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文章を書きながら文章を書くということについて書くこと

2011.06.08(00:45)

ゴダール・映画史 1ゴダール・映画史 1
(1982/01)
ジャン・リュック・ゴダール

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 6月7日(火)

 会社にいった。お昼ごはんを食べているとき、SSくんが食堂のナプキンがエアコンの風がはたはたと揺れているのを見て手をかざし「動け!」とさけんでいた。でもそのあと「大人になりたいよう」と机につっぷして泣いていた。
 半年にいっかいくらいひょっこりやってくるSOさんが半年ぶりくらいにひょっこりやってきて、彼女は基盤系でわたしは開発系なので「アプリのことはぜんぜんわからないので知りたい」と言った。でもわたしもぜんぜんわからないのでうっかり全部てきとうに答えてしまった。じつにうっかりした。やさしくなりたいなあと思った。
 ゴダール「映画史」を読んだ。


 ジェーン・フォンダの闘いはどうかと言えば、彼女の闘いはいつも、映画の世界の外でなされていました。なかでなされたことは一度もありません。あの映画(『万事快調』)をつくっていたときにわれわれの間にあった大きな違いとそのための口論は、そうしたことに原因があったのです。私はベトナムのことに[それ自体としては]関心がなく、彼女にこう言いました。《君はこのカットをうまく演じることができなければ、ベトナムに行ってもやはり、うまく演じることができないだろう。それにその場合、台詞はだれがつくるのかね?》と。

 いま最初になされるべきことは、子供たちに小さなポラロイド・カメラを配るということでしょう。またとりわけ、子供たちになにも言わないということでしょう――子供というのは、よいこと以外のことはしないものなのです――。そうすれば、子供たちはパンが食べたくなったとき《おなかがすいた》とは言わずに、パンをカメラで撮るようになるはずです。そしてそれによって、ものごとを理解するようになるはずです。そうすれば、私が思うに、なにかがかわることになるのです。

 今では映画をつくっているのは観客です。今の映画はなかにはなにもありません。かつてはキートンとかチャップリンといったスターたちが、自分の肉体をつかって演技したり演出したりしていました。でも今は、スターであればあるほどなにもしないのです。たとえばスチーヴ・マックィーンですが、彼がなにかを考えているかのようなカットをよく見かけます。でも彼を考えさせているのは、じつは観客なのです。彼自身は、そのときも、あるいは週末にも、なにも考えていません。《君はぼくになにを考えてほしい?》と言っているだけなのです。そして、カットとカットを頭のなかでつないで《彼はこれこれのことを考えている》と考えるのは観客なのです。たとえば、彼が裸の娘を見てなにかを思いついたようなふりをすれば、観客は《ああ、彼はあの裸の娘のことを考えているんだ。彼は彼女とやりたがっているんだ》と考えるわけです。仕事をするのは観客の方なのです。観客は金を払って、しかも仕事をしているのです。


 トーキーの発明というのは、サイレント映画から字幕のカットをとり去り、そのほかのカットを次々とつなぐということだったのです……つまり、三つのカットのなかからひとつをとり除き、残った二つのカットをひとつにするということだったのです……字幕のカットをとり除くことだったのです。まず口があり、字幕が入り、ついで口がまたあらわれ、その口がこんなふうに……というのがサイレント映画でした。それに対し、トーキーの発明というのは、ただ単にカットをひとつぬかすということでしかなかったのです。

 人々は戦争をするかわりに、戦争映画をつくるべきなのです。

 アマチュアはどうかと言えば、かれらは多くのカットを撮り、それによってコダックをもうけさせています。でもかれらは、いつもひとつのカットしか撮りません。かれらはバカンスに出かけたときとかクリスマスのときとか子供が生まれたときとかに、それぞれカットをひとつずつ撮ります。かれらは決して、そのカットのあとで別のカットを撮るということをしません。とすると、かれらはそのひとつのカットを撮ることによってなにを求めているでしょう? もっとも、それはアマチュアにとっては、ごく当然のことなのでしょう。でもプロの場合は、私に言わせれば、当然のことじゃありません。それに、プロはアマチュアよりももっと撮らないわけで、だから、私の敵は映画のプロたちなのです。

 プロの映画作家はどうかと言うと、連中は二つのカットどころか、八百ものカットを次々につないでゆきます。でも、ほぼ間違いないこととして言うのですが、(今の映画ではとりわけ)その八百のカットはどれもみな同じものなのです。それらは、八百のカットに増殖された、ただひとつのカットなのです。だから、いろんな俳優をつかって……あるいはまた、映画の題名をかえたりするわけです。いつも同じ題名であれば、人々が見にこなくなるからです。それに人々の方も、大学とか工場とかでの労働のために頭がぼおっとしていて、いつも同じ映画を見せられているということがわからなくなっているのです。

 私が思うに、フィクションというのはコミュニケーションのひとつの契機です……証拠品を受け取ることのできる瞬間のことです。そしてフィクションは、受け取られなければ、ひとに見られることのない証拠品にすぎません。

 警察には証拠品としての写真は何百枚とあります。そして警察官がそのなかの諸君の写真をじっと見つめながら《おい、おまえだな、これこれの日にこれこれの場所で年老いた母親を殺したのは……》とつぶやくとすれば、そのときはじめて、そこにフィクションが生まれるのです……諸君が母親を殺している場合は現実的なフィクションが、そうでない場合は非現実的なフィクションが生まれるのです。フィクションというのは視線なのです。そしてテクストというのは、その視線が表現されたもの……その視線にそえられた言葉なのです。

 映画のごく一部分を映写する必要があります。したがって、まずそれをさがし出さなければなりません。それにまた、映画のそのごく一部分をさがすという行為を映写する必要があります。つまり、多くの小さな断片を映写し、それらをどのようにしてさがし出したかを語ったり、《われわれはこのような方法でさがした》と言ったりしなければなりません。



 ここさいきん、わたしはゴダール「映画史」からとにかく引用をしていた。それは、わたしが書いたものを読むよりはゴダールが書いたものを読むほうが有益だろうとわたしが思ったからだった。すでにわたしが書きたいと思うことはゴダールが書いている。それならわたしが書いたものを読むよりもゴダールが書いたものを読むほうがずっとまともなことだろう。わたしはそう思った。でも、わたしが書きたいと思うことはゴダールがそう書いたから「書きたい」と思ったはずで、そこにはおおきな転倒があった。わたしはその転倒についてなにかをうまく思うことができない。引用についてはもうあきらめた。引用をするというのはとてもめんどうくさい作業で、わたしはすくなくともわたしの日記でそのめんどうくささをずっとひきうけていく気にはちょっとなれない。
 ゴダールが書いたことをとおして、わたしが書きたかったことを再認識できた。もうゴダールを書くという仕事はじゅうぶんだ。ゴダールは「映画史をつくるためにはそれが映写される必要がある」というようなことを言った。「紙になにか書いたなら、それは文学になってしまう」と。もしもわたしがなにかを書いたとしたら、それはゴダールになってしまうということだ。わたしがかりに映画を書きたかったとしたら、わたしはおそらくは映画を書くべきなんだろう。ゴダールではなく、映画を。
 ゴダールが「エヴァ」について書かないとしたら、わたしが書かなくてはいけない。それと同じ意味で、わたしはわたしの生活を書かなくてはいけない。わたしは「エヴァ」を語るようなやりかたでわたしの生活を語らなければいけないし、わたしの生活を語るようなやりかたで「エヴァ」を語らなければならない。
 わたしはわたしの書いている文章や小説についてなにか言うことをかなり意識的に避けてきた。それは、わたしがわたしの書いている文章や小説についてなにかを言うことがとても醜いことだと感じられたからだった。いまでもわたしはそれらについて美しく言うやりかたを知らない。だから、わたしがこれから書くことはけっして美しくはないんだと思う。けれど、美しさはどこに発生するんだろう。雨の美しさはその雨に宿っているんだろうか、それとも、雨から喚起されるわたしのなかの「なにか」に宿っているんだろうか。美しさがかりに共同作業であるなら、わたしはそれをはじめなくてはいけないような気持ちがする。
 わたしはおそらく文章を書くと同時に文章を書くということについて書かなくてはいけないはずだ。
 3月に「この地球上たったひとり年老いた駱駝」という小説を書きおえて、文藝賞に応募した。これはわたしのなかでは「豚小屋のファックマン」という小説をよりちいさな領域で書きなおした作品だった。「豚小屋のファックマン」という小説を、わたしはよく覚えているけれど、明治大学か中央大学の高橋源一郎の講演を聞いた帰りの電車のなかで「俺は豚小屋のファックマン」という書きだしの1行が決まり、書きはじめた。でもわたしはそれきり書くのがめんどうくさくなって、放っておいた。それからしばらくして書きはじめなくちゃなと思い、けれどとくにもうそのときそれは高橋源一郎とはなんの関係もなくなっていた。だからわたしはランボオ「地獄の季節」(小林秀雄訳)の文体で書こうとした。ランボーの文体の強度を保ったままそれを数百枚の小説として書こうとした。はじめ、わたしはそのやりかたで物語を書こうとした。あの圧倒的な強度を持った文章で物語を書けたらそれはすてきだろうと思った。でも、わたしにはそれは書けなかった。書いているうちに物語はあるけれど、表面上の文章ではなにが起こっているのかわからないようにしか書けなかった。150枚をすぎたあたりでうまく書けなくなった。物語を書こうとするランボーの文体が消え、ランボーの文体で書こうとすると物語が消えていった。わたしにはまだ文章をうまく書くという技量がぜんぜんたりないんだと思った。それでいやになって、また放置してべつの小説を書いていた。でもあとになってわたしはどうにか書きあげたいと思い、それまでの150枚を参考にして、1から新しく小説を書いていった。パソコンの画面上で、すでに書いた150枚を左に配置し、右に新しく小説を書いていった。


 黄金の鳥が去っていくと、宇宙が終わると言う。くわしくは知らない。


「豚小屋のファックマン」にはこういう意味のない文章がときどきのこっている。それは、わたしがランボーの文体で書こうとしたときのなごりだ。わたしはこの文章の書きかたで数百枚書こうと思った。でも、わたしはそれをほんとうにかなしいことだと思うけれど、わたしには書けなかった。すべて消すことも考えた。でも、わたしは新しく書きなおされた「豚小屋のファックマン」にすこしでもランボーをのこしておきたかった。それは、ほんとうに最初にはそうやって書こうと思われていたのだし、それが、新しく書きなおされたとしてもなんらかの価値を持つだろうとわたしが思いたかったからだと思う。わたしにはランボーの文体で物語を書くちからがないということがわかったからわたしはべつの手段をとろうと思った。わたしはそれを純文学ではなくエンターテインメント小説として書こうと思った。物語だけを書こうと思った。それもひどく、調節的なやりかたで。わたしはそのなかに直截的な感傷的な場面を挿入した。わたしはつねに感傷的なことを書こうとしていた。ランボーの文体を導入したのも感傷的なことでもランボーなら耐えられるだろうとわたしが思ったからだった。中原中也でもよかったかもしれない。でも中原中也の感傷は散文詩ではないもののなかでしか生きていけないと思ってやめた。アリスというひどい名前をあえてつけてまで、感傷的なことに耐えたかった。

 
 俺は足音をたてないように家の裏にまわり、窓からなかの様子を窺った。小さな木のベッドに母親が眠り、鼠色の毛布にくるまって音の悪い咳をしていた。女の子はさっきと同じ服装のまま台所に立ち、スープを温めていた。そのなかには鶏肉もろくな野菜も入っていなかった。俺は安心してそのまま窓の下に座りこみ、蝋燭が消えるのを待った。夜空には星が浮かんでいた。俺は星と星とをつないで時間をつぶした。豚小屋にいた頃、アリスが星と星のつなぎかたを教えてくれた。でも、何度言われても俺にはよくわからなくて、たまりかねた彼女は星座の本をわざわざ買ってきてくれた。毎日、俺は夜中に豚小屋からでて、屋敷から漏れる明かりでその本を読みながら夜空を見上げた。星と星をつなぎ、その幻想を吸いこもうとした。楽しかった。どの星がどの星座なのかを理解したと告げるとアリスは本当にうれしそうな顔をしてくれた。俺はそれと同じように、花売りの女の子にも何かを言ってあげたかった。この家はとてもすてきだと言ってあげたい。屋根がなければ、星を見ればいいじゃないか。蝋燭を消し、星を眺めて物語を語ろう。きみはまだ花を売るほどに美しいじゃないか。
 

「豚小屋のファックマン」のなかでもっとも直截的に感傷的な文章だと、わたしは思う。ランボーの残滓にわたしは託していたと思う。それはひどくまちがったことかもしれない。でも、わたしはもうそのときには「豚小屋のファックマン」を書きつづけることにいくらかの苦痛を感じていたからなげやりな気持ちだった。最終章でアリスがファックマンに本来の目的を告げずに南の街へいくシーンは探偵小説的、あるいはドラマ的な手法をつかった。わたしはほんらいこういう書きかたはしないけれど、エンターテインメントだからこうあってもいいと思った。
「豚小屋のファックマン」は最終的に400と数十枚になった。文藝賞の規定は400枚だからけずらなければいけなかった。もうどこかをけずるのがめんどうだったから物語の最後、ホエールスたちがアリスとファックマンをかこんでいるところ、ほんとうはホエールスがエリザベータについて長く独白する場面があったけれどそれをすべてけずった。よく考えればエリザベータなんかぜんぜんでてきていないんだからどうでもいいよと強く思うことができた。そして、あとはいよいよめんどうになって改行をてきとうにたくさん削除して400枚ぴったりにして応募した。
 この小説のなかで作品にまったく関係ないものがいくつかある。アリスの婚約者が語る戦争の話、演出家が語る舞台の話、そしてくっきーちゃんとあめだまちゃんの話。そのうち戦争の話と舞台の話はゴダールや高橋源一郎がかつて語ったことを焼きなおしただけで、もしかしたらいらないのかもしれなかった。でも、わたしはそれを小説だと思っていた。いまでも思っているけれど、わたしはいま小説に必要なのは長さだと思っている。長ければ、ひとはそれを詩ではなく小説だと思うはずだし、そしてもっと言えば、長ければ長いほどひとは「それを読んだ」ということを頼りにその小説をおもしろいと思うはずだとわたしは思った。PSやPS2のスクウェア・エニックスのゲームがおもしろく感動できたのはエンディングまで短くて数十時間かかるからだと思う。そして、数十時間かけてひとになにかを読ませるには何千枚も書かないといけないはずだ。でもわたしは、わたし以外のひともおそらく規定のせいで400枚にしなければいけない。どうでもいいものでもとにかく挿入して、わたしはできるだけ長く書こうとした。くっきーちゃんとあめだまちゃんの話はけずろうとは思わなかった。これはおそらくわたしが書いたもののなかでさいこうの作品だと思うからだ。わたしは江國香織の文体でこれを書いた。この話の最後の部分をわたしはうまく書くことができなかったけれど、そしてもう一生書けないだろうけれど、とにかくわたしはこの話が、この文章が好きだ。そして、わたしがどれだけわたしがくっきーちゃんとあめだまちゃんの話をさいこうだと思ったとしても、それは、「豚小屋のファックマン」という小説のなかのどこかに置かなければ、置く場所がないものに思えた。わたしの問題なのか、わたし以外の問題なのか、それはわたしにはわからない。とにかく、くっきーちゃんとあめだまちゃんは「豚小屋のファックマン」やあるいはほかの小説の内部にしか、居場所がなかったように思う。
「豚小屋のファックマン」は失敗作だった。書きおえたあと、わたしは「わたしはこれを最低でも600枚以上の長さで書くべきだった」と思った。だからわたしは「豚小屋のファックマン」を書きなおそうと思い「この地球上たったひとり年老いた駱駝」という小説を300枚程度で書いた。わたしはけっして完璧主義者じゃない。わたしの小説なんてどうでもいい。ひとつの小説がだめならその小説がよくなるなんて書きなおすなんてばかげていると思う。ひとつの小説がだめならその小説をべつのものとして書きなおしたほうがまだましだと思う。
「この地球上たったひとり年老いた駱駝」ははじめ「薔薇と衛兵」という題名で書いていた。題名はなんでもよかったからてきとうに決めて、それからずっとその名前を使っていた。でもわたしはせっかくだから長い題名をつけたいと思い、むかし書いた「この地球上たったひとり皮膚病の獣」という詩の題名をまねした。題名はわたしはなんでもいいと思う。村上春樹は「題名が決まらないと小説を書きはじめられない」と言っていた。ボリス・ヴィアンは「北京の秋」という題名の由来を訊かれ「北京も秋も関係ないから」と答えたという。題名なんてなんでもいいということだと思った。「この地球上たったひとり年老いた駱駝」はプルーストの文体を意識して書こうとした。けれどこれもわたしが文章を書くすべを知らないせいで途中からプルースト的なものが消えていった。前半と後半でぜんたいに文体のずれがあるけれど、わたしはめんどうくさくなったからとにかく最後まで書きあげた。「豚小屋のファックマン」を書きなおしてこの小説を書いたからこの小説もエンターテインメント小説だとわたしは思う。「ファックマン」にくらべエンターテインメント的な感触は薄れているとわたしも思うけれど、それは、ただたんに長さの問題にすぎないと思う。小説は長ければそれはエンターテインメント的になり、小説が短ければそれは純文学的になるということだと思う。作家はそういうことを言わないけれど、それは、そういう問題にすぎない。
「この地球上たったひとり年老いた駱駝」は、だからとても物語的な小説だと思う。これを書いたのは「豚小屋のファックマン」を書いている途中に「樹の上の八番目の魂」、書いたあとに「対宇宙人戦争の前夜」、「愛について僕たちが知らないすべてのこと」を書いたからというのもあった。その3つの小説はエンターテインメント小説を書こうとしたようには書かなかったし、物語的というよりは断片的に書いた。
「樹の上の八番目の魂」は時間を意識して書いた。一般的に素人が小説を書くとき回想シーンはつかうべきではないとされているとどこかで読んだことがあるけれど、わたしはこの小説のほとんどを回想で書いた。小説のはじめを現在に起点し、そこから連続的に、というより、プルーストが紅茶につけたマドレーヌをきっかけにして宇宙と見まちがえるほどの時空間に回帰していくようなやりかたで過去にさかのぼり、時間を進め、現在に配置した起点とぶつかったときになにが起こるのかを知ろうとした。


 そしてそういういっさいを思いだしたとき、わたしの頭のなかにつめたい質量が発生するのがわかった。それはまるでわたしが持っている八番目くらいの魂のようだった。わたしはもしかしたらあらゆることがまちがっているのかもしれないと思った。わたしのこころのなかに設置された砲台から大砲の弾が花火のように撃ちだされ、海岸線をのぞむ夜空で夕暮れのように跳ねあがり、頭から天国をたらしながら行進する兵士たちは自分たちのしていることすべてにあたたかい花をそそいでいた。もういやだ。わたしはようやくわたしが何かをいやだと思っていることに気づいてたまらない気持ちになった。


 そのとき起こったことはこういうことだった。いま思うならこの書きかたはいくらかまちがっていて、改行なしでもっと連続的につなげるべきだったと思うけれど、とにかく、これでやっと「わたし」は「わたしの頭のなかにつめたい質量が発生するのがわか」り、「何かをいやだと思っていることに気づ」くことができた。そしてそとにでることができた。時間が1秒もたっていないにもかかわらず、その1秒のなかに内包された数百枚の文章が「わたし」をそとにつれだすことができた。そのあとの彼女が体験すること、感じること、彼女の唇をいじるつづける仕草、それらはわたしにとってほとんど感動的ですらあって、わたしは「わたし」もこの小説もとても好きだと思う。文章については金井美恵子を意識した。虫がたくさんでてくる場面を考えていたから金井美恵子の肉感がどうしても必要と思えたけれど、とてもひどいことになった。ほかには画面全体を白でべた塗りしたようなイメージで書いた。途中にある、世界を滅ぼしにでかけた蝶の挿話は「HUNTER×HUNTER」のまねをした。
 そのあと、わたしは「対宇宙人戦争の前夜」を書いた。これは題名が最初から最後まで思いうかばず「兵士は保健室で目を覚まし、世界を銃殺する。」と仮の題名をつけてずっと書いていた。書きおえて、これを題名にするのは抵抗があり、というより、これはそもそも題名ですらなかったからサリンジャーの題名をまねした。もう書きおえたから題名はどうでもいいものだった。「対宇宙人戦争の前夜」ははじめほとんど会話だけの小説にしようと思った。保健室で目覚めた生徒が自分の身体が兵士になっていたことに気づく。トイレにいき、そこで話しかけてきた社会科の教師に弾丸を放つ。その弾丸が教師をつらぬくまでの一瞬のできごとのなかで数百枚の会話を描こうとした。でも実際書きはじめてみると数百枚も話すことはなかったのですぐあきらめ、ふつうにはじめ、それから教師とのわりと長い対話を挿入し、最後に終わりの部分を書いた。わたしはこの小説のなかでわたしがブログに書いているようなことをかなり直截的に書いた。それは、わたしが「わたしが書いているものは小説よりも日記のほうがおもしろいんじゃないか」と思ったからだ。そして、わたしがブログで書いてきたことのまとめのようなものを、わたしは、ブログで書くのではなく小説のなかで書こうとした。媒体というものにたいした価値はないと思う。わたしのブログに書かれる日記は小説的であればいいと思うし、わたしの小説のなかではわたしの日記が書かれていればいいと思う。もうひとつ思ったのは、あめだまちゃんとくっきーちゃんの話と同じものだった。あめだまちゃんとくっきーちゃんの話はわたしの感覚だとそれ単独で存在することがもはやできなくなった、おそらくは童話的なものだけれど、それと同じように「対宇宙人戦争の前夜」のなかで書かれた教師との対話も童話的で、ブログ以外では小説の部分としてしか居場所がないものだった。だからわたしはそれを書きたいと思うならそれを小説の部分として書くしかなかった。小説の全体として書こうとしたわたしのこころみは最初からまちがっていたんだといまは思う。だから、それはわたしにとってくっきーちゃんとあめだまちゃんの話とまったくちがう外見をしていながら同じ内部問題を、しかも醜く肥大した状態で抱えている。この教師との対話の前後で描かれた部分はこの小説においてなんの意味もない。それらはただの器にすぎない。あたかも、カフカの文章全体が実体としてありながらカフカ的なものの宿り木でしかないようなものだと思う。この小説はカフカなんだとわたしは思う。
「愛について僕たちが知らないすべてのこと」は感傷的なことを、「豚小屋のファックマン」では文章の強度をもちいて描こうとしたのにたいし、断片化をもちいて描こうとした。パソコンではなく原稿用紙をつかって最初から最後まで書いて、書きおえたあとにパソコンをつかって手なおしした。「断片化をもちいて描こうとした。」と書いたけれど、なにも決めないままとにかく書きだしたので書くことが絶望的になく、無関係なことを次々書きだしたら断片的なものになったというだけかもしれない。それでも感傷的に書こうとは意識していた。泣けなければいけないと思った。題名については考えるかぎりもっとも恥ずかしいものをつけた。中身がわけのわからないものだったらそれでもいいかと考えたからだ。あとから考えればこれはほとんど役にたっていないけれど、ボリス・ヴィアン「うたかたの日々」を下敷きにして恋愛小説を書こうとした。主人公の名前を「腐りかけた男」にした。とくに意味はない。「S」と最初名づけていた。でもあまりしっくりこなかったので途中で変えた。変えたけれどしっくりこなかった。それであきらめ、めんどうくさいのでそのままにしておいた。途中でユダヤ人がなんの脈絡もなくでてきて長い話をはじめるけれど、とくにそういうことは考えていなかったからでてきたときはびっくりした。それでもユダヤ人の語る長い話はわたしが書いたもののなかでさいこうのものだと思う。わたしはこの話をとても愛している。カフカをまねしたヨゼフィーネの話があまりにも中途半端になってしまったことについては悔やんでいる。もっとしっかり書きたかった。このユダヤ人の語る話も「あめだまちゃんとくっきーちゃん問題」で、ほかに書ける場所がなく小説のなかに配置した。ユダヤ人と出会う場面は竹本健治「閉じ箱」の表題作に影響を受けていると思う。最終場面は岡田利規「三月の5日間」小説版の最終場面のまねをした。クロエと横浜へ向かう電車に乗るまえの場面で文章がとぎれている箇所があるけれど、あれもとくに意味はない。はじめは書こうと思ったけれどめんどうくさくなってはやく電車に乗せたかった。電車のそとをきゃべつから足が生えた子供が走る場面はむかし書いた詩をイメージとしてとりだし焼きなおした。
 書くのに飽きたのでほかの小説のことはあとで書こう。ゴダール「映画史」を読んで眠ろう。もうずっと、眠ろうよ。




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