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フランツ・カフカの11行め

2011.05.22(23:25)

審判 (岩波文庫)審判 (岩波文庫)
(1966/05/16)
カフカ

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 5月17日(火)

 会社にいって仕事をして、帰って眠った。


 5月18日(水)
 
 会社にいって仕事をして、帰って眠った。


 5月19日(木)
 
 会社にいって仕事をして、帰って眠った。


 5月20日(金)
 
 会社にいって仕事をして、そのあとは新入社員と2年め社員(わたしたち)との合同の飲み会だった。すこし遅れていったら、KIちゃんに「喫煙者!」と呼ばれて、喫煙者エリアにいった。煙草をすぱすぱ吸ってなにかをしゃべっていた。ひととなにかをしゃべることができてよかったと思った。KYくん(空気は読める)が帰りぎわに座りこんでズボンがびりっとやぶいていた。コントみたい! すごい! と思った。ひとことしかしゃべっていないけれど、HAくんがあいかわらずすばらしかった。
 新入社員何人かと、2年め社員3人と、あとは研修を担当しているMさんとMさんと2次会にいった。黒人と白人がいて、Iくんが「Mさんは英語ぺらぺらですよ!」と「腕ずもう超つよいですよ!」と20回くらいむちゃぶりをしていた。もう名前をあまり覚えていないけれど、たぶんYくんがすばらしかった。Mさんにたいして「家賃いくらですか?」と訊いてMさんが「え、○万円だよ」と答えたあと「へえ、ところで家賃はいくらなんですか?」と訊いていた。すばらしさの達人だと思った。これでもう僕はいつでも引退できると思った。


 5月21日(土)

 朝早くせっせと起きて、病院にいき、それからオーディトリウム渋谷でマノエル・ド・オリヴェイラ「ブロンド少女は過激に美しく」、「コロンブス 永遠の海」を見た。オリヴェイラは「カニバイシュ」というとんでもない作品しか見ていないけれど、あれは88年の作品だった。いま確認したら監督は当時すでに80歳で、あれを80歳で撮った、というよりも80歳になってからまだあんなものを撮っているということにあらためて衝撃を受けるけれど、「ブロンド少女は過激に美しく」という端正な傑作を撮りあげたのが100歳を越えたときだったことを思うと、このひとはいったいなんなんだろうと思う。たんじゅんに、100歳を超えても映画をつくりつづけるということはどういうことなんだろうと思う。頭がおかしいのかな。
「ブロンド少女は過激に美しく」を見ているあいだ、とてもうれしかった。あの色あいを見て、「映画ってやっぱりおもしろいんだよ!」と思えて、とてもうれしかった。色あいもすばらしかったけれど、あのわけのわからない終わりかたはなんなんだろう。どうしてああいう終わりかたをつくることができちゃうんだろう。あれは「オチ」と呼ばれるものと同じ行為のされかたがおこなわれているけれど、すくなくともぜんぜん「オチ」じゃない。そして、きっとわたしたちは「オチ」ではない「あれ」にまだつける名前を持っていないし、これからも持とうとはしないんだろうと思う。なぜなら「あれ」ということを実現させることができるということが、わたしたちに隠された人間的な希望なんだから。わたしはそれを知っている。そしてわたしが信じたいのはそれしかない。わたしが知っているかぎり、「オチ」ではない「あれ」をうつしたのは、オリヴェイラのほかではロメール「アストレとセラドン」だけだ。「コロンブス 永遠の海」もなぜかわからないけれどしんみりとできる作品だった。とくに感想はないけれどすばらしかった。
 喫茶店でオンダーチェ「イギリス人の患者」を読みおえ、これもほんとうにすばらしかったから、「本ってやっぱりおもしろいんだよ!」とひとりで大興奮していた。ときどき思うけれど、みんな「ブロンド少女は過激に美しく」を見にいかず、オンダーチェ「イギリス人の患者」も読まず、いったいなにをやっているんだろう。それ以外になにかたいせつなことがこの世界にあるんだろうか。
 新宿武蔵野館で岸健太郎「未来の記録」を見た。わたしにはわからないことだらけだった。どうしてこんなにたくさんの音声が必要なのか、どうして自殺した中学生の父親以外のすべてのにんげんを好きになることができないのか、わからなかった。まるで、興味のないひとの興味のない話をえんえんと聞かされているような気持ちがした。だれかのために一生懸命やること、だれかを救おうとすること、だれかの死を悼むこと、それができればそのひとは上等なのか。上等だと、この監督は思っているように見えた。そこがわたしにはわからない。


 5月22日(日)

 昼間まで眠り、エイブルに排水口のことで電話をかけた。それからまた眠った。夢を見た。わたしが好きではないひとといっしょに車のなかにいて、わたしが好きではないひとはわたしにずっと話しかけてきて、わたしはそれに耐えきれなくなりそとにでて空に向かってピストルを発射した。警察がやってきてわたしを警察署につれていき、シチューとカレーをふるまい、わたしはそれを食べ、泣きながらことの経緯を話した。そとの世界ではわたし以外のテロリストがなにかをやっていたけれど、わたしにはよくわからなかった。わたしは家に帰された。すべてのひとがわたしにやさしかった。父親が穴を掘っていた。柿の種と納豆をいっしょに埋めようと言っていた。タイムカプセルのつもりだったんだと思う。わたしは「納豆はいらないと思うよ」と言った。
 起きて、それから雨の音を聞きながらカフカ「審判」を読んだ。

 門の前までくると、すぐに彼らは奇妙なやりかたで腕をからませてきた。Kはこんなかっこうで、人とならんであるいたことは、まだ一度もなかった。肩を彼の肩にぴったりとくっつけ、腕はまげないままで、上から下までKの腕にからみつかせるのに使い、下のほうではKの両手をつかむのだったが、これがまた教えられたとおりの、訓練の行きとどいた、抵抗しがたいつかみかただった。Kはしゃちほこばって、二人のあいだにはさまれて歩いていったが、こうなると三人がまったくの一体となっていたので、一人がうちのめされれば、三人がぜんぶうちのめされてしまうほどだった。ほとんど無生物だけが形づくることのできる統一体だった。

 採掘用の岸壁用の近くで、そこには切り出された一つの石が横たわっていた。二人の男はKを地面にすわらせ、石によりかからせて、頭をその上にねかせた。二人もいろいろ努力してやってみたし、Kも彼らの意にかなうことをいろいろとやってみたのだが、それにもかかわらず、彼の姿勢はおそろしく窮屈で、信じられないようなものだった。そこで一人の男がもう一人の男に頼み、しばらくは自分一人にまかせてもらって、Kを寝かせようとしてみるのだったが、それでもやはりうまいぐあいにはいかなかった。とうとう彼らは、Kにある姿勢をとらせたままにしてしまったが、これは今までやってみたなかで、いちばんいい姿勢ですらなかった。



 カフカの文章は奇形だ。連綿と文章が流れていながら、その文章の総体の一部はつねに肥大している。時間、空間、存在、行為、それらが異常なかたちではじめからおわりまで接合されている。小説を書くひとは「描写」というものが好きなひとがおおいけれど、カフカの、とくにひとつめに引用した箇所の腕をくむ文章は「描写」ですらない。あきらかに異様なことがおこっている、でもわたしにはその異様さがなんなのかわかることができない。わたしにかろうじてわかるのは「なにかがおこっていること」だけだ。そして、ほとんどの小説では「なにかがおこっていること」以上のことがわかってしまう。だから、それはすくなくとも現実ではない。現実では、わたしたちは「なにかがおこっている」以上のことを決して知らないんだから。
「審判」をあらためて読んで、この本はここ25年くらいで読んだなかでやはりさいこうの本だと思う。あまりにもおもしろすぎる。というか、このおもしろさはもう尋常じゃないと思う。カフカはおもしろいことしかここに書いていない。ふつうの作家にはそんなまねはぜったいできない。ふつうの作家はおもしろいことを1行書くために、そのおもしろい1行のまえにつまらない10行を配置するしかやりかたを知らないからだ。そしてそのことをおそらくはほとんどの作家がわかっていない。だから、ほんとうのことを言えばほとんどの作家は小説なんてものを書いていない。ただ、つまらない10行とおもしろい1行を交互に書いているだけだ。そして、しかたないからわたしたちはそれを小説と呼んでいる。この世界がすべてカフカだったなら、おそらくわたしたちは現実を耐えきれず、なんらかの革変をおこなおうとするだろうから。この世界にはカフカ以外のにんげんもいる。世界はその意味で平和だった。カフカはすでに11行めを書いてしまった。その瞬間、世界は音をたてずに壊れた。わたしたちは壊れた世界を生きている。11行め以降の世界を生きている。
 11行めの世界で、わたしはやさしくなりたいと思った。だれかのそばにいたいと思った。だれかのためになにかをすることなく、だれかを救うことなく、だれかの死を悼むことなく、だれかにやさしくして、だれかを愛したいと思った。わたしは、11行めを知りたい。求めたい。そのなかにふくまれていたい。永遠が肥大化してやがて拡散していくその場所で、わたしはやさしさを求めたい。




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