンは暗すぎてなんだかよくわからないし、逆に真昼のシーンは白すぎてなんだかよくわからないことになっていた。あまりに白すぎて字幕すら読めず、しかたないからすやすやと眠っていた。たとえばアンゲロプロスの映像にはわたしが、そしておそらくほとんどすべてのひとが1度も言語化したことのないなにかがみなぎぎっていて好きなんだけれど、ガレルの映画にもそのなにかがあるんだと思う。ラストの森のなかには黒と白が秘めているあらゆるうつくしさがうつっていたと思う。長谷川等伯の白と黒は消えていく方向に向かっていくように見えるけれど、ガレルの黒と白はたぶん、ちょっとちがう。わたしはどっちも好きだ。好きだな。
 シネセゾン渋谷で井口奈己「人のセックスを笑うな」を見た。そのまえに井口奈己のトークショーがあったけれど、あんなふうに歳をとりたいなと思うひとに見えた。作中で松山ケンイチが「コーラがきらい」と言うのは原作者にあてたギャグのつもりだった、次回作は幽霊がでてくる恋愛もので春になったら動きだすだろうという話をしていた。
 2時間をこえてだらだらと続く「人のセックスを笑うな」は終盤にはいるとその弛緩さが全開になり、「なぜそこで終わらない!?」と思わずさけびたくなるようなものすごい映画だけれど、永作博美、松山ケンイチ、蒼井優、忍成修吾の4人がなにをどうふるまうかにおいて、どうも奇跡的なことが起きているように見えた。外国の映画だとわたしはそこにうつっているひとびとが現実にたいしてどうリアルであるのかを考えることがむずかしいし、なにより、わたしは外国のひとではないのでどうでもいいと思う。たぶん、わたしがアメリカの映画を基本的に見る気がしないのはそのすべてが演技をしているように見えるからだろうと思う。リアルなありかたにもいろいろなものがあって、たとえば、五反田団や劇団、本谷有希子にでているひとたちがわたしたちがしゃべっているようにしゃべっているかといえば、五反田団はあきらかにちがうし、本谷有希子もすこしずれている。彼らがしているのはわたしたちがなにかをしゃべるというそのしゃべりかたからすこしずれた空間にしゃべりかたを配置し、あたかもそのしゃべりかたがわたしたちがなにかをしゃべるやりかたであるかのように見せているだけのことだ。現代口語が注目されているチェルフィッチュにでているひとたちにしてみても、おそらく、だれかがチェルフィッチュにでているようにはしゃべらないだろうと思う。舞城王太郎の文章ももちろんわたしたちが日常使っている言語という意味での口語ではなくて、ただ「文語」か「口語」かと言われれば「文語ではない」と言うしかないから「口語」と呼んでいるだけだと思う。「リアルだ」とわたしたちが言うとき、それはほとんどの場合「なにかによく似ている」と言っているにすぎない。それは、わたしたちが「リアルの前提」となるものをすでに知っているということだと思う。豊崎由美(かどうかはわからないだれかが)がかつて「ほとんどのひとはすでに知っていることを再確認するために本を読んでいるにすぎない。そんなことをしてどうするの?」と言っていたと思う。リアルなものが概念や理論、知識として決してあらわれてこないことをわたしはわたしに願う。リアルなものがものとしてあらわれてほしいとわたしは思う。リアルなものにとって、それが現実か空想かは関係ない。
 ということはほんとうにどうでもよくて、松山ケンイチと永作博美の空気マットのやりとりはさいこうだし、蒼井優が松山ケンイチをホテルにつれこむところもさいこうだし、忍成修吾が蒼井優にキスをするところもさいこうだと思う。蒼井優はときどききせきを起こすからこまってしまう。かわいい。エンドクレジットを見て、忍成修吾が忍成修吾だということに気づいてびっくりした。はじめて見たときもエンドクレジットで忍成修吾が忍成修吾だと気づいてびっくりしたことを思いだした。
 吉本隆明「共同幻想論」を読みおわったけれども1行たりともなにが書いてあるのか理解できなくてびっくりした。




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