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大槻香奈展「乳白の街」@neutron tokyo

2011.10.18(01:25)

アンダーグラウンド [DVD]アンダーグラウンド [DVD]
(2001/07/21)
ミキ・マノイロヴィチ、ラザル・リストフスキー 他

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 10月12日(水)

 会社にいった。


 10月13日(木)

 会社にいった。
「日常を美化したいんです」と言ったことがあった。「日常なんてつまらない。でもそれを日記で美化すれば美しいと思えるかもしれない」と言ったことがあった。
 ただすりへって、劣化していくだけのことかもしれなかった。猫が飼えなかった。めぐまれるとか、めぐまれないとか、そういう水準ですらないだろう。


 10月14日(金)

 会社にいった。
 帰りにドトールへいってエリカ・クラウス「いつかわたしに会いにきて」を読んだ。CKさんがいたので話した。ひとにやさしくなりたいなあと思った。


 10月15日(土)

 朝起きて、「ニュー速クオリティ」で「【画像】こんな青春送りたかったって思わせる画像下さい」を見ていた。ときどき思うけれど、新海誠は殺人鬼なんじゃないかと思う。年齢に重ねるにつれてこぼれおちていくものというものがぜったいあって、あるいは、こぼれおちていくという感覚だけはぜったいにあって、わたしはその感覚だけで苦しいと思う。読みふける小説にでてくるひとびとがみんな自分よりも年下だと意識したときのやりきれさは贖いのようですらあった。綿矢りさの書いた「インストール」や「蹴りたい背中」の女の子たちがこのうえもなく現実なのは、新海誠が描く風景の裏返しに位置しているからだと思う。新海誠の孤独やさみしさに風景がはりついていて、その風景は紙ぺらの風にそよぐほど軽くだからこそ美しい。綿矢りさの描くひとびとは肉体直結してしまうほどに物理的距離があまりにも近すぎると思う。彼女はほとんど近視で、それにもかかわらず眼鏡をかけない。眼鏡をかけたならハツの顔面ににな川の唾は降りかからなかっただろうと思う。新海誠はただ消えていくだけだと思う。そして綿矢りさはただ腐っていくだけだ。どちらにしろ失われていく。生きていく過程が失われていく過程だということが現実的にのしかかっていくことにどう耐えていけるんだろう。
 夕方に勇気をふりしぼってでかけた。南青山のneutronにいって大槻香奈展を見てきた。ギャラリーは美術館の108倍くらいは緊張する場所で、1階にはだれもいなくて2階にいくと女のひとがいてお茶をくれた。ありがとうございますと言ってなんにもしゃべらなかった。またなんにもしゃべらなかった。大槻香奈の描く女の子はとってもかわいい。むりやりに結びつけると新海誠と綿矢りさの中間の場所に描いているように思う。肉体と風景が同じ濃さでもりあがっていて見ていて美しいと思った。neutronの1階で「この地に生まれて」という絵とずっと見あっていた。加藤美佳「パンジーズ」とはちがってまっすぐにわたしを見てくる女の子と見つめあっていた。ありえない瞳、ありえない睫毛、ありえない唇だった。とくに唇が美しかった。彼女以上に美しい唇を描くひとはわたしは知らない。
 シアターN渋谷にいってエミール・クストリッツァ「アンダーグラウンド」を見た。今年見た映画のなかでいちばんおもしろかった。




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