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美しい機械

2011.06.09(23:17)

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(2008/06/18)
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 6月8日(水)

 会社にいった。
 今日はわたしの受けもっている新入社員が「コミケに当選しましたよ!」と教えてくれた。じつによく報連相ができているなあと思った。
 お昼休みにはたまたまTIちゃんとごはんを食べた。うどんを食べようと思って列にならんでたんだよ」とTIちゃんは言った。「後ろにAIさんがならんでいて、そのとき、『てんぷらあと1人前です!』って食堂のひとが言って、そうしたらAIさんが『わたしてんぷらにする!』って言ったんだ」。「まえにまだ何人もならんでるのに?」とわたしは言った。「うん」。「『選択権はわたしにある!』みたいな」。「そう。ほんとうにすごいよ。あれが素なんだもん」。「うん、俺もほんとにすごいと思う」とわたしは言った。
 帰ってすぐに寝た。


 6月9日(木) 

 会社にいった。
 6月7日の日記がmixiでは1万字をこえていたのでアップでなくて、しかたないからゴダールからの引用の一部をけずってアップした。それはたしかにシステム的なことだと思う。システムは「かりにあなたの1日が1万字以上のものだとしらあなたはそれをふたつ以上に分割しなくてはいけない」と言っている。問題は、そのようなシステムにのっとって表現されるわたしの1日がどのような価値を持つだろうかということだと思う。ゴダールは「かりに私が私の映画の予告編をつくるならそれは5時間以上になるでしょう。なぜなら、私はその映画についてありとあらゆる方面から語ろうとするからです」と言った。そして「私は『わが映画たち』と題された映画をつくろうと思っていました。それは私が私の映画をありとあらゆる方向から考えようとする映画だったのですが、けっきょくはそれをつくることはできませんでした。なぜなら、それは長さが二十万時間にもなる映画だったからです」とも言った。わたしがわたしの1日をほんとうに真摯な気持ちで書くとしたらわたしは24時間以上かけてそれを書かないといけないかもしれない。けれど、もしもわたしが24時間かけてその日のことを書いたならわたしはその次の日にも24時間かけてその前日のことを書かないといけなくなって、きっと、そういうことを続けているとすぐに死んじゃうんだと思う。だから書かないし、書きたくはない。わたしはわたしの24時間についてせいぜい数時間しかとりこむことしかできないし、わたしはわたしの24時間をそれほど愛しているわけでもない。ありとあらゆる方面からなにかを語ることはできない。ありとあらゆる方面から語ることはわたしの時間をこえていることだと思う。だからわたしたちは選択をする。そして、映画だろうと音楽だろうと小説だろうと、それらは選択されたものだとわたしは思う。無数の映像、無数の音、無数の言葉をならべ、ときにはあいだを削除し、またつむいでいく、わたしたちが「小説を書く」とか「映画を撮る」とか言っていることは、けっきょくのところそういうことでしかないんだと思う。そして、わたしもそうだけれど、わたしたちはそれらが選択されたものでないと「もの」だと認識できないんだと思う。頭のなかにあるだけのなんらかの言葉たちにひとびとはノーベル文学賞を決してあたえようとしない。そしてわたしたちはなにかを書いたりしないとわたしたち自身にもそれらについて判断することができない。そしてだいたいの場合、書くということがわたしたちのなかにあるものをどんなに劣化させようとそれらを創造的な行為とたやすく呼んでしまう。そんなんじゃないと思う。わたしがなにかを書くときわたしはなにひとつ生みだしていない。わたしはわたしのなかにあるものを劣悪にけずっているだけだと思う。そしてわたしはそれ以外に書きかたを知らない。ものを書くということはまともににんげんを愛することができないということだと思う。にんげんを存在させなくするということだと思う。サリンジャーは小説のなかで「彼らは僕たちを愛すると同時に僕たちを愛している理由を愛している」と書いたけれど、わたしは理由だけしか愛していないのかもしれないと思う。ものを書いて、それについてなにか言っているだけでなにかを愛した気持ちになるのは、いったいどういうことなんだろう。
 6月8日の日記でわたしは「わたしの会社の食堂ではうどんの具材をてんぷらとかきつねとか選べるようになっている。」と1度書き、消した。最初はいれていなかった。でもいれなければ読んでいるひとはそのできごとについてわかることできないかもしれないと思って書いた。気持ちわるくなって、消した。「描写」と「説明」と小説の技巧的な問題のなかで呼ばれるものがあればその文章は「説明」に分類されるとわたしは思う。呼びかたはなんでもいいけれど、わたしはその文章たったひとつがわたしのすべてを醜くすると思った。わたしが文章を書くときにぜったいにやりたくないと思うことは「わたしの会社の食堂ではうどんの具材をてんぷらとかきつねとか選べるようになっている。」と書くことだし、わたしの書いた小説のなかにその文章はひとつもはいっていないと信じたいし、はいっていたとしたら、わたしがくずだということだろう。その文章が醜いのはそこに視線がかけているからだと思う。村上春樹ですら、その部屋になにがあって椅子がどこにあって寝台がどこにあって、という描写をしていて、わたしはそれを好きではないけれど、すくなくともそこにはなんらかの視線がある。ものを見つめようとしている。「わたしの会社の食堂ではうどんの具材をてんぷらとかきつねとか選べるようになっている。」という文章が気持ちわるいのはだれの言葉でも、だれの視線でもないからだと思う。わたしの言葉でも、わたしの視線でもない。それを書いたのはわたしなのに。「説明」を「描写」のなかにおりこんでいくことが小説の技巧として語られることがあるけれど、そうじゃないと思う。それは「わたしの会社の食堂ではうどんの具材をてんぷらとかきつねとか選べるようになっている。」と説明したいがために「わたしはお昼休みになると食堂にいった。うどんを食べるひとびとの列にならび、お盆を持ったままうどんををゆでているひとたちを眺めていた。蛍光灯の明かりがいつもよりすこしだけまぶしい気持ちがした。昨日つくった靴ずれが痛かった。目のまえには『てんぷら』とか『きつね』とか書かれていて、やっと列のいちばんまえまでたどりついたわたしにうどんをゆでているひとが『なににする?』と訊ねた。わたしはそのときになってもまだわたしがうどんにいったいなにをのせて食べたいのかわからなかった。」と書かないといけないということだ。食堂のシステムを説明するために作家と呼ばれるひとたちは蛍光灯の明かりや靴ずれにまで言及しないといけなくなった。小説というもののなかでなされていることはそういうことだと思う。それは同じ文章をより長く書き、それによってどれが「説明」でどれが「描写」かわからなくしているだけだと思う。そして、それがわからなくなるのはその文章を読んでいるひとだけでなく、その文章を書いているひともだと思う。だからいまわたしたちが読んでいる小説のほとんどは「わたしの会社の食堂ではうどんの具材をてんぷらとかきつねとか選べるようになっている。」という文章を「わたしはお昼休みになると食堂にいった。うどんを食べるひとびとの列にならび、お盆を持ったままうどんををゆでているひとたちを眺めていた。蛍光灯の明かりがいつもよりすこしだけまぶしい気持ちがした。昨日つくった靴ずれが痛かった。目のまえには『てんぷら』とか『きつね』とか書かれていて、やっと列のいちばんまえまでたどりついたわたしにうどんをゆでているひとが『なににする?』と訊ねた。わたしはそのときになってもまだわたしがうどんにいったいなにをのせて食べたいのかわからなかった。」と書きかえることによってできているようにわたしには見える。そしてわたしもそうやって書いているんだと思う。
 6月8日の日記でわたしが書きたかったのは、ただそういうありかたをするAIさんの美しさだけだった。そこまでの断定がありえた彼女のありかたをわたしは貴いと思う。けれどわたしはそうありえた彼女の美しさについてはほとんど書くことができなかったし、書けたとしても、それはもう実際の彼女の美しさとはなんの関係もないものとなっているんだと思う。
 わたしが書きたいのは美しさだけだ。そして、美しさとはわたしの内部には決して発生しない。わたしは視線がほしい。わたしのそとにあるものをわたしのなかにおりこむことなく放出できるような、そういう視線のありかたがほしい。できうるならばわたしはわたしに美しい機械であってほしい。




コメント
「私の家の近所にある製麺所でうどんを食べました」という趣旨の文章が含まれた「作品」を製麺所でうどんを食べることの少ない都道府県の人に読ませようとしたら、メルヴィル「白鯨」みたいな感じになるかも。つまり、Sうどんエンサイクロペディア。うわー、それは書くのも読むのも嫌です。

それはそうと、上映時間12時間の「結婚行進曲」(シュトロハイム監督)の予告編ってどんなのだったんでしょう。金を1800円ぐらい払ってでも観てみたいです。
【2011/06/16 16:29】 | ぐっしい #- | [edit]
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