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ジェローム・ベル「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」@彩の国さいたま芸術劇場

2011.11.13(23:45)

また会う日までまた会う日まで
(2007/01)
柴崎 友香

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 11月13日(日)

 彼は朝起きるとインターネットで数独の問題を解いた。それから電車に乗って与野本町で降り、さいたま芸術劇場でジェローム・ベル「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」を見た。ダンスでこんなに笑ったのは彼にははじめてだった。ジェローム・ベルはこんなものを見せるためにわざわざ日本にやってきたのかと思って彼はうれしかった。
 彼にはその衣装がとくにすばらしいように思えた。舞台のうえには日本人に混じり外国人もいた。けれど、彼にはどのひとが日本人でどのひとが外国人なのかよくわからなかった。日本人と外国人のあいだに横たわる身体的特徴とそこからどうしても生じてしまう差異は舞台のうえでつよくあらわれてしまうことを彼は新国立劇場で何度か経験してきていた。けれど、ジェローム・ベルの舞台ではその差異がとても美しく均一的な処理をされているように感じられた。それは地味なことなのかもしれない。語るにあたいしないことなのかもしれない。でも舞台のうえでちがうひとびとが美しくならびえるということは美しいことなんだと彼は信じたかったし、思いたかった。
 歩いてベックスにいき、リチャード・パワーズ「囚人のジレンマ」を読みおえた。小説を読んだときにその作家の力量についてなにかを言うことを彼は注意深く避けてきた。それは力量というものが彼にとって直線的な概念のように思えるからで、直線的概念とは彼にとってほとんどビジネスのようなものだった。彼はビジネスをきらっていたし、ビジネスとして小説を読むことはすべて醜い行為だと思っていた。彼は直線的なものよりも放射状的なものを愛したいと思った。高くのぼるのではなく横にひろがっていくありかたを愛したかった。進むことよりも深く潜ることを愛したかった。けれど作家の力量を無視するということは日本的な価値観にとらわれているだけなのかもしれないと彼はこの本を読んで思った。日本には「ちから」という概念はほとんどないだろう。だからこそ村上春樹はティム・オブライエン「ニュークリア・エイジ」について「フルパワー」という言葉をつかったんだろう。そして彼は、アメリカにくらべて、パワーズにくらべて、日本や日本の作家は歴史というものをほとんど持ちえないだろうと考えた。彼らは歴史を記述しない。それをするくらいなら、彼らは物語を語るほうを選んでしまう。それは日本において歴史を端的に語る言葉が決定的に欠けているということだろう。
 日本には「囚人のジレンマ」のなかで語られたような「共通の認識」や「共通の熱」や「共通の関係」や「共通の言葉」のなにもかもがないのかもしれない。ひとびとはばらばらで、自分自身にしか興味がなく、「共通」と呼べるものはそこに流れている空気でしかないのかもしれない。彼は思う。ひとびとはその空気について決してしゃべりはしなかった。そのなかから言葉を中間的なものとしてとりだそうとしてはこなかった。ひとびとは他者を「気持ちわるい」と思っているだろう。ひとびとにとって、すでに他者はどろどろに溶けて液状になっているだろう。彼はさらに思う。俺はまだ他人をにんげんだときちんと思えているんだろうか。小檜山博「光景のむこうがわ」で浮浪者の女が雑踏のなかで出産した直後に道路のうえに落ちた自分の胎盤をぐちゃぐちゃと食べてしまったようなやりかたで俺は他人に接してはいないだろうか。この国のなかでひとびとはまだちゃんとにんげんのかたちをしているだろうか。俺もおまえたちも醜さがぶよぶよとふくらみ、破裂しそうじゃないか。俺はそのなかで頭を抱えてばっかりじゃないか。だれもかれもが皮膚を裏返したような姿かたちをしてばかりじゃないか。
 だれもなにも言わなかった。パワーズの小説を読んでも世界はなにも変わりはしなかった。ベックスのなかは明るく、彼はいつも彼の髪を切ってくれる女のひとがそこにいることに気づいてすらいた。でも彼はそれでもひとりだった。
 彼は顔をふせて柴崎友香「また会う日まで」を読みはじめた。

 
 アルファベットと数字を組み合わせた記号と矢印が、黄色い看板に黒で書いてあって、その矢印の指すほうに曲がる。看板がある度にべたべたと貼り紙がしてあって、一つの出口が閉鎖中でご迷惑をおかけします、と知らせている。わたしが目指しているところじゃない。


「わたしが目指しているところじゃない。」にふくまれたつめたさがつめたさではないことを、彼はまだ愛おしく思う。
 彼はハイフェッツのヴァイオリンを聴きながら数独の問題を解いた。気がつくと店員が目のまえにいて「本日は8時に終了になっていますが」ととまどった顔で言った。顔をあげるとまわりにはだれもいなかった。ちがうんだと彼は言いたかった。俺は数独に夢中になってなんかいないんだ。俺がやりたくてやっているわけじゃないんだ。俺は数独をやっているほどにひまじゃないんだ。でもこれは仕事なんだ。ほんとうなんだよ。ばかみたいだけれど、ほんとうにくだらないけれど、仕事なんだよ。でも彼はやっぱりなにも言わないで、掃除をしている女の店員を見ながら泥棒みたいにベックスをでていった。
 家にはだれもいなかった。でもそのすぐあとには彼がいた。




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