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岡田利規「家電のように解り合えない」@あうるすぽっと

2011.10.02(19:21)

血みどろ臓物ハイスクール血みどろ臓物ハイスクール
(1992/09)
キャシー アッカー

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 9月29日(木)

 朝早く起きて桜木町にいきたくなったから桜木町にいった。電車のなかで小林泰三「人獣細工」を読んだり金井美恵子「愛の生活 森のメリュジーヌ」を読んだりしてたのしかった。駅についたら眠かったのでコーヒーを飲んで煙草を吸って、それからまわりをぷらぷらと歩いて長いエスカレーターと動く舗道をついて、横浜美術館の外観を眺めた。のっぺりとひろがった空間にベンチがあって、ベンチにはひとびとが鳩みたいに座っていた。
(べ、べつに木曜日が休館だって知らなくてトリエンナーレ見にいこうとしたわけじゃないんだからねっ!)
 桜木町を満喫してシネマヴェーラにいって中平康「黒い賭博師」と「あいつと私」を見た。どっちもおもしろかった。ベローチェで小説を書いたり本を読んだりして帰った。


 9月30日(金)

 さいたま市図書館の品ぞろえには不満はないけれどそれはうそで、詩集をもっといれてほしい。しかたないからAmazonで渡辺玄英の「火曜日になったら戦争にいく」と「海の上のコンビニ」(とかキャシー・アッカーの「血みどろ臓物ハイスクール」とか「ドン・キホーテ」とかコーノノフ「さんざめき」とかも)を買ってほむほむ読んでいておもしろかったからほむほむした。
 同期のYNくんが中国から一時的に帰ってきていて、それで飲み会だったからわたしもいった。なにかを飲んで、なにかを話した。「なにを食べていた?」と訊いたら「虫」と答えた。写真を見せてもらった。それは虫だと思った。わたしは中国いかないぞと思った。


 10月1日(土)

 がんばって起きて、池袋のあうるすぽっとまで岡田利規「家電のように解り合えない」を見た。すばらしかった。わたしは舞台のうえの問題は現実の問題なんだと思った。わたしたちがそういう状況のときどうしゃべりえるのかという問題なんだと思った。ここでなされた、とくに青柳いづみのしゃべりかたというものがあって、ひとつのしゃべりかたを獲得するということはたぶんきっとなにか自分にとってあたらしいことをしゃべれるようになれると思う。たとえばわたしたちの世界が滅びかけてしまって、舞台だけがのこって、そのうえにわたしがたったとき、わたしはそのときどんなしゃべりかたができるだろうかという問題がわたしの胸によぎったような気持ちがした。「家電のように解り合えない」はそういう舞台だ。青柳いづみは舞台上でずっと意味のわからないダンスを踊りつづける森山開次をさして「たとえばこのダンスをわたしたちはわかるでしょうか」と問いかけた。わからない。コンテンポラリーダンスを見ているひとはあたりまえにダンスがわからないということを許容しているようにわたしは思っていて、すくなくともわたしは許容していると思う。そういうことだけじゃなくて、わたしはこの日キャシー・アッカー「血みどろ臓物ハイスクール」を読んでいたけれど、キャシー・アッカーのこの小説がなんで絵とか詩ばっかりで、後半になると戯曲みたいになっちゃうのかまるでわからない。詩もちんぽことかまんことか書いてあるばっかりできたないだけでぜんぜん意味がわからない。詩もぜんぜんわからない。三角みづ紀さんの詩をいくら読んでもわたしには三角みづ紀についてなにもわからないし、なにが書いてあるのかまるでわからない。でも読めるし、でも好きだと思う。そういう「わからなさ」を許容してしまえる、あるいは許容できるというありかたは、ほんとうは醜いことなんじゃないだろうか。「わからなさ」というのはなんだろうと思う。青柳いづみは舞台のうえでわかりあえたかわかりあえなかったかは問題じゃないと発言した。わかりあえるかという問題について2時間しゃべりつづけていたくせに、この舞台がおこなわれていた2時間のあいだはわかりあうということが問題とならなかった2時間だと言った。舞台が終わればわかりあうということと向きあわなくちゃいけないと。だからがんばってくださいとも言った。
 わたしはがんばらないよと思った。わたしはなにもがんばらない。
 青柳いづみが世界崩壊的にかわいくてびっくりした。きみそのかわいさは正気じゃないぜと思った。
 フェスティバル/トーキョーは毎回ちゃんとテーマみたいなものがあって、今回の作品はどれも直接的なメッセージ性・社会性が強い。前回がいわゆる「実験的な」、いわゆる「わかりにくい」作品ばかりだったからそれにくらべてということかもしれない。
 ベローチェで小説を書いたり本を読んだりして、シネマヴェーラで中平康「美徳のよろめき」と「当りや大将」を見た。とくに「当りや大将」がおもしろかった。
 帰りにキャシー・アッカー「血みどろ臓物ハイスクール」を読みおわった。ジャン・ジュネがでてくるあたりでなぜか泣けてくるので気をつけたいと思った。


 今あたしを取り巻いている絶望感は、認識されていないために歪んでしまっている欲望から派生している。あたしにはわかる。あたしには、世界が醜いものではないというフリはできない。


 10月2日(日)

 横浜トリエンナーレにいく予定だったけれど寝ていた。パスタをゆでて食べたらまた寝ていた。「怖くてトイレに行けない話」を読んだりしていた。これからベックスにいったりロイヤルホストへいったりして本を読んだり小説を書いたりするかもしれない。もうすこしで新しい小説が書きおわるはずだと思う。




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