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「ヘンリー・ダーガー展」@ラフォーレミュージアム原宿

2011.04.25(23:47)

ホーカス・ポーカス (ハヤカワ文庫 SF (1227))ホーカス・ポーカス (ハヤカワ文庫 SF (1227))
(1998/04)
カート・ヴォネガット

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数式に物語を代入しながら何も言わなくなったFに、掲げる詩集数式に物語を代入しながら何も言わなくなったFに、掲げる詩集
(2007/06)
中尾 太一

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 4月18日(月)
 
 前日の夜、3時くらいに、2ヶ月まえくらいに買った本棚をつくって煙草を吸っていたら倒れた。びっくりした。死ぬかと思った。起きて会社にいった。カラオケで3曲も歌ってしまったからだろう、声がでなかった。帰りにどとーるにいったらCKさんがいた。「ガラスの喉!」と言われた。
(自分の文章はきちんと宣伝しておこうとまえに思って、それから、ずっと書くのを忘れていましたけれど、森山さんがつくっている「サウンド・オヴ・ミュージック」というフリーペーパーにアンケートを寄稿していて、それがもうとっくにでています。こちら(http://ppfnp.exblog.jp/)でごにょごにょやればもらえるはずですし、僕も手もとに1冊あまらせているので、ほしいひとはごにょごにょしましょう。僕は例年にくらべてもろくなことを書いていませんので、僕以外のところを舐めるように読むがいいです。唾液でべろんべろんにするがいいです。)


 4月19日(火)

 会社にいった。まだ声が回復していなかった。


 4月20日(水)

 朝起きて熱をはかったら37度あったので、会社に電話をしておやすみをもらった。8時に薬を飲んで12時くらいにもういっかい熱をはかったらもうさがっていた。うれしかった。
 橋本治「乱世を生きる」を読んで、村上春樹「TVピープル」を読んだ。あとは眠ったりヴォネガット「ホーカス・ポーカス」を読んだりしていた。「エコノミストとは現存する唯一の思想家だ」と言った橋本治もすばらしいけれど、「デンマークよりもちいさな国はすべてうんちだ」と言ったヴォネガットはもっとすばらしいと思う。読んでいて3回くらいふきだした。こんなに笑えるのはヴォネガットとドストエフスキーくらいかもしれない。ヴォネガットのあたたかさがしんそこうれしかった。なんでヴォネガットはあんなにやさしいんだろう。なんで死んでしまったんだろう。ヴォネガットが死んだということは、世界がひとつ耐えきれないものを抱えたということだ。


 4月21日(木)

 会社にいった。昨日ヴォネガットを読んでいたときとはうってかわってとてもつまらない時間をすごしてしまった。
 会社から帰って風邪薬を飲んで、村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」をすこし読んだ。「土の中の彼女の小さな犬」がどうしても読みたくて読みはじめたけれど、表題作がすばらしかった。なんでデートの帰りに反対方向の山手線にのせてしまっただけの話がこんなにせつないんだろう。そのあとに会社の友達たちと飲み会をした。なにかをしゃべったような気持ちがするし、なにもしゃべらなかったような気持ちがした。TIちゃんが「会社もういいかな」と言っていたのが印象的だった。「整体師でいいや」と言っていた。負けないぞと思った。


 4月22日(金)

 会社にいった。会社の友達たちとごはんを食べにいく約束をしていた。なにも決めていなかったからSSくんに「どこの国の料理が食べたい?」と訊いた。「スペイン」と答えた。「ほう」と思った。2階の喫煙室でずっと待っていた。食堂の明かりが消えて、暗い廊下のなかで喫煙室の陰気な光がどこまでもどこまでも染みだしていて醜かった。その時間まで会社にのこっているひとたちはみんなこわくて、廊下を歩くひとはなにかを割るような音をたてていた。YYくんがきたのでふたりでしゃべっていた。I課長がきて、「煙草を売ってください」と言われたので4本100円で売ってあげた。みんながきた。お寿司を食べにいった。まわらないお寿司だった。あわびーを食べた。わたしは知らないあいだに食べていたけれど、それはあわびーだった。かたくて、ごむみたいな味がした。「あわび!」と思った。お寿司がおいしかった。あとは酢飯がおいしかった。SSくんの不幸話を聞いてうっとりとした。不幸だなあと思った。じつに不幸だ。


 4月23日(土)

 お昼すぎまで眠り、とくに予定もないので村上春樹「中国行きのスロウ・ボート」を読みおえ、それから中尾太一「数式に物語を代入し何も言わなくなったFに、捧げる詩集」を読んだ。あまりにも縦に長いせいで本屋さんでも90度倒してならべられているのを見てたいへん驚いた詩集で、その長さもちょっと意味がわからないけれど中身はもっと意味がわからない。


この季節に起こらなかったすべてのことにゆっくりとした「光り」が届いたのなら、「欠損」という名の舟のうえにはいちばん多くの光量が湛えられるはずだ
その粒子を運んで君の「家路」を写生する仕事が水路と月との中有を瞼で支えている



 ダンスについて、わたしは以前「身体を引用できないのがはがゆい」と言った。高橋源一郎はサド「ソドムの120日」について、「この本のなかでいちばん重要なのは長さなのです。そして、長さは引用することができないものなのです」と言った。わたしは「数式に物語を代入し何も言わなくなったFに、捧げる詩集」から2文だけ引用したけれど、これは、この詩集が持つ物理的長さを見ればおそらく引用できていないということなんだと思う。わたしはそういうたぐいの神話はもう信用していないけれど、それを言うことはできる。「数式に物語を~」をこれ以上引用するのはむだだと思う。おそらくはどのページを開いてみてもこんなようなことしか書いていないんだから。けれども、すくなくともわたしはこの本のページをめくることはできるだろう。そして、身体が引用できないのならわたしがこの本のページをめくることもまた引用できないんだと思う。それは、とてもとてもはがゆいことだ。わたしや他人にかんする重要なことは、いつだって「あなた」には伝わりはしない。
 だからぶっくおふまでいって「ダイの大冒険」を読んだ。だいたいポップがでてくると泣く。


 4月24日(日)

 藤野さんと原宿で待ちあわせた。「ひとつのイヤフォンを片耳ずつつけて聴いているひとたちのあいだを通ってきました!」って言っていた。すごい悪意だと思った。
 だいたい原宿にいくと死ぬと思っているからうまい具合に死ななくてよかった。ラフォーレミュージアム原宿で「ヘンリー・ダーガー展」を見た。以前、わたしはダーガーについて「ダーガーがなぜその小説を書きつづけたのかは暇だったからにちがいない」と書いた。いまもその思いは変わらない。ほとんどひととしゃべらず、清掃の仕事が終わると家に帰り執筆に没頭し、そのまま椅子のうえで眠り、翌日になるとまたでかけていく。彼が書いていたのはキリスト教の国のプリンセス、ヴィヴィアン・ガールズと呼ばれる7人の女の子が悪魔崇拝の国の大人の男たちと戦うファンタジーで、内容は凄惨をきわめて、その挿絵も男が女の子の首を締めたりはらわたをひきさいたりしている絵がおおい。「空想だけに生きた」とはどんな場合では言いたくはない。現実は空想をふくんで存在しているし、空想も現実をふくんで存在している。プルーストは部屋中をコルク張りにして、20世紀最高の文学と呼ばれる「失われた時を求めて」を死ぬまで書きつづけた。ダーガーが書いた「非現実の王国で」はその2倍よりも長い。それは孤独の尺度なんだろうか。わたしはダーガーにあこがれるけれど、ダーガーにだけはなりたくはない。ダーガーにあこがれるのは、おそらく「美しいと書くまえにそれを美しい思えるひと」にわたしがあこがれるのと同じやりかたでしかなく、痛みをせおうことないあこがれだ。だからそれは醜いし、「空想だけに生きた」というのは侮辱でしかない。俺が部屋にひきこもってだれともしゃべらなくなったとしたら、だれかがネット以外で俺に話しかけようとするだろうか。だれかが俺の友達になりに俺の部屋をノックするのか。しないだろう。俺もしない。だからそれは侮辱だ。ダーガーの孤独は作品を生みだすことに最適の環境だったんだろうか。いまの先進国ではだれもダーガーのように書けない。俺がダーガーなら俺は携帯電話を鳴らすだろう。俺がダーガーなら俺はブログに日記をつづるだろう。だから俺はダーガーではない。ダーガーよりも孤独ではないという保証もない。孤独ではないという孤独だってあるだろう。
 藤野さんとオムライスを食べた。自衛隊の話を聞いた。海軍は訓練で海をえんえんと泳がされて、えらいひとは船上からきゅうりをひょーいひょーいと放るらしかった。彼女がだまされているのか、彼女にその話をした自衛隊のひとがだまされているのか、あるいはわたしが彼女にだまされているのか、永遠にわからなかった。このまえ「ホーカス・ポーカス」を読みながらふと本棚をながめると「ホーカス・ポーカス」があってびっくりしてかばんのなかにいれておいたので、藤野さんにあげた。
 森下駅までいって、迷っていたらおばさんが道を教えてくれた。うねうね歩いていたら隅田川についた。「ひろい!」と藤野さんが言った。はじめて見た。そら庵で友川カズキ、ジョニー大蔵大臣出演、「第3回 隅田川のほとりで」を見た。ジョニー大蔵大臣はCDを買って家で聴こうとはぜったいに思わないけれどあいかわらずのすばらしさだった。なんでこんなに意味のない歌で絶叫できるんだろうと思った。出番が終わると警官がやってきて「騒音の苦情がでてるんですけど」と言っていた。あれだけ安めぐみについて絶叫していたら苦情もくるだろうと思った。
 友川カズキもあいかわらずのすばらしさだった。どうしてこのひとはあんまり歌わないでしゃべってばっかりいるんだろうと思った。「おまわりさんがきたとき思わず自首しようかと思った」と言っていた。アンコールでまさかのまさかで「グッドフェローズ」が聴けたのでとてもうれしかった。
 家に帰って平山夢明「いま、殺りにゆきます」をひさしぶりに読みかえした。衝撃的なおもしろさだと思った。現存するさいこうの作家かもしれない。


 4月25日(月)

 会社にいった。
 帰りにどとーるにいって文章を書いて、葛西善蔵を読んだ。誕生日だからというのでCKさんにものをあげた。「なにこれ?」と訊かれたから「さあ」と答えた。なんだろう。




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