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映画のポケットVol.43「わたしの日本映画(1931-2010)」@気流舎

2011.08.08(02:30)

神曲 [DVD]神曲 [DVD]
(2005/05/21)
マリア・デ・メディロス、ルイス・ミゲル・シントラ 他

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 7月26日(火)

 会社にいった。


 7月27日(水)

 会社にいった。


 7月28日(木)

 会社にいった。毎日ファミリーマートで買いものをしているせいで、かわいい店員さんに「いつもありがとうございます」と声をかけられるようになっちゃったから、もういかないと思った。


 7月29日(金)

 Iさんと飲みにいった。CKさんとKYさん(空気は読める)もきてくれた。KYさん(空気は読める)がパイナップルをしぼっていたから「いちおう、訊くけれど、しぼろうか?」と言ったらほんとにわたされて、しぼった。「ううん、だいじょうぶだよ、ありがとう」と言われたかっただけなのに。KIちゃんがあとからきてくれたので、「もうあんしん!」と思ってあとはずっと黙っていた。近くにいた子供と宇宙人とはじめて出会ったひとのように接触をとろうと思ったけれど、だめだった。


 7月30日(土)

 tobaccojuice「幸せの海」やヘーゲル「歴史的哲学講義」、吉本隆明「言語にとって美とはなにか」が届いたからうれしかった。CDを買ったのなんて何年ぶりだろう。
 アテネ・フランセまでオリヴェイラ「神曲」を見にいった。はんぶんくらい寝ていたのであまり覚えていないけれど、でてくるひとたちはキリストとかニーチェとかラスコーリニコフとかイワン・カラマーゾフとかで、毎朝、ごはんのときにキリストはででんと立ちあがってパンを持ち「これはわたしの肉…」とかいきなり頭のわるいことを言いはじめて、ニーチェは「相手にするな」と言って女のひとのおしりばっかり追いまわしていて、「くだらないなあ!」と思った。それでも、すばらしい映画というのはすばらしい映画で、たとえばこの映画の冒頭の1秒を見ただけで「れべるちがう!」と思えるほどだから、それはすばらしい映画だったんだろう。
 高田馬場までいって、次の映画まで時間があったから、ひさしぶりに小説を書いた。でも、まえに書いたのがいつなのか思いだせないほどまえで、読みかえしていたら、おばあさんがおはぎやおせんべいを散弾銃のように発射してひとを撃ちまくっている場面にあたって「え…」と思った。なにを書いていたんだっけ。このあとどうなるんだっけ。失われてしまったものはもうもどってこないのかな。
 早稲田松竹でマーク・ロマネク「わたしを離さないで」を見た。とんでもない速度で物語が進んでいくのを見て唖然とした。「3時間でやる内容を1時間40分に圧縮しましたよ」というのとはちょっとちがう、圧縮のされかたを見たような気がした。本来は泣ける映画かもしれないけれど、この速度で進んでいってしまっては泣けないと思う。監督がなにを思ってこの映画を撮ったのかよくわからない、せっかちだったんだろうか。森のなかをキャリー・マリガンとアンドリュー・ガーフィールドが散歩をしている場面のキャリー・マリガンの鼻がかわいかったから、今年の鼻いちばんはきみだと思った。「わかれるときはいつなんだろう」と思った。男性と女性が恋人となる場面も、そのふたりがわかれる場面も、この映画では描かれていない。そして、そのことが異様な速度で物語が進められるこの映画の圧縮とどういう関係にあるのか、わたしは知りたいと思う。わたしたちの速度とはいったいなんなんだろう。男性と女性にとってわかれる場面や恋人となりはじめる場面というのは存在するのかな。するとしたら、というよりも、「存在すると仮定すること」をたくさんのひとは「運命」と呼んでいるんだと思う。そしてしないとしたら、どうしてわたしたちはそんな存在が許されない速度に耐えていけるんだろう。
 大江健三郎「叫び声」を読みながら帰った。わたしは映画の感想はそれなりによく書くけれど、本についての感想をほとんどなにも書かないことについて、なんでだろうと思った。本が感想を書くほどにもなくつまらないからかもしれない。ほんとうになんの感想もない。

 
 僕は極度にものぐさになり、平気で洗面台の下のバケツに放尿し、深夜、まっ暗の廊下をつたって共同便所にその重い満ちあふれる容器をはこんだ。ある時は、おなじように尿のつまったバケツをさげてきたギリシア人の中年男と便所で顔をつきあわせたこともある。痩せほそって硬い浅黒い皮膚の顔から皮を剥いだ魚の眼のように突出した不安な眼球をしきりにうごかし、口ひげのしたの脣をひくひくさせて、その奇怪な異邦人は僕を警戒していた。


 たとえば、「痩せほそって硬い浅黒い皮膚の顔から皮を剥いだ魚の眼のように突出した不安な眼球をしきりにうごかし」という文章について、わたしはなんの感想を抱けばいいのかな。この文章はどの形容詞がどの名詞にかかっているのかすらはっきりしていない。全部が「眼球」にかかっているように見えるし、「痩せほそって硬い浅黒い皮膚の」が「顔」にかかっているように見える。大江健三郎の描くことをここまでグロテスクにゆがめているものがあるとしたら、それはなんだろう。そして、「叫び声」はたしかにとってもおもしろい小説だけれど、どうしてこんなにおもしろいのに、わたしはこんなにも希薄にしか接しようと思えないんだろう。小説はつまらないのかな。きっときっと、あらゆる小説はつまらないのかな。やだなあと思った。やだなあとしんそこ思った。きっとわたしはこれからさき、小説をほんとうにしんそこおもしろいと思うことはないんだろうと思った。そういうことがきちんとした現実として認識できてこわかった。でもよくわからないなと思った。好きなところがひとつもないものを好きになってはいけない理由はないし、それが、たとえごみくずだっとしても愛せないわけじゃない。ないのに。わたしは小説がきらいだから小説を書こう。やさしい小説を、その希薄さすらも愛に変わりえる小説を、書きたいと思う。「おもしろい小説が1冊もないから俺が書く」とか、そんなくだらない理由からじゃなく、書きたいと思った。


 7月31日(日)

 K's cinemaでエマニュエル・ローラン「ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー」を見た。ゴダールは以前、なにかの音楽ドキュメンタリーについて「この映画では、監督はまちがいなく音楽を聴いていません」と語っていた。そういう言いかたをまねるなら、このドキュメンタリー映画で監督はなにも発見してはいないように見えた。監督はただ自分が知っていることをてきとうに撮っただけのようにわたしには見えた。言いかたがむずかしいけれど、監督は「これはこうである」と思ってそのとおりに撮っているように見えた。そうじゃないよとわたしは思う。ジャン=ピエール・レオーについて決めるのはあなたじゃないよ。
 ゴダール「女と男のいる舗道」も見た。DVDを持っているような気がしないでもないけれど映画館で見るのは、たぶん、はじめてで、わたしはびっくりした。アンナ・カリーナの横顔をうつし、あの音楽が流れる最初の場面から、わたしはびっくりして、きゅんとなった。こういう音楽のありかた、こういう映像のありかた、それらを組みあわせるありかた、そういったたんじゅんなものがほんとうにさいこうに美しかったから、わたしはうれしくて、とてもゆたかな気持ちになれた。
 下北沢で藤野さんと待ちあわせた。藤野さんは「遅れます! ごめんなさい! 目潰ししていいです!」と言っていたのに、会ったら「目潰しなんて法律が許さないんですよ!」って言っていた。気流舎で、森山さんが開催している「映画のポケット」に行った。森山さんが1931年から1本ずつ日本映画を選ぶという企画だった。ルールは次の通りだった。


1. 昔から現代までの、優れた日本映画のリストを作る。
2. 豊作の年も不作の年も、選べるのは1年に1本とする。
3. ひとりの監督が登場できるのは1回(1年)とする。
4. キネマ旬報のベストテンに選ばれた作品以外のものを優先する。



 わたしは「1931年の映画なんて1本も見てないよ」と思ったけれど黙っていた。わたしも選びたいと思うけれど選ぶ手段がなかった。


 これは、ひとりの人間が、無茶を承知でやってみることにこそ意義のある遊びです。もとより完璧であることを目的とするものではなく、なによりもまずそれぞれの楽しみのため、そしてことばによって映画を活性化させるためのゲームですから、各自、ルールを適当にゆるくするなり、扱う年代をせばめるなりしていっこうに差し支えありません。


 森山さんは「だれにも頼まれてもいないことをやるのも、映画のポケットっぽいかな」と言っていた。2011年なんだから、わたしもルールをゆるめてつくろうかなと思った。藤野さんは「オロナミンC飲んじゃったんで50円しか持ってないです! すぐ返しますから、『クレオール主義』買ってください」と言っていた。
 飲み会にも参加した。知らないひとと話をして、映画のことについて教えてもらった。藤野さんにはポルトガルの場所を教えてもらった。モロッコとエジプトの場所も教えてもらった。でもなにもわからなかった。たのしかったからよかったと思った。
 帰ったらインターネットがとまっていた。


 8月1日(月)

 会社にいって残業をした。帰って眠った。たのしいことなんてほとんどなかった。インターネットの代金をはらっていなかったことがわかった。


 8月2日(火)

 会社にいって残業をした。帰って眠った。たのしいことなんてほとんどなかった。ものが腐っていった。洗っていないお皿はつもり、お風呂場は黴だらけになっていった。


 8月3日(水)

 会社にいって残業をした。たのしいことなんてほとんどなかった。小檜山博「出刃」ばっかりちびちびおいしくないお酒を飲むように読んでばかりいた。冷害で農業に失敗し、妻にでていかれ、子供を殴り、焼酎を飲み、出刃を研いでいる男の話だった。なんでこんな沈んだ気持ちでこんなどうしようもない小説を読まなくちゃいけないんだろうと思うとこころが震えた。
 毎日9時、10時まで仕事をしていると、わたしはわたしは廃人になることを許せるように感じて、いやだった。


 8月4日(木)

 会社にいった。仕事がとりあえずだけれどひとだんらくしたのでよかった。帰ってぷららに電話をしたら、回線をつないでくれた。安いウィスキーを飲みながら長い日記を書いて、映画のリストをつくりはじめた。




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