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醜さのぶよぶよ

2011.03.14(00:31)

一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する
(2003/05/15)
鹿島田 真希

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 3月7日(月)

 会社にいった。

 
 3月8日(火)

 会社にいった。


 3月9日(水)

 会社にいった。


 3月10日(木)

 会社にいった。

 
 3月11日(金)

 会社にいった。廊下を歩いていて、扉がきしきしいっていて、なんの音だろうって思っていたら、地震だった。たぶん、うちの建物は地震がきたら揺れるようになっていて、それはもうぐらんぐらん揺れていたので、死ぬんだなと思った。でも、わたしの「死ぬんだな」はそんなにこわいものでもなくて、わたしは、もしもなにかが起こったときにわたしが感じる気持ちはこの程度なんだな、と思ってあんしんして、それから、すこしかなしくなった。近くにいた女のひとが「こわい! こわい!」ってさけんでいて、わたしはそのひとをずっと見ていた。こわそうだった。綿矢りさ「蹴りたい背中」で、にな川がオリチャンのライブを見たとき「いまここで大地震が起こるんだ。ほかのみんながパニックにおちいっているとき、俺だけが舞台にあがって、オリチャンを助けるんだ」と言っているのを思いだした。にな川の気持ちがよくわかるような気がした。にな川はたぶん呪いをかけているんだろうと思った。まわりのもの、すべてに。そして、自分に祈りを。「こうありたい」と思う自分と現実の自分はつねに乖離していて、痛々しくて、かなしかった。余震が続いていて、そのあとも建物も揺れていて、頭がくらんくらんして、気持ちがわるくなった。「お台場が燃えているって」とだれかが言った。お台場が燃えているんだって思った。
 部長や課長たちが集まって、会議をしていた。すべての電車がとまってみんなが帰れなかった。「どんなに残業しても9時まで」と命令がくだった。どの課長も、部下がみんな帰れるようにせっせせっせとやっていた。わたしは9時まで仕事をしていた。わたしの家は会社から10分なので、YIさんが「泊めて!」と言ってやってきた。実家が宮城なので実家のことを心配していた。でも、わたしはそのひとがどれくらい「泊めて!」って本気で言っていたのかよくわからなくて、そのひとは、気づいたら帰っていた。
 MFくんが「泊めて」って言ったので泊めてあげた。わたしの家にいたけれど、恐縮して、けれどもわたしの知らないゲームについてずっとしゃべっていて、わたしは「へー」としか言わなかった。わたしは、もしかしたらもっと話すべきことがあるんじゃないのかなと思っていたけれど、うまく思いつかなかった。


 3月12日(土)

 朝、寝ているあいだにMFくんが消えていった。藤野さんと遊ぶ約束をしていたけれど、だめになった。病院にいって、買い物にいって、クリーニング屋さんにいった。ゆーすとりーむで、TBSやNHKを見ていた。たくさんのひとが被害にあっているのはわかったけれど、ほんとうのところはなにひとつわからなかった。わたしがずっと気持ちわるいと思っていたのはわたしだった。たくさんのひとびとが「知らないひとのために」祈っていた。だから、わたしはなににも祈らないことにしようと思った。「僕等は人生における幾つかの事柄において祈ることしかできない」というブログをやっているあのひとは、「私は『祈ることしかできない』なんて思ってない。」と言った。わたしは、祈らない。けれど、実的な行動なんてなにもしないだろう。祈るか、行動か、そんなばかみたいな二元論に縛られたくはないと思う。わたしが思うのは、たとえばわたしが好きなひとたちが同じように被害にあったとき、きちんとかなしむことができるのかなということだった。たぶん、きっとわたしはかなしめないだろうと思う。だから、「あるべき姿」なんて祈らないようにしようと思った。何度も何度も思ったけれど、もう祈らないようにしよう。わたしの好きなひとが死んだときにわたしがかなしめないのなら、わたしと、わたしたちが、そのようなありかたでもじゅうぶんにたのしく生きていくためのやりかたを生きたい。
 一日中もすばーがーにいて、文章を書いたり、本を読んだりしていた。鹿島田真希「一人の哀しみは世界の終わりに匹敵する」がさいこうにおもしろかったので、とてもゆたかな気持ちになることができた。生きていたよかったと思った。
 友達の船乗りさんにメールを送ったけれども返ってこないから、しんぱいしている。だれかが死んでも、傷ついても、わたしはかなしめないかもしれない。でも、それでも、だれかが死んだりだれかが傷ついたり、だれかが消えてしまうのは、いやだ。


 3月13日(日)

 電車に乗って、渋谷にいった。ほわいとでーのお返しを買いにいった。会社のぶんも全部買ったから、わたしは両手いっぱいの紙袋を持って歩いていた。「ふふん、俺は両手いっぱいに返すぶんだけのちよこれえとをもらったもてもてくんだぜ」と思いながら歩いていたらだんだんかなしくなっていったのでそう思いながら歩くのはやめた。
 シネマヴェーラでイー・トンシン「ワンナイト・イン・モンコック」とジョニー・トー「フルタイム・キラー」を見た。「フルタイム・キラー」が抜群によかった。ジョニー・トーの映画では美しく銃が撃たれ、美しくひとが血を吹いて死んでいく。わたしは、こんなにもこのひとたちが美しく死んでいってくれてうれしいと思う。
 被曝、計画停電、みんながこわいことばかり言っているから、こわいなと思った。ゆーすとりーむを見ていたら、経済産業省のひとの会見で記者がきれていて、あとになると、笑いながら「電気代はあがるんですか?」と質問していて、びっくりした。この2日間、たくさんの知らないひとの言葉をネットで集めて、どのひとの言葉も醜いなと思った。渋谷で募金活動をしているひとも、「売りあげはすべて被災者のひとに寄付します」と言って路上ライブをしているひとも、なんだか、すべて醜く思えた。どんなに美しい祈りも、どんなに他者を気づかう言葉も、すべて白痴に見えて、しかたがなかった。どんなひとも尊敬できなかったし、どんなひともばかだった。だから、わたしたちはこういうときに醜くなるしかないのかもしれないと思った。だれかに生きていてほしいと、わたしは思わなかった。だって、そのひとがどれほど生きたいかどうかわからないじゃないかと思った。なんの権利があっておまえはだれかのぶじを祈るんだよと思った。なんで俺の存在をだれかに祈られなくちゃいけないんだよと思った。醜さがどんどん集まっていって、わたしはどうもぶよぶよになってしまうんじゃないのかなと思った。友達が「対岸の火事ではいけない」と言った。友達が「飲み会を自粛しようかな」と言った。わたしにはまるでなにを言っているのかわからなかった。すべて、わからなかった。「10日まえに赤ちゃんが生まれました」とわたしが好きな女のひとが言った。「生きている?」と訊いたら「生きています。でもゾンビになりました」とわたしが好きな女の子が言った。どれだけおおくの言葉があるんだろうと思った。どれだけおおくの言葉が状況下が醜くなるんだろうと思った。本のなかの言葉だけが地震前後で変わっていなかった。これだけのことが起こってもなお変わらない本のなかの言葉たちをどれだけ頼りに生きればいいのか、すぐにわからなくなった。「かなしい」、「こわい」、「日本」、「みんなでがんばろう」、たくさんのひとがたくさんのことを言った。そのひとたちはそのぶんだけ醜くなった。大災害については生命保険金の支払いが免除される規定があるのに、わたしがシステムをつくっている生命保険会社は被災者にその規定を適用しないと発表した。いい話をたくさん読んでたくさん泣きそうになった。ほんとうに。けれども、それはきっと「サマーウォーズ」を見て泣きそうになったとしてもなにも変わらないだろう。「そんな涙は映画を見て流す涙と同じだよ」と言っているひともいた。それもただしいと思った。そんなひとはくずだけれど、わたしよりはましだ。
 おそらく、こういうとき、すべての言葉が醜くなるのは、すべてのひとがただしいことしか言わないからだ。なんなんだろう。なんだっていうんだろう。
 SSくんとHAくんと、次の3連休に旅行にいく予定をたてていた。でも、とりやめになるかもしれない。わたしは、明日とりやめる相談をされたら反対したいと思う。計画停電について、わたしはさいたま市なのでいつ停電になるのかよくわからないし、仕事もどうなるのかわからないけれど、夜、わたしたちに電気がなくてなにもなかったら、なにか話をしようよ。ろうそくがなくて、本も読めず、パソコンもできないのなら、お酒をちびちび飲みながら、羊についてとか、そういう、くだらない話をしようよ。




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