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勅使川原三郎「サブロ・フラグメンツ」@アルテリオ小劇場

2011.05.04(01:09)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫)
(1988/10)
村上 春樹

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 5月2日(月)

 会社にいった。
 お米を買い、牛乳を買い、豆腐と納豆を買い、帰った。


 5月3日(火)

 前日に薬を飲んだので、12時間眠りつづけてもまだ眠くて、溶けてどろどろになった脳味噌を手のひらにのせて電車にのり、新百合ヶ丘で藤野さんと待ちあわせた。アルテリオ小劇場で勅使川原三郎「サブロ・フラグメンツ」を見た。ひどいタイトルで、そのせいではないけれど前半は眠りっぱなしだった。でも勅使川原三郎は勅使川原三郎なので、やっぱりすばらしかった。舞台の左右から踊り手たちがすすすっとはいってきてぶるんぶるん踊って、それから逆方向へ抜けていく、たとえばその美しさはやっぱりわたしが知るどんな光景よりも美しく、うれしかった。藤野さんは眠っていなかった。わたしはわりとよく彼女と映画を見たり舞台を見たりしているけれど、彼女はいつも寝ていない。寝ていたのは「フェリーニの道化師」くらいじゃないかな。勅使川原三郎で寝ないなんて、いったいいつ寝ているんだろう。
 新百合ヶ丘の北口へ抜けて南口へいった。専門店がたちならぶ通りがあった。まったく専門的だった。豆腐を売っているひとが「湯葉があといっこです」と言っていた。藤野さんに「湯葉ってなに?」と訊いた。「牛乳をあたためると膜ができるでしょう。あれ的なものです」と言われた。「うそだ!」と言った。うそだ。ぐるぐるまわりぐるぐるまわるのに飽きると、てきとうなお店にはいってごはんを食べた。ナシゴレンを食べた。ナシゴレンとはフルーツ的なものだと思っていたらごはんがでてきたのでびっくりした。じゅうじゅういっていた。タピオカジュースを生まれてはじめて飲んだ。「もち!」と藤野さんが言っていた。わたしもそうだと思った。彼女はまた自衛隊の話をしていた。自衛隊にいくと洗脳されるんですと彼女は言っていた。もうすでにきみも自衛隊に洗脳されているだろうことよとわたしは思ったけれど、わたしはやさしいので黙っていた。ぞうの話を聞いた。「ぞうはこの世界にあるものがなんでもかんでも自分よりもわずかにちっちゃいと思っているんじゃないんですか」と言われた。彼女はいつもなにを言っているのかわからなくてその日もあいかわらずなにを言っているのかわからなかったので、わたしはすべからずてきとうに答えた。帰りぎわに和菓子をくれた。「なんでしょうねこれ」と言われた。「さあ」とわたしはいった。わたしにわかるはずがなかった。
 帰りの電車のなかで、村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読みおえた。読むのは3回めか4回めだと思うけれど、こんなにおもしろかったっけと思った。ちょうど、さいきん3回めか4回めに読みなおした高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」がこんなにつまらなかったっけと感じられたのと対照的で、びっくりした。「ハードボイルド・ワンダーランド」は「1Q84」まで継承されるという気持ちがあるけれど、「世界の終り」はどこへ継承されたんだろう。わたしがそれを見るのは「ノルウェイの森」でワタナベくんがレイコさんと葡萄を食べながら夜道を歩くシーンだ。あのすばらしく美しいシーンを描けたのは「世界の終り」のちからのような気がする。そして、それ以降村上春樹は「世界の終り」を書いていないんだろう。だから、「世界の終り」は村上春樹が書きとげたとてもなくおおきなものだったと、わたしは思った。終えられたものはいつでも美しい。

 
 時刻は真夜中に近くほとんどの窓の灯は消えていた。彼女は僕の手をひいて、まるで頭上から人々を狙う巨大な鳥の目を避けるように、その迷路のような通路を足ばやに通り抜けた。そしてひとつの塔の前で立どまり、僕にさよならと言った。
「おやすみ」と僕は言った。
 そして僕は一人で西の丘の斜面を上り、自分の部屋に戻った。


 
「まるで頭上から人々を狙う巨大な鳥の目を避けるように、その迷路のような通路を」では「ような」という明喩が続き、そのあとの文章でも「そしてひとつの」と、「そして僕は」が連続している。破綻している、とまでは言わないけれど、文章に気をつかうひとならおそらくこういう書きかたはしないだろう。村上春樹は「声をだして読む文章と黙読する文章、そのリズムはまるでちがう。音読していては黙読に耐えるリズムは身につかないんじゃないかな」と言っていた。村上春樹はリズムを優先しているんだと思う。おそらくふつうに文章に気をつかうひとは「僕にさよならを言った。」のあとにリズムをととのえるためにもういくつかの文章をいれてしまうだろう。けれど、村上春樹はそのあとを改行で処理し、「そして」を使うことを許している。なぜそれだけでリズムがととのうのか、文章に気をつかうひとでも、村上春樹でもないわたしにはかいもくわからない。けれどとにかく、ここではそういうことが平然と起こっている。平然と起こって、そして、わたしたちは読みながしていく。読みながしていくことがきっと美しいんだと思う。わたしは、読みながす以外に文章の読みかたを知らない。




コメント
私は顔を上げたまま寝る術をこころえているので、だいたいいつも寝ています。
あと、目を開けたまま寝る術もこころえています。
ねむることしか考えていなかった19年で身につきました。
【2011/05/04 01:55】 | 藤野 #Wv2A/Pko | [edit]
藤野さん

じんるいのしんぴですね!
僕もこれからおうぎょうちのことだけを考えて
なにもないところからおうぎょうちを出現させる術を
19年かけて 身につけたいと思います。
【2011/05/08 01:54】 | 桜井晴也 #oSfzfPCQ | [edit]
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