スポンサーサイト

--.--.--(--:--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





スポンサー広告 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]

フルカラー・アルケミスト

2011.06.26(03:24)

カール・マルクス (光文社文庫)カール・マルクス (光文社文庫)
(2006/03/14)
吉本 隆明

商品詳細を見る

 6月20日(月)

 けんけんぱをしながら会社にいった。
 ドトールによってゴーゴリの短編集を読んだり小説を書いたりした。
 

 6月21日(火)

 匍匐前進で会社にいった。
 ドトールにいって「村上昭夫詩集」を読んだり小説を書いたりしたような気がするけれどしていないかもしれない。


 6月22日(水)

 ルーラで会社にいった。
 帰ってスカイプをやった。わたしは聞いているだけだったけれど、よく聞こえなくて、ぼうっとしていた。スカイプをやっているわたしではないひとが「いま休憩ですか?」と訊いて「休憩じゃないですよ」と雪ノ下さんが言った。「休んでいるのは桜井くんだけです」と言った。なんでわかるんだろうと思った。あとはだれかが「純文学なんて売れない」と言っていたような気がする。雪ノ下さんが「桜井くんは俺だけは売れると思っているから」と言った。なんで知っているんだろうと思ってたいへんに笑った。


 6月23日(木)

 でんぐりがえしで会社にいった。
 SSくんがお昼ごはんのときに「赤いきつね」について語っていた。「あれは完成度が高い」と言っていた。「小学校のときはまりすぎて5キロ太った」と。「親の貯金箱からお金を盗んで『赤いきつね』を買って食べまくっていた。でも食べたのがばれるとお金を盗んだこともばれるから食べおえたカップを家の軒下にどんどん捨てていった。その家をとりこわしたときカップが次から次からでてきて俺は知らんふりをしていた」。
 6時に帰った。ドトールにいって「村上昭夫詩集」を読んだり小説を書いたりしていた。


 6月24日(金)

 たわしで身体をこすりながら会社にいった。
 SSくんとHAくんとKIちゃんとSKくんとTIちゃんとYYくんを誘って飲みにいった。でも暇なのはわたしとSSくんだけだったからとりあえずふたりでさきにでてへらへら飲んでいた。わたしはSSくんについてはすくなくともわたしの会社のなかでももっともすばらしいにんげんだと思っているけれど、その日もあいかわらずすばらしく、息ができなくなるくらいに笑った。「なんか話ない? ないと俺のお悩み相談会がはじまっちゃうよ!」と言っていた。すばらしかった。あとはHAくんの髪の毛について聞いたらやっぱりおもしろかった。みんなおもしろかった。


 6月25日(土)

 まるいちにち寝ていた。新国立美術館にいったり酒井幸菜を見にいったりしなければいけなかったはずなのに、気がつくと「邪気眼まとめ避難所」を読んでいた。なんでこのひとたちはこんなにおもしろいんだろう。


昔俺は左ひざにいっつもお母さんがバレーで使う膝パッドつけてた。 
俺の左足の膝から下は古代兵器という設定。 まあこれだけだたいしたことないな
いじめっこにからまれたときとかはまず一言いうんだよ 「反撃していいか?」って
それでも殴られたり首絞められるんだけど 「反撃していいか?」ってかたくなに
繰り返してたな、でやれるもんならやってみろとかいわれると 脳内設定の言語
をしゃべり「チ カ ラ ヲ カ イホ ウ ス ル・・・」とかメカっぽく言ってた
俺の中では視界が通常からターミネーターの視界に変わる感じ。で相手の弱点を
解析しだす感じ、、、「ターゲットカクニン・・ホソク・シュウリョウ」とか意味わかんないこと
くちばしって無防備にロボっぽくエネミーにつきすすんでく そんなかんじかなで
膝蹴りする感じでも少しピザで運動もだめな俺のそれが敵に利くはずがなく返り討ち
にされてた。 
まあ余談だけど、家からサラダ油持ってきて休み時間に左ひざに塗ってた メンテナンス
とかいいながら おかげであだなは「油パッド」 

俺が小学生の時にクラスにいた太一という男の話なんだが、奴は図工の時間に
何を思ったのか赤の絵の具を水で溶いて飲み「苺の味がする!」と言いだした。
緑を溶いてはメロン、橙色はオレンジと言い、俺達に試させようとするその姿に
俺達4-X組の生徒は恐れ、それからは奴のことを無果汁のジュースと掛けて
ファン太と呼ぶようになった。今思えば奴こそ後に神の舌を持つといわれる味の
錬金術師だったのかもしれん。

             ――「邪気眼まとめ避難所」より


 それで吉本隆明「カール・マルクス」を読んだ。吉本隆明の本は1行たりとも理解できたことがないけれどやっぱりなにもわからなかった。

 〈宗教〉は神を至上物として外化するから、自己意識にとってあたかも神が第一義のものであり、それを外化した人間は第二義のものとなる。しかし〈芸術〉では、人間の現実的な本質を至上物としてかんがえる意識が外化され、それが自己意識にかえってくるから、あくまでも自己を至上のものとする意識の幻想性として一義性である。
 フォイエルバッハによれば、キリスト教がすぐれた宗教的芸術をうみだしえないのは、その一神教的な性格が、芸術そのものと同質でありながら、こういった神を至上のものとする意識と人間を至上のものとする意識が矛盾をつくりだすからである。

           ――吉本隆明/カール・マルクス




コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kizuki39.blog99.fc2.com/tb.php/950-990ae3e7
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。